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仕事が出来ない⑤

「暁先生」
名前を呼ばれふと我に返った。返るべき我がある事に驚いた。私は放心したまま、その場から動くことが出来ずにいたのだ。
「この書類の確認お願いします」
気を使ってくれたのか集中出来る作業を提供してくれた。
日付、名前、内容、サイン、次から次へと目に映る情報を頭を使わず処理していく。抜けがなく既に処理された書類というのはすぐ分かった。
定時になり、その日は直ぐに帰宅出来た。ご飯を食べ風呂に入り、目を瞑る。時間は平等に流れ、何一つ変わることなく次の日はやってくる。
快眠だった。目が覚めた時、昨日の事などなかったかのように心に空いた穴は閉じ、いつも通り職場に向かい自転車を漕ぐ。
「おはようございます」
いつも通り挨拶は返ってくるし、皆それぞれの仕事や準備に取り掛かっている。つまり仕事とはそういうものなのだと自分の中で折り合いをつけた。
変わらずの1日を過ごす中で「やりたいこと」について私は何度も自問自答を繰り返す。返ってくる答えはいつも同じで曖昧なものだ。
客観的に見れば、子供達の命を預かり真っ当に生きるための、知識や教養を与える立派な仕事。だと思う。果たしてそうか。真っ当に生きてはいない、その意味すら分からない己が子供達に何を教えるのか。命を預かるというのは最低限だ。ただただ流れる時間を浪費するだけの生活に、その責任を真摯に受け止め、仕事に務める職員は果たして何人いるのだろう。
あの日以来、業務中に考え事をすることが増えた。
解決する訳では無いのに自問自答を繰り返す。突き詰め、生きる意味について考え出した時は最早末期だ。一般的にいう鬱状態に陥っていたのだと思う。
やりがいなど感じられることなく仕事に集中した。
何度か同僚に弱音を吐いた事がある。
「この教室について」「転職を考えている」等
プライベートについて話すことも多かった。
自分の考えが甘かった。閉鎖的な教室では情報は筒抜けで次の日には他の職員も何故か知っている。
同僚には怒りは覚えたが口にはしなかった。そもそも、ここはそういう場所なのだと諦めた。
もちろん他の職員に聞かれたり雑談の延長で話してしまったり、色々背景はあるのだろう。最早追及する気にもならない。
全て口から出る煙と一緒に空へ消えていった。感情も流れていけばどれだけ楽なのだろうと他愛もないことを思いながら煙草を吸う。
まだ体が動く内は大丈夫だと思い休みの日には仕事を探しに出かけていた。
高校時代の時に簿記や英検の資格は取っていた。それらを武器にして就ける仕事はないかと相談するのだが自分のやりたいことというのは二の次だ。
生きている意味同様、やりがいなどは後からつくものだと思った。
仕事は辞めるのは簡単だが次の職を探し、板に着くのは難しい。もはや子供に携わる仕事に就くのは辞めようとも思っていた。子供達は常に新鮮な考えを持ち不意に突拍子もない行動を取るもので、その無邪気さに自分の過去を重ねて救われていた部分があったがそれが原動力になり、支援に繋げる仕事に就いた。はずだが、いつしか考えは排他的になり、その眩しさは心に1度空いた穴をえぐるように傷つける。
「もう疲れたなぁ」
食卓で無意識に口から出た。家族に相談したことは無かった。返ってくる言葉は分かっているし根本的な解決にはならない。
結果だけ伝え、親に呆れた顔をさせる私は親不孝者なのだろう。
きっと今回もそうだ。私は今の仕事から抜け出す事を優先順位にあげ、仕事も自分で気付くほど手を抜いていた。変化に敏感な子供は気付いただろう。子供からの相談や口数も減った。
結局やりたい事もやりがいも不透明なまま振り出しに戻った訳だ。
だけど今はあの頃の様な焦燥感や不安はない。何故かやる気がふつふつと心の奥で煮えている。
先の見えない暗闇に光が差すような、指先まで浸かりそうな沼から這い出でるような。救いの手はないがそれでも己の力で抜け出せる気がしたのだ。
次の日も仕事だ、いつもと変わらない1日が始まる。天気は曇りらしい。心の中を代弁してくれているような曇天の中を私は変わらず自転車を漕ぐ。


これからも私の物語は続きますが「仕事が出来ない」シリーズはこれにて終了になります。
目を通して頂き、ありがとうございました。


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