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WATCHER山 ~憎みきれないろくでなし編~

夕日がすりガラスの窓を赤く染める頃
シマ子さんは今住んでいる施設から
ウォッチャー山のもとへ
リハビリを受けにやってくる

彼女の体型に合わせた車いすはとても小さく
男性の介護士が彼女の車いすを押すと
その小ささに、深くお辞儀をしているようだった

鹿山シマ子さんです
よろしくお願いします

エプロンをした大柄の若い男性が
背中を丸くしながら
車いすを押してリハビリ室に入ってくる
その車いすにちょこんと座っているのが
今日の主人公、シマ子さんだ

シマ子さんは、75歳を過ぎたばかりだが
今では滅多に見られなくなった
昔のお婆さんのように背中が丸まっている

そして、ちょっと強い風に吹かれたら
飛ばされそうなほど痩せてガリガリだった

肉も魚も食べられないの

彼女は食に興味がない
と言わんばかりに
乾いた口調でよく話してくれた

彼女のリハビリは
その丸まった背中を伸ばして
歩行器という押し車を使って
わずかな距離を歩くものだった

シマ子さんは、このリハビリの時間を
毎回楽しみにしていた

それは、リハビリ云々ではなく
ここに来れば、大好きな沢田研二の歌を
動画付きで見ることができるからなのだ

ウォッチャー山はいつものように
テーブルにノート型PCを置いてDVDを再生した

すると彼女は涙を潤ませながら
画面にくぎ付けになる

毎回、同じDVDなのだが
彼女はまったく飽きることがない

曲名は決まって
憎みきれないろくでなし、だ


シマ子さんには娘がいるが
どこかで生きているだろうけれど
どこに住んでいるのかは知らないらしい

ひとり娘が所在不明なのに
乾いた口調でさらりと言ってしまう

旦那はというと
今住んでいる施設に入所する時、別れたらしい

散々浮気をされたから追い出してやったの
なんて笑って話していたが
決まってその話のあと遠い目をするから
きっと言えない事情があるのだろう

ウォッチャー山は、何年もかけて
シマ子さんの話を聞いてきた

ウォッチャー山が、シマ子さんを
ひと言で表すとしたら
これしかなかった

この上なく、こぢんまりとした人

時間的にも、空間的にも
彼女が認知でき得るものだけに囲まれで
今、ここにたどり着いた
そんな印象があった

なので、彼女は余分な事象を排除するため
たくさんの嫌いなものを作り出してきた

まず、シマ子さんは細く長いものが大嫌いだ
長いものといえば、蛇
そしてミミズ、そのあたりまでは理解できるが
サンマにキュウリ
家電の電源コードは見るのも嫌だと言った

とにかく細長いものはダメなのだ

あと、シマ子さんは外出も大嫌いだ
だから旅行に行ったこともないし
自分の町内を出たことも記憶にない
人生の大半を自宅で過ごしてきたらしいのだ

娘が高校を中退して働き始めてまもなく
猫を連れて帰ってきたらしいが
シマ子さんは、動物も大嫌いだった

それなのに、その猫すら置いて
娘は家を出ていった

娘の姿を最後に見た日も
いつもの着ている服だったという

もう帰ってこないから

娘がそう言って
玄関の引き戸が閉まる音を聞いた

シマ子さんは、仕事に行ったとばかり思ったが
それ以来、娘がその引き戸を開くことはなかった

残されたシマ子さんは
残された猫にエサをやるしかなかった

ウォッチャー山:
シマ子さんは、家が好きだったんですね

シマ子:
好きってわけじゃないんだけれど、、、

シマ子さんの家は2階建てで
シマ子さんの実父が残してくれたものだった

シマ子さんは、母を早くに亡くしていて
男やもめの父に育てられたのだが
幼いころから
父に家の2階に上がることを禁じられてきた

シマ子さんは別に興味もなかったらしく
50年以上、その家に暮らしていながら
1階しか知らなかったし
それについて何の疑問も持たなかったという

狭ければ狭いほど、安心できた

そんな父が癌で病院に入院すると
シマ子さんは医師からもう長くないと言われた
そこに突如、父の会社の部下だったという男が
家に尋ねてくるようになり
こともあろうかそのまま住みついてしまった

それが、シマ子さんの離婚した夫だという

ウォッチャー山:
どうして、沢田研二を好きになったの?

シマ子:
そうねぇ、私はさ
テレビしか知らなかったのよ

転がり込んできた男の名前は、良夫と言った
病院に面会に行った時、父に良夫のことを話したら
たしかに父の部下だそうで
しばらく世話してやってくれと言われてしまう

この時期には、父の容態は悪くなっていて
日によって、どんなに声をかけても
返事が返ってこないことも多く
良夫という男に関して詳しいことは
全く聞けなかったという

彼女はいつものように家に帰ると
良夫の晩飯と、洗濯など簡単な家事を済ませ
猫にエサをやると
居間のテレビを点けた

そのブラウン管の画面からは
男性とも女性ともつかぬ
妖艶な沢田研二という人間が
顎をあげてこちらを見つめてきた
しなる指が、さも自分に届きそうに感じた

こんな男性がこの世にいるんだ
シマ子さんはその日から
沢田研二の魔性に
自ら吸い込まれていったという

シマ子さん:
うちの旦那は良夫って書くのに子育てもしなくてね
毎日、違う女を2階に連れ込んで
ガタゴトやってたのよ

ウォッチャー山:
毎日、違う女の人を
家に連れ込んでいたんですか?


テレビの歌番組のトリで
いよいよ待ちに待っていた沢田研二が歌う時
急に吐き気を模様して
妊娠していることが分かった

この前の朝方
寝込みを襲われた時だろうと思った

だけどシマ子さんは
妊娠自体は、大して不安でもなかった

ただ産婦人科に行っている間
なぜか笑いが止まらなくなってしまい
看護婦さんに何度も不謹慎だと怒られたという

しかし
可笑しくないのに笑ってしまうのが
どうしてなのか自分でも分からないから
正すことができなかった

それからというもの
受診の時は、先生から言われた時間
診療の最後にまわされてしまったらしい

無事、安産で娘が生まれ
シマ子さんは分かる範囲で
ひとり子どもを育てることになった

娘が年頃になると、友達の家に行ったまま
ほとんど家に帰ってくることがなくなったという

それもそうだろう

自分の父親が毎晩のように
知らない女を家に連れ込み
2階でガタゴト何かをしているのだから

この頃には、ブラウン管の中に
あの妖艶な沢田研二は
もういなかった

シマ子さん:
娘は、そうとう家が嫌いだったんだと思うよ

ウィッチャー山:
そうだったんですね


娘が、高校を中退した時も
シマ子さんは怒ることはしなかったという

正直なところ、娘にそこまで
興味がなかったからだ

そんなシマ子さんに
娘が珍しく話しかけてきたことが
あったという

シマ子さんは思った
何をあらたまって、いまさら

ウォッチャー山:
何を話してきたんですか

シマ子さん:
うん、お母さんは本当に
2階の部屋を見たことがないのって


父が元気だったころ
シマ子さんは決まって0時過ぎに
呼ばれることがあって
その時だけは2階に上がったという

階段を上がった奥の部屋のドアから
灯りが漏れていたのは、覚えているという

だが、その先はどうしても思い出せない

気がついたら、自分の布団の中で
朝を迎えたからだった

そして、旦那良夫の時は
良夫が、見知らぬ女性を連れてきて
やや遅れたタイミングで1度だけ
呼ばれて2階に行ったことがあるという

うす暗くて、香水の匂いがきつくて
それだけでも、シマ子さんは具合が悪くなったが
呼ばれるがまま奥の部屋を覗くと
そこには、女の裸の写真が所狭しと飾ってあって
その見知らぬ女性は、部屋の真ん中で
体中を縄で縛られていたという

そこで旦那はこう言った

お義父さんから教えてもらったんだよ

シマ子さんの記憶は
この辺りからない

たぶん、倒れちゃったんじゃない?

シマ子さんは娘に、正直にそう話したという

娘は、唖然とした表情で
シマ子さんを見ていたと

笑って言った

ウィッチャー山:
旦那さんとは、もう会ってないんですか

シマ子:
それが週に1度、うち(施設)に来るのよ
あんころ餅を持ってきてくれるの


♫ 明日は 明日で 楽しいだろうが ♬

PCの画面では
水兵のような恰好をした沢田研二が
波打つように両手を伸ばし
そのしぶきとなったしなやかな指先が
今にも画面から飛び出してきそうだった

シマ子さんは、そのしぶきに打たれ
催眠術にかかったようにうっとりしている

♫ あまりに こうして 予想できないよ ♬

付き添いの介護士は
出入り口にある長ベンチで
こっくりこっくりうたた寝をしていた

ウォッチャー山:
そろそろ、歩きますか

シマ子:
そうね、これ以上見ていたら
色々、思い出しちゃうかもしれないから



ウォッチャー山は
この部屋の湿気が高い気がして
茜色のすりガラスを開けると
外の空気を迎え入れた

沢田研二の声色が作り上げた
妖艶な空気感が、一気に外へ放たれて
すぐに雑多が室内を走るように入ってくる

ふたりの間に交わした術が解けたように
シマ子さんとウォッチャー山は
曲がった背中をニョキっと伸ばして
歩く練習をはじめた

あとこの部屋を1周歩けば
今日のリハビリは終了、というところで
シマ子さんは、ぽつりとつぶやいた

あの猫、どこに行ったのかしら
名前くらいつけてあげれば
よかったのにね

シマ子さんはそう言うと
ケタケタと肩を揺らし
乾いた声で笑い出した

笑い声はしだいに度を超えて
その場に立ち尽くしてしまう

介護士が目を覚まし
何事かと慌てて近寄ってきた

シマ子さんは介護士の心配を手で払いのけ

おかしいわね
何で私、笑っちゃうのかしら

そう言った


※この物語は、フィクションです
 WATCHER山シリーズはこちら☟


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