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WATCHER 山 ~携帯電話が使える休憩室編~

※この話は、フィクションです

隣に座っても、、、いいですか?

自動販売機の前で
車いすに座っている30代の青年に
ウォッチャー山は声をかけた

あ、リハビリの先生
はい、いいですよ

青年は、にがい表情をしながらも
ウォッチャーを受け入れた

ここは

病院の携帯電話が使える休憩スペース
6畳ほどのスペースに
自動販売機があり、その向かいの壁づたいに
背もたれのない円椅子が3脚
無動作に並べてあった

黄ばんだクリーム色の壁や
プレハブ小屋のような粗末なドアから
設えの古さがよく分かる

おそらく、この部屋は喫煙室だったのだろう
禁煙ブームの波と携帯電話の普及で
面倒だからそっくりそのまま交換してしまおう
という事務長の適当さがうかがえる

ウォッチャー山はひとり、合点がいった

この部屋は
車いすで入ることが想定されておらず
それなのになぜ
車いすの彼がここに入れたのか
不思議に思うところなのだが

そこは決して尋ねることはしない

それがウォッチャーであり
ウォッチャー山なのだ

ひろむ君
食道の痛みは、おさまりましたか?

ひろむは、苦痛表情をさらに悪化させ
ぜんぜん良くならないので
早く胃カメラで検査してほしいんです
と訴えてきた

ウォッチャー山:
それはつらいですね
私も胃痛で救急車に乗ったことがあります
あれはとても、辛かった

ひろむ:
でしょ、すごく痛いんです
今も痛くて、左の背中も痛くて
歩くともっと痛くなる
だから、歩けないんです

彼は、どうして誰も俺のことを
分かってくれないのか、と
言わんばかりに訴え続けたのだった

あぁ、そうだ

彼、ひろむ君のことを語るには
ここに入院するまでの経緯を
少しだけお話する必要があるだろう

彼の名は、小形ひろむ 39歳 ひとり暮らし
2か月前、地下鉄駅構内で突然歩けなくなり
言動も不明瞭だったため
救急指定の総合病院に搬送したが
検査で器質的な異常が認められなかった
だが、まったく歩けない

執拗な車いすの固執に
詐病(嘘の病気)の疑いがあるため
長期的な療養ができる当院に転院してきたのだった

詐病?

これは、ウォッチャー山の出番
何をするわけでもない
ただただ観察するだけの専門職ウォッチャー

ウォッチャー山は
彼と接見すべく病棟に出向いたのだった

ウォッチャー山が
その病棟廊下を歩いていたその時
トイレの前に1台車いすが置いてあって
そこから歩いて出てきた青年がいた

彼だ
彼が、小形ひろむだ

ウォッチャー山は、腐れても理学療法士
歩きの専門家でもある
彼の歩きが、普通なのか、異常なのかくらい
永い永い経験から見破ることができるのだ

彼の歩行は間違いなく

正常、だった

というところで、時を今に戻そう

♫ Versace on the Floor
by Bruno Mars

ここは、さっきの
携帯電話が使える休憩室

ウォッチャー山:
ひろむ君、今、病院に入院しているのに
どうして救急車を呼んでしまったの?

ひろむ:
だって、つらいから
この病院は僕のつらさを分かってくれないから

とても切実だ、ということが伝わってくる

彼は病院に入院しているのに
先ほど、携帯電話で救急車を呼んだのだった

病院に事前の連絡もなく
救急車が緊急灯を回してきたのだから
職員一同、唖然としてしまった

だ、誰が救急車なんか呼んだの?

誰だ?おぃ

はぁ? 病棟師長に連絡して確認しろ

病棟師長があわただしく対応にまわされ
騒然とした出来事から
ちょうど1時間ほど経過していた

ひろむ:
何度言っても、先生が診てくれないから
セカンドオピニオンを立てることにした

ひろむは、まだまだ落ち着いていない
彼は、強気だ

そりゃそうだ、消化器系の痛みは尋常じゃない
この痛みを訴えても
何も対応できない病院など
拷問施設でしかないだろう

ウォッチャー山:
お母さんは?

それでもウォッチャーは、焦ることなく聞いた
先ほど、看護師長が、キーパーソンである
母親とおぼしき人物と
真剣に連絡をとっていたのを見たからだ

ひろむ:
分からない

ひろむは、急に消火器で消された火のように
さっきまでの怒りはどこえやら
静かに答えた

それから彼は続けて話し出した

彼が小学校の時、両親は離婚
父のもとで養育されたが
高校卒業とともに勘当され
母のいる札幌に転居してきた
しかし、その時にはすでに母は再婚
義理の兄弟も2人いた

ひろむの話からは、母はできる限り
世話をしてくれたようだったが
今回の入院を機に
事実上の勘当を言い渡されたという

ひろむ:
だから、もうひとりで暮らせない

彼は10分ほどに
母と自分の関りを要約して話してくれた
話し慣れているところをみると
きっと、これまで出会った
たくさんの支援者に話してきたのだろう

ウォッチャー山:
そう、だったんだ

ひろむ:
僕は逆流性食道炎なんです
潰瘍があったりするかもしれない
だから、早急に胃カメラをしないといけないんです

ウォッチャー山:
胃潰瘍だったら、それは大変なことだね

ウォッチャーの返答に
ひろむは、そうだろそうだろ、と大きく頷いた
どこか、目を輝かせているようにも見える

ウォッチャー山:
私は、ひろむ君がずっと車いすに乗って
足の筋肉が衰えるのが心配でね

そう、理学療法士として
今思うことを伝えた

すると、ひろむは車いすからスクっと立ち

大丈夫、歩けます

そう、足踏みをして
少しだけ笑って言ったのだった

♫ It's Been You
by Anita Baker

相談員:
ここのグループホームは
同じくらいの歳の人たちが住んでいるので
きっと、住んだら良かったって思えますよ

相談員は、自信をもって!と言わんばかりに
彼にエールを贈った

ここは病院のエントランス
ひろむの退院の日

彼が入院して、年をまたぎ
早4か月が過ぎていた

ひろむは粗末なボストンバックをひとつ抱え
ジーンズ姿で立っている

彼の人生が
そのボストンバッグひとつに
そのボストンバックの中に詰まっているのだ

とても穏やかな表情で
我々に軽く礼をする

あの日の彼が嘘のようだった
あの日の翌日
我々は胃カメラで痛みの原因を探った

結果、食道も胃も
多少のただれはあるものの
潰瘍もなく、キレイだったと判明した

そして、彼は晴々としている

それは、寒い寒い晴れた冬の昼

陽ざしが雪の結晶に反射して
エントランスの自動ドアの向こう側は
輝く光の世界に見えた

彼が背を向ける時、神の魔法で
スローモーションになった

それとは対照的に見送る我々は
まるで闇の使者のようだった

ウォッチャー山:
両親の離婚、来札した時、そして今回
彼は、実の母親に
3回も見捨てられたんですね
嘘をつくことでしか
自分を見てもらえなかったのでしょうか

車いすだったことが嘘のように
ひろむはタクシーに乗る
彼は、こちらをむく気配もない

きっと、笑顔だろう

相談員:
え?
彼、そんなことまで嘘をついていたんですか

相談員は目を丸くして
ウォッチャー山に言った

彼を乗せたタクシーのドアが閉まる

相談員:
お母さんは食道癌で
ずっとずっと前に亡くなっているんですよ

ウォッチャー山:
え?
でも、手続き上のやり取り
お母さんがしてくれたって

相談員:
いえいえ、それは父の母
彼の祖母が、親身になって手伝ってくれたんです
高齢な上、北見に住んでいるので
来ることはできませんでしたけれど

彼を乗せたタクシーが
門のあたりで右のウィンカーを点滅させていた

彼は、西に向かうんだ

相談員:
おばあさん、彼のことを
それはとてもとても、心配してました

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