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WATCHER 山 〜202号室編〜

このお話は、フィクションです

山はベテランの理学療法士だが
これといったスキルがあるわけでもなく
誰もがイメージする
医療職の物腰の柔らかい
親切丁寧なセラピストでもなかった

むしろ、その対極で
患者にはハラスメントギリギリの声掛けをし
他職種の連絡から逃げ散らかすため
内線はすべて無視した

だが、みんなは言う
山はとてもリラックスして
楽しそうだったと

そんな山には、裏の顔があった
山の本当の役割とは
多くの入院患者の中から
著しく歪んだ性格の人を探しだして

ただただ、観察する
そして、一切何もしない
というまったくもって無価値な役割だった

そこまで患者の内情を知っているにも関わらず
ただただ観察し、他職種との連携もしない
山を見て

看護師たちはこう言った
薬剤師すらこう言った

アイツだ
アイツに違いない、彼は

ウォッチャー、山!

きらーん


山は、その役割を全うするにあたり

頭の中で、この上なく美しい
旋律の曲を流すのだった

例えば今日は

バッハの平均律

この美しい調べとともに
著しく歪んだ性格の患者のもとへ
颯爽と向かうだった

途中

婆さんのペットボトルの蓋を開けたり
テレビのチャンネルを変えてあげたり
若い患者ならハイタッチをしてみたり

理学療法とは無縁のサービスなら提供する

なぜって?

そんな愚問は聞いてはならない
なぜならば

それは、ウォッチャー山

ウォッチャー山、だからなのだ

あ、リハビリの先生、ちょうどよかった
私、肩が痛くてあがらないの

山ちゃん:
ごめんね、僕にはサッパリ分からない

あ、リハビリの先生、廊下の往復
10回すればいいですかね?

山ちゃん:
好きなだけすれば、いいんじゃなぁぁぁい⤴︎

暇だから話しかけただろみたいな
面倒くさい質問を優雅に跳ね除け
山は目的に向かって

まっしぐら

さぁ、ついた
今日も健やかにお役目

おきばりやす

おはようございまーす
著しく歪んだ性格の◯◯さん
理学療法担当の、山です

ウォッチャー山 予想



【202号室 叩かれたい女】

4人部屋に入って右奥の窓側のベッドは
吉村佳代子、主婦54歳

左膝が痛くて歩けません
リハビリして歩けるようになるまで
家には帰りたくないです

そんな彼女は、旦那と2人暮らし
ひとり息子は、市内で別に暮らしている

吉村佳代子さん
7年前に、右膝の人工関節置換術
5年前に、左股関節の人工関節置換術
その間反復性股関節脱臼で再手術
そしてこの度、右膝の変形性膝関節症

かかりつけの整形外科から
なぜか、ここへ転院してきましたね

さて、どうしてでしょう?

これには、なにか裏がある
ウォッチャー山は匂いを嗅ぎつけた

エアロバイクを漕がせながら
吉村佳代子の過去
現在、そしてくるであろう未来
彼女の存在を赤裸々に、そして繊細に
ウォッチャーの頭の中の
真っ白なキャンパスに描いてゆく

山の勝手な判断が過ぎて
たゆたう、こともある
弯曲することだって、ある

幾度も描き直し、何重にも色を重ねて
極端に性格の歪んだ吉村佳代子の姿絵を
完成させるのだ

吉村佳代子:
夫に内緒で、ステーキ食べに行くんです
この前300g食べちゃったんです(笑)
脂身が1番好きなの(テヘペロ)

雪見だいふくの餅
しばらくぶりに食べたら
あんなにモチモチ
進化してるって3箱食べちゃった

ここの喫茶店にひとりで行ったら
怒られるのかしら?
たらこスパゲティ食べたいの

佳代子は、悪びれた顔もせず
レロレロと自堕落を話しだした

背丈が150cmほどしかない吉村佳代子は
体重が80kgある
入院前は、杖を使って
家の中を歩いていたが
左膝の痛みで、今は車椅子生活だ

彼女をバイクに乗せるにも、やっとのこと
重たくもないペダルを重そうに漕いで
延々と、食べ物の話をしている

ウォッチャー山:
吉村さん、痩せないと
歩けませんよ

初回なのに
8回も同じセリフを繰り返した

吉村佳代子:
そうですよねぇ、、、
でも、旦那が甘い物を買ってきて
冷蔵庫にしまってゆくんです
旦那は食べないのに
私が後始末することになる

と、佳代子は返事をした

佳代子、そこじゃない
この話題に、でも、は要らない

花より団子?


先日、佳代子の旦那に
今の状況を説明する機会があった

ウォッチャー山:
入院して、食べるものは
制限しているはずなのに
2.5kg、太りました
ジュースを買って飲んでいるようです

医師からもお話があった通り
歩けるようになるのは
難しいと思います

山は、随分とごもっともな話をした

旦那:
もう何ができるとかなくていいんです
家の中の移動だけ歩けたら
あとは、今まで通り暮らせます

ほぉぉぉ

翌日の朝9時

山は、佳代子のベッドに迎えに行くと
ベッドに対して斜めに仰向けとなり
佳代子が深い眠りについていた
布団も中途半端に
野太い両足をベッドからダランと垂らしている

ベッドの上まで
自力で這うことができないからか
その空いたスペースに化粧箱やら本やら
ブラシ、手鏡などの日用品が散乱している

灯りもテレビも点けたまま
イヤフォンから微かに
羽鳥アナの声が聞こえていた

すると佳代子が気配を察し目を覚ます

吉村佳代子:
あ、リハビリの先生
おはようございます
今、おきま、、、

仰向けからそのまま顔を上げて
起きようとするも
腹が膨れて起き上がることができない

毎日のことなのに
どうして出来ないことを
あえて、しようとするのだろう

佳代子はそれでも必死に起きようとしている
それは円山動物園のトドに似ていた

山は微笑み、手を差し伸べ
佳代子を力任せに強引に引っ張りあげた

引っ張りあげると
佳代子の首がカクンと力なく前後した

そうか

佳代子は座った状態から
そのまま後ろに倒れて寝ていたのだ

ウォッチャー山:
ベッドの上、片付けませんか?
今日はシーツ交換の日ですよ

吉村佳代子:
うーん、、、いいのよ
なくなってもいいの
また買えばいいんだから

佳代子、そこじゃない

私は、どこまでも正しく生きる


トレーニングは回を重ね
吉村佳代子の話から
山は、吉村家の事情に詳しくなった

食事は、旦那が買ってくる店屋物

トイレは旦那の介添えがあるが
中まで入ってくるので
恥ずかしいからやめてほしいこと

入浴は、デイサービスを利用してるので
風呂場にはもう何年も行ってないこと

そして、かかりつけの整形外科を
先日、半ば強制的に退院させられたので
今後は、リハビリのできるどこかの施設に入りたい

ここの入院は、関連施設を紹介してもらうため
だと言った

ウォッチャー山:
どうして、退院させられたと
思ったのですか?

吉村佳代子:
歩けない歩けないって
しつこく言ったからだと思うの
私、歩けないと叩かれちゃうから

え?

叩かれちゃう?

きた 

山:
そのことは相談員にお話ししましたか?

吉村佳代子:
いいえ、まだしてません
それだけじゃないんですよ
化粧品ポーチを頭の上でゆすって
私の頭に化粧品がバンバン当たったんです

山:
それは、ひどい目にあったんですね
動けないことをいいことに
どうでしょう

事が事なので
僕と吉村さんの内緒にしませんか

吉村佳代子:
そうですね、恥ずかしくて人には言えないもの
分かりました内緒にします

今日の脳内サウンドは
辻井君の、ソナタ悲愴第2楽章

美しき調べ、山は佳代子にまっしぐら

翌日の9時過ぎ

山:
吉村さん、リハビリの時間ですよ

いつものように
円山動物園のトドに声をかけた

吉村佳代子:
あ、先生、ちょうどよかった
このクリームをポーチの中に入れてもらっても
いいですか?

身体を回すこともままならない佳代子は
すぐそばにあるメイクボックスに
クリームを入れることもできなかった

山:
はい、もちろんです
お安いご用

そう言って、山は箱型のメイクボックスを開ける
ピンク色のエナメル素材で作られた
可愛らしい箱で蓋の裏側に鏡もついている
しつらえがいかもにも良さそうだ

そのメイクボックスの中には
すでにたくさんの化粧品が乱雑に入っていた

山:
吉村さん、中がいっぱいです
どうしましょう

吉村佳代子:
その化粧水は安いやつだから
それを出して、このクリームを入れてください

山:
かしこまりました
ところで、そのクリーム
高いとは、どのくらい高いんですか?

山の問いかけに
佳代子は照れくさそうに笑った

吉村佳代子:
6万円なの

山:
それはそれは、大事に使わないと
ですね

佳代子は続ける

吉村佳代子:
その乳液は、35000円
この化粧品は安いの、9800円
友達が販売員で、買ってほしいって言われたら
彼女にも暮らしがあるだろうし

だから
毎月、お願いしてるの

山:
毎月、60000円と35000円と9800円ですか
それはすごい

吉村佳代子:
あと、ナイトパックがあって
20000円なんです

佳代子、まったくそこじゃない

いつでも、私が正しい



吉村佳代子:
うちの旦那、浮気してるの
携帯みたら、イヤらしいメールのやり取りが
何通もあって

佳代子はバイクを漕ぎながら
2年前の話を懇々としていた

山:
それで、探偵にいくら払ったんですか

吉村佳代子:
20万、相手も既婚者で
相手の家の番号が分かったの
電話して
もうやめましょうよって、言ったんです

山:
身体が自由に動けないのに、よくやりましたね

吉村佳代子:
電話とお金払えば、何とかなるものよ
タクシーの運転手さんだって
月一で使ってくれないかって
電話があるから、その時に服を買ったり
ステーキ食べたりするの

山:
それは旦那さんは気づかないんですか?

吉村佳代子:
カードの引き落としで分かるから
月に一回、大喧嘩して叩かれるんです
すごく痛くて、息子に言ったんだけど
叩くのは良くない、としか言われなかった

山:
それでも、旦那さんは
トイレに連れて行ってくれるんですね

吉村佳代子:
そう、お弁当とかスィーツとか
たくさん買ってきては、くれるのね
何を考えているのかしら

山:
吉村さん、この話は
2人だけの秘密にしましょう

佳代子は、深く頷き
聞いてくれてありがとう、と言って

その日を終えた

佳代子の望むままに


佳代子の担当の相談員:
退院、おめでとうございます
家に帰っても、無理はしないでくださいね

吉村佳代子:
ありがとうございます
主人が、車椅子でもいいって言ってくれて

良かった

病院のエントランスで
車椅子に座り身なりを整えた佳代子は
背後の夫を気にする素振りもなく
我々に微笑んだ

山:
家が、いちばんですね

ウォッチャー山は、佳代子に向かって
少しだけ屈み、顔をせまらせて言った

佳代子は微笑み返すと同時に

それじゃ、お世話になりました

夫が車椅子をクルリと方向転換させて
自動ドアの向こうの
陽ざしの中に吸い込まれていった

事前に夫が予約した
介護タクシーにのせられる佳代子

その横顔は、こちらからは
光で見えない

佳代子の担当の相談員:
結局、何もせず、何も変わらず
退院してゆきましたね

山:
はい、そうですね

彼女が、そう望んだのですから

ウォッチャー山は
光に溶けた佳代子の横顔を
笑顔に変えて、その絵を完成させた

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