見出し画像

コインの表と裏

私は、祐介と一緒にどこかに行ったり
誕生日を祝ったりするのが
幸せだと思っているから
それができないって言うなら
この家を出て行くね

奈保は、思いがでしゃばりすぎないよう
必死で気持ちを抑えながら
夫、裕介に思いを伝えた

すると祐介は
奈保の家出をすんなり受け入れてしまった

その飄々とした態度を見て
奈保は確信した

裕介は、浮気をしている

昨日、というか今日
日付が変わるまで
奈保は裕介にどこに行っていたのかを問い詰めた

今までにない奈保の狂いように
裕介はかえって冷静さを取り戻したのか
女のところだったらどうする?

そう開き直られてしまった
奈保の頭の中で何かが切れる音がした

裕介と結婚するまで
奈保は男性とまともな付き合いを
したことがなかった
裕介の猛烈なアタックにほだされて
この人ならいいか、と結婚を承諾したのだった

2年後、娘が生まれた

と同時に
奈保は念願だったヨガ教室の講師になれた
本職の仕事帰りに、ヨガを教えていたので
帰りは裕介の方が早くて
娘の世話を引き受けてくれた

奈保の夢の1番の理解者は
夫の裕介だった

娘が大きくなっても
裕介は娘に先に夕飯を食べさせ
奈保の帰りを待って
夫婦2人で夕飯を食べるようにしていた

そんなことしなくていい
何度も言っけれど、一向にやめようとしないので
それが裕介の愛情表現なのだろう

長い月日を経て
2人の遅い夕飯は、慣習となっていった

また結婚記念日、誕生日
そして年末年始
裕介は色んなところに連れて行ってくれた
娘も父親が大好きで
私以上に裕介に懐いていた

3人で、幸せだった

娘が、大学の語学留学で
1年間海外に住むことが決まったのは
今年になってすぐのことだった

そしてそれを機に
奈保は裕介からあることを告げられた
そう、いつもの2人の夕飯時に

これからは
俺は自分の好きなことを
優先させてもらうことにする

う、うん

別に悪いことじゃない、むしろ良いことだ
奈保は思った

奈保に一途だった裕介が
好きなことをするとなれば
もっと一緒に楽しいことがあるんじゃないか
もっと色んなところに連れて行ってくれる
そんな期待があったからだ

ところが

あの宣言以来
裕介は、奈保が寝る頃に帰ってくるほど
遅くなっていた

翌朝、何をしてきたか聞いても

野球の観戦、飲み会
買い物、漫画喫茶、映画

今まで聞いたことがない
裕介の一面ばかりを知らされた

かろうじて

今年の結婚記念日には
フラワーパークに連れて行ってくれた
ハーブを買いたい、と奈保がゴネたからだ

一緒に写真撮るの
やめてもらえないかな

もう買ったんでしょ?
早く帰ろう
俺、野球仲間と会う約束してるんだ

裕介の自分ファーストは
あの宣言から一貫していた

菜の花が揺れる花畑をバックに
裕介の後ろ姿を隠し撮りし
何もなかったようにインスタに投稿した

今日は結婚記念日
旦那に◯◯フラワーパークに
連れてきてもらいました
ハーブをいっぱい買って、帰ります


裕介は、奈保からのLINEを見て
返事をするのも嫌になった

次の教室の打ち合わせが入って
遅くなります
なるべく早く帰るからね

奈保のヨガ教室は少しずつ広がりをみせ
本職をパートに変えて
徐々に大好きなヨガへとシフトしはじめていた

だが、収益はほとんどない
奈保の夢は、裕介の収入を土台に
成り立っているのだ

そう思うと、時々憎らしくなった

娘が高校生の時までは
夕飯は娘に先に食べさせて
奈保の帰りを待って2人で食べるようにしてた

当初は娘の1日がどんなだったか
奈保に話してあげたい
という気持ちがあったからだった

娘の成長とともに
相談したいことも増えてくる
男親では踏み込めない領域を
カバーして欲しい、という気持ちもあったのだ

この夕飯の時間は
奈保が家族でいてもらうために
絶対不可欠な時間だった

その娘も大学に進学した
裕介と奈保で成人式の晴れの姿を見た時
まず、1つ片付いた
裕介は重かった胸のつかえがとれた気がした

この犠牲の数々が報われた瞬間だった

娘が留学に旅立つ日
裕介は玄関先で、笑顔で見送った
娘も満面の笑みで
自分だけの楽しみに羽ばたいてゆくようだった

娘が高校の時
裕介は奈保に進路のことで
何度も相談したことがあった

相談を持ちかけると
奈保は決まって

私、ヨガ講師をやめた方がいいんじゃない?
と、裕介に聞いてきた

悪びれた風でもなく
何なら子育て変わろうか?
くらいの軽いノリで聞いてくるのだ

そのたびに、いやそうじゃなくて
というと、今度はびっくりするほど
安心した、と言わんばかりに胸を撫でおろしていた

自分が好きで活動していたものまで
俺に決断を委ねるのか

もしもの将来
あの時、裕介がやめろと言わなければ
こんなことにならなかった
などと言われたら

俺は奈保を、殺してしまうかもしれない
裕介の中で、決して大袈裟な話ではなかった

あの奈保の言葉を境に
奈保を愛する思いと憎しみに
逆転現象が起こってしまったのだ

今年の結婚記念日は憂鬱だった
できれば朝から出かけてしまいたかったが
奈保がフラワーパークに行きたいと言い出した

奈保は車の運転ができない

午前中で帰って来ればいいか
モヤモヤする気持ちを抑えて
奈保をフラワーパークに連れてゆくことにした

2人で出かけて、何が嫌なのかというと
インスタにツーショットを投稿することだった

奈保のインスタには、偽りの幸せだというのに
祝福コメントがたくさんは入る
それを見るたびに
裕介は嫌悪感が募るばかりだった

一緒に写真を撮るの
やめてもらえないかな

極力、傷つけないように
言ったつもりだったが
後からインスタをチェックすると
俺の後ろ姿がアップされていて
ラブラブですね、とコメントが入っていた


奈保の実家は、電車を乗り継いで1時間
海沿いののどかな田舎町だ
家を出る、と裕介に宣言したものの
奈保に帰る場所などなかった

奈保の両親は、思いのほかクールで
正月に帰省した時も
うちに泊まるんだったら
晩ご飯はあなたたちが用意してね
母から宿泊費ともとれる条件を提示されて
奈保自身もそうだが
裕介も娘も、さすがにひいていた

そんな母親が、家出した奈保を
甲斐甲斐しく迎え入れてくれるわけがない

実家の前で
奈保はますます憂鬱になった

50にもなって
旦那に愛してほしいとか
あんた、どこまで気色悪いの
あぁぁ、気持ち悪い

案の定、散々な言われようだった
それもそのはず
奈保の父は、女癖が悪く
何度も母を泣かせていたのを知っている

その経験から、母は学んだのだろう
男に生活費以外を求めるなんて
自分が傷つくだけだと

それを分かっていながら
旦那の浮気で実家に帰っきた娘など
当てつけに思えたに違いない

やっぱり、ここに来るんじゃなかった
甘やかしてくれる親とは思わなかったが
奈保の親である以上
わずかな可能性だとしても、優しさを求めてしまう

そうやって、何度も何度も
傷ついたのに
また繰り返してしまった

私は母のようには
決して
ならない


裕介は、心が躍っていた
今日からひとりになれる
もはや罪悪感は微塵もなかった

仕事を早めに切り上げ
コンビニで弁当と缶ビールを買うと
早々に家路に向かった

裕介は、この半年
家に帰るのが嫌だった
この歳になると付き合ってくれる友人など
滅多にいない
ましてや、浮気ができるほど
甲斐性など、裕介にはないのだ

そして、娘が悲しむことだけは、したくない

毎日毎日、裕介は漫画喫茶で時間をつぶし
奈保と同じ空間にいることを避けていた

依存が過ぎる奈保が、アレルギーだった

このまま、奈保が実家にいてくれたらいいのに
娘が帰ってくる頃に
また3人で暮らせばいい
そして娘が独立したら
また、別々に過ごせばいい

それまでは、自由にさせてほしかった
束の間でいい
解決などしなくていい

ただただ、今一緒にいたくないのだ

なので今日は、家路の足取りが軽かった
こんなのはいつぶりだろうか

裕介がマンションの玄関のドアを開けた
廊下の向こうに内ドアがあって
その向こうがリビングだ

内ドアにははめ込みの磨りガラス窓になっており
そこからリビングの光が漏れている

え?

裕介はなぜか足音を立てないようにした
嫌な予感が自分の存在を消そうとさせる

裕介が内ドアのノブに手をかけた時
お帰りなさい
聞き慣れた声がした

奈保だった

これから、ヨガ講師をやめて
家事を全部して
裕介と夕飯を一緒に食べることにする

奈保は、笑顔で裕介に言った


この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?