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病んでます、という美学

コロナが流行る前まで
いくつかの
心理療法の講座に参加していました

俺の場合
実際に心理セラピーをするわけではなく
あくまでも患者さんが
自分でやる気スイッチを押すために
なんかいい方法はないかな
と、思ったのが
当初の考えでした

がしかし
参加する回数が増えるにつれ

たくさんの人たちと
出会うことができる方が
楽しすぎて

勉強会の内容なんかより
人とつながる方が優先されていた

ような気がします

(笑)

精神科医は、しっかりと選びましょう


そこで知り合った人たちの中に
一定数いるのが

僕は適応障害です

私はHSPです

うつです、ADHD、PTSDです

と、初対面の挨拶で
言ってくる人たちです

その人数が多い時もあって
この勉強会
グループセラピーの会だったのか?

と、思うこともあるほどです

タチが悪いと
その場でセラピーに持ち込まれます

がしかし

そもそも肩を並べて
学んでる生徒同士だと
お互いに認識しているので


習いたての質問をしてみても
結局、相手は
自分の言いたいことだけ言ってくるだけで

何の解決にもならないんです

仕掛けられた方は
何だか侮辱されたみたいで
凄く気分が悪くなる

そこも、楽しみのひとつだったりしました

そんな経験を幾度となくして
ひとつ共通点があることに気づきました

この類の人たちは
なぜか
自分は統合失調症だ

と言わないのです

これは実に面白い結果でして

ただ単に統合失調症の人が
いなかったのかもしれません

統合失調症の人は
そもそもこういう勉強会に
参加しないのかもです

でも、仲が深まっていくと
え?
この人、統合失調症なんじゃないの?

と、疑ってしまうことがありまして

きっと言われたくないんだな
と、どこか共通の認識がある
そんな気がするんです

さてさて
俺の勝手な妄想はさておき

この人たちは
すぐに親のせいにします

これは間違いない

ネグレクトの犠牲者や
ソシオパスがいるように

幼少期、本当に過酷な環境だったかもしれません

でも、その体験が実際にどうだったのか
内観によって検証する必要があります

自分だけが過酷だったと
勝手に受け止めていないか、という検証です

なかなかの確率で
事実ではない出来事に変換しています

というのも俺がそうでした

両親から溺愛されていたにも関わらず
虐待を受けていた、と
心の奥底で信じていたんです

ひっくり返りそうになりました

一生懸命だった両親の姿を感じた時
涙があふれて止まらなかった

もうこんな自分、やめよう
って思ったのでした

教訓

病んでる人は
共依存や自己憐憫にひたって
一生懸命、苦しみを謳歌している

病んでいる、という美学

これが
48歳の今の時点での解釈です

というのも
人の心ってタマネギみたいで
剥いても剥いても
相反する思いが交互に出てくるんです

昨日まで親に感謝してたのに
今日になってムカついてたまんない

みたいな

なので、明日以降
俺の解釈はまた真逆になるかもしれない

そこで、今の解釈、としています

さぁ、最後にもうひとつ
俺の偏りまくったお笑いネタ

これをやったら
コイツ危険
と判定する基準があります

にかわを見ながら、焼き味噌おむすびを鯛茶漬けにすると
精神性が高まる気がする(笑)



それは、カラオケに行って

浜崎あゆみのseasonsを歌ったら

すごく注意です

(笑)

※この歌好きな人、ホントごめんなさい
 あくまでも俺の勝手な判断です

人は幸せになるために
生まれてきたわけではない

truth or lie

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