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わたし

母は、わたしをよく叱った
父も、わたしをよく叱った

口癖は、お前はおかしい、だった

わたしは、わたしの何がおかしいのか
分からなかったが
叱られるのが嫌だった

わたしは、叱られると察すると
居間にある大きな茶箪笥の
四角い引き戸の棚の中に身を丸めて隠れた

引き戸を中から閉める時
立方体の空間が、闇に切り替わる
6面の四角に囲まれて
丸めた背骨がそのひとつの面に
接しているのが、恐ろしかった

叱られまいと
うまく隠れてしまったためだろうか
出ることも許されず
恐怖が意識の遠くへ去り
そのまま眠ってしまった

あの時、わたしは
父と母に復讐したかったのだろうか

小学生の時
明日の授業の教科書の準備をするよう
毎晩、母が命じた

わたしは、この準備が苦手だった
本やノートが嫌いで
手にすると、無性に放りたくなる

毎晩、教科書を壁にぶつけるわたしを
母は、思い切りぶった
母と一緒になって
父も力の限り、わたしを吹っ飛ばした

この時だ
わたしは決して教師ならないと決めたのは

あれから母は
わーと
大声を出してわたしを何度もぶつようになった

わたしの小さな体は
右に左に物や壁にぶつかりながら
しまいに角に頭をぶつけて
意識を失ったものだ

わたしは、ぶたれることよりも
母の気の狂った叫び声の方が

恐ろしかった

そんな母が、叫び続けたせいか
母の声がしゃがれて低くなったある日

わたしはリカちゃんを裸にして
宝物を入れるような可愛らしい
四角い缶の小箱に詰めた

その時、手足の曲がりが悪かったので
ハサミで切ろうとしたがうまく切れず
中途半端につながったままだったが
たたみやすくなったのは覚えている

それを見た母は、また奇声をあげ
わたしがわたしのリカちゃんをそうしたように
わたしをキッチンの床にある納戸に閉じ込めた

米や麦の隙間をぬって
わたしの身体は曲がれるだけ曲がった
無理やり頭を押しつけられ
戸を閉められた時

わたしは
わー、と叫んだ

叫ぶと、不思議と恐怖が遠のいた
そうか、母が叫ぶのは、恐ろしかったからなのか

でも、何に恐怖を感じていたのだろう

18になった

父も母も大学を出ていたので
私は大学には行かず、就職することにした

この頃には、複数の年上の男と
付き合っていた
有り余る性欲を満たしてくれて
しかもお金をくれるのだから
一石二鳥だった

私を見て叫び続けた母が
せめて、と押し切られ
20の頃
母のつてで郵便局に勤めることになった

毎日毎日、封書を見ていると
ここが四角いものだらけだと気づく

外見、〒の赤いマーク
書類棚、デスク、封筒、何もかも四角
宛名も封筒の郵便番号を書く欄も

測りが示す数字も全て四角

意識しだすと
四角に囲まれているような気になって
職場で息ができなくなった

そのうち、職場には居られなくなって
それでも、家にいると母がうるさいので
同僚の遥の家に駆け込んでた

遥はいい人だったから
疲れ果てていたわたしを優しく受け入れてくれた

そうだ、私が郵便局を辞めた後
ほどなくして
郵便局は、ゆうちょになったのだ

父と母は、意外なほど
わたしを追ってこなかった

わたしは煩わしさがないので
そんなに気にしなかった

そんなこんなで遥の家に駆け込んで
2年が過ぎた頃
遥は精神病院に入院した

うつ病だという

わたしは、遥の家で独りになった

優しい遥がいなくなって
わたしは寂しくてしょうがなくなった

なので、近所の汚い飲み屋で知り合った
消防士の大輔を遥の家に連れ込んで
同棲を始めた

わたしは、不器用だから家事は一切しない
それまでは遥がしてくれてたし
今度は大輔がすればいいと思ってた
実際、はじめのうちはキレイ好きな大輔は
せっせと部屋を掃除していた

洗濯や食事のしたくしてくれた

ところが2週間とたたないうちに
大輔は私をぶつようになった

髪を掴まれ、押入れに投げ込まれると
あざの上を何度も何度も蹴ってきた

痩せこけた腹と太ももが
青と赤と黄色が混じった紫色になっていた

1ヶ月もすると
遥とわたしの部屋は、カップ麺の残骸で
荒れ放題になっていた

わたしは

大輔と知り合った飲み屋で
他の男と知り合い
人知れず、遥の家を出た

しかし、その男も大輔と大差がなく
仕事をしないクズのような男だった

彼の粗末なアパートは
浴室とトイレが一緒で
四角いバスタブは
シャワーを浴びるだけで精一杯だった

その狭い四角い浴室で
毎日毎日、彼に犯された
嫌だというとぶたれるので
人形のように彼の言うとおりにした

わたしは、あの日のリカちゃんになったのだ

ほどなくして彼が警察に掴まり
住むところを失ったわたしは
公衆電話から、大輔に電話をした

その時、大輔の苗字が原田だとはじめて知った

そういえば、今さらだが
わたしを人形のように扱った
彼の苗字すら
知らないことに、この時気がついた

車の窓が開き
原田大輔が現れた

もう何年も会っていないようだった

原田大輔はめんどくさそうに
キーケースから遥の家の鍵を外し
わたしにそれを投げつけて
そのまま車は走り去っていった

殴りも蹴りもしない原田大輔に
わたしは見捨てられたような気持になって
少しだけ、寂しさを覚えた

吸い寄せられるように
遥のアパートに着いた時

遥は退院していたらしく
部屋が何もなかったかのように片付いていた

四隅までしっかりと掃除が行き届いている
ここの四角は、居心地がいい
きっと遙はうつ病を治したに違いない

遥の家を出てから
まだ3か月ほどしか経っていないのに
懐かしさで嬉しくなった

また、遥と一緒に住もう

わたしはそのキレイなベッドで眠りについた

シーツの海を漂うように
何時間も眠りについた

遥に何度も体を揺らされたが
わたしの身体の言うことが利かないので
無視して眠った

すると、次に意識が戻った時
遥とわたしのアパートに
父と母がきていた

何が起きたわけでもなく
恐怖で震えあがった

両脇を抱えられたまま
今度はわたしが精神科に入院した

わたしは

わたしは、叫んだ
眠っている時以外は、叫ぶようにした

わー、と叫ぶのだ

外側から鍵のかかった独りの部屋は
大きさは違えど
あの日の茶箪笥の棚の中と一緒に思えたからだ

喉から血が出るまで、わーと叫ぶ
すると看護師がきて

いつもの注射針を眺めながら
意識が遠のくのを繰り返した

どうして叫ぶのか
医師にも看護師にも聞かれたが
叫ぶ理由が分からないので
答えられなかった

なのでこう言った

形にこだわらず
私は自由に生きているのだと

誰も理解してくれなくていい
わたしなりに体裁を整えた
つもりだっただけだから

そう

わたしは、またわーと叫んで
眠りにつくのを繰り返せばいい

そしてまた、ほどなくして
目が覚めたなら

また、わーと叫べばいいのだ

だけど

今回ばかり
わたしは目覚めなかった

ここは、夢
夢の世界なんだ

夢の中のわたしは
リカちゃんの髪を鷲掴みで持っている
あの日の幼いわたしだった

ここはどこだろう

わたしが好きな薄桃色のスイトピーが
いちめんに咲いている
空は昼間だというのに、夜明けのようだ

あのキラリと光る
消え残った星が、地球だと
わたしはなぜ知っているのだろう

そして

気づくと母がそばにいて
わたしをきつくきつく抱きしめていた

この時、まるで雷に打たれたように
まるで走馬灯を見ているかのように
あの日の記憶がよみがえった

叱られるのが嫌で
茶箪笥の棚に身を隠した
あの日の記憶だ

隠れたわたしは、眠りから覚めると
母と同じように
わー、と叫んだ

動けない体をバタつかせ
頭を何度も何度も前後した

その声を聞きつけた母は
引き戸を開けてわたしを
立方体の暗闇から取り出した

そして、全身が壊れるほど
きつく抱きしめられたのだ

父はその外側から
ふたりを包み込むように抱きしめていた

わたしはもう
叫ぶ必要がなくなった
本当に、何もしなくてよくなった

これから

父の右手と母の左手を握り
このスイトピーの野原を
あてもなく歩き続ければいいのだから

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