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仕事が出来ない

この見出しを語るにあたって先ず自分の生い立ちについて話さなければならない。
生まれは大阪で特別裕福でも貧乏でもない家庭だった。私が小学4年生になるまで父親は夜の遅くまで働いていたので顔を合わせる時間も少なければ話したことも少ない。その影響もあってか24歳になった今でも仲は良いとは思わない。
子供心ながらいつかは自分もこうなるのかと将来への不安や絶望を感じていたのを覚えている。
時は流れ高校3年生の夏、進路相談にて自分がやりたい事がないことに気が付いた。夢や、やりたい事というのは成長するにつれて現実を知り、段々道は狭くなっていくものだ。小学生の頃は多少なれど夢はあっただろう。今はもう覚えていない。流れに身を任せて成長してしまった結果、進路相談で現実を直視する。やりたいことが無い。周りは就職や進学が決まっていた様子だった。私と同じくやりたい事がなくどうすれば良いのか、自分の事ながら分からない人もいただろうが相談はしなかった。己の将来について傷を舐めあったところで互いに虚しくなるだけだ。人によってやりたい事は違うし進む道も違う。
ここでいう「やりたい事」というのは自分が将来、どのような仕事に就くか、それと=なのだ。
現実から逃げるようにそそくさと家に帰ったつもりが親からも現実を見せつけられた。
最終的に大学はやりたい事がないから悩む4年間だと曖昧な答えを出した後、私は大学に進学するのだが、結局大学でも「やりたい事」というのは見つからずタバコの吸い方とパチンコの打ち方を覚えただけだった。
アルバイトはしていた。スーパーの品出しや焼肉屋、居酒屋から派遣等。転々と風景だけが変わった。ここでも自分の本当にやりたいことは見つからず、めんどくさいと思った次の日にはどれも辞めていた。要は社会を舐めていた。
タバコと自堕落で若さを消化しているうちに親から新たらしいアルバイトを紹介された。今までは自分で時給の良さや働きやすそうな所を探し面接に行っていたので親からアルバイトの話があがった時は少し危機感を覚えた。何に対してかは分からない。
その「アルバイト」が今後の私の人生を大きく左右していくのだが、今日はこの辺で一旦終わりにしよう。また近いうちに続きは書いていくつもりだ


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