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【大いにネタバレ有り】FF7:REBIRTHは「シン・FINALFANTASYⅦ」である。

FF7のリメイク3部作のうち2作品目とされるFINALFANTASY Ⅶ REBIRTHをようやくクリアした。思うところがかなりあったので連投している。

激しくネタバレを含むので、結末やらを知りたくない方はここでそっと戻って頂き、Youtubeで山田玲司のヤングサンデーでも見ることを推奨します。

リメイクの様式

映画にせよ音楽にせよアニメにせよゲームにせよ、「リメイク」的な手法が存在する。定義がいろいろあって正直これを語ることができるほどのプロではないが・・・おおよそこんなところだろうか。

・リミックス:過去のタイトル・作品を、味付けを変えて何度も味わう楽しみ方。TM NETWORKの「GetWild」がそれだ。オリジナル製作者が手を下すこともあれば、外部に委託することもある。発端はGetWild’89で、小室哲哉氏はこの手法を自らのブランディングに取り込むことに成功した。その時々の小室哲哉氏が着目している音楽&使用している機材をふんだんに活用した、最先端の音で大好きな作品を、ナンなら隔年ペースで楽しむことができる。

・セルフカバー:過去の作品を基本同じ構成で現在の技術で再現する。楽曲の展開そのものに真新しさは無いが、積み重ねてきたキャリアにより明らかにパワーもスキルも増した状態でのクリエイティヴ作業をこなせるため、完成した作品はファンとしては大変満足度が高い。最近ではLUNASEAが名盤『MOTHER』と『STYLE』を現代にレコーディングを行い、ファンの度肝を抜いた。やばい。古い&懐かしいはずの楽曲や映像作品を、現代の彼らの演奏クオリティで楽しむことができる。

・カバー:すでに存在するタイトル・作品を縁のある別のアーティストが演奏・歌唱する。B’zがGetWildを歌うと、それは「カバー」である。同じ楽曲を新しい視点で見つめることができる一方、「なぜこの人たちが?」と政治事情を感じてしまう選定がなされることも、ままある。Get Wildってつくづく「発明」だったのかもなぁ。

・リメイク:過去のタイトル・作品を、ある一定の解釈のもと新しい作品として再構築する。程度の差はあれど、一般的にアニメーション作品は「リメイク」という表現を採用することが多いように思われる。

・シン・XXXX:現在放送中の令和版「うる星やつら」は一般的には”リメイク”と表現されるが、当時のT Vアニメ作品は高橋留美子オリジナル作品に押井守監督が多大な解釈を行なったものであり、逆に令和作品の方が原作に忠実であるとも捉えることができる。よってこの辺踏まえると「リメイク」云々の定義と線引きは、大変難しい。そこで編み出された概念が「シン」である。

本来「リメイク」が持っていた意味合いから「再構築」成分が色濃く注入された作品に付与されるケースが多く、庵野秀明監督が確立した。シン・ゴジラ、シン・エヴァンゲリオン、シン・仮面ライダー …「忠実なオマージュ」から「公式公認の同人作品」まで幅広いが、作品に対する「愛」が無いと成立しないケースがほとんど。

ファンの想いと思い出補正

さて。FF7である。
私たち失われた世代にとって、リアルタイムに「あの時代に学生時代を過ごせたこと」を誇らしく思うことができる数少ないカルチャーに「ゲーム」がある。ファミコン→スーパーファミコン→プレイステーション・・・と、いわゆる技術革新とともにコンピューターの性能が飛躍的に進化していった時代。クリエイターの方々が工夫を凝らし、さまざまなゲームを世に問うた時代。

FF7が何なのか?とか、その開発ヒストリア的な情報はここでは割愛する。知らない方は世界中のレビューをどうぞ。1997年にそれは発売された。発売されたら、もう大ヒット。バイト先でも大抵の人がFF7をプレイしていたり
、流通販売チャネルとしてコンビニでゲームを売る専用環境があったり。世の中の遊びの大きなポジションに「ゲーム」が存在していたよなぁ。時間がたっぷりあった学生時代だし、時間の流れそのものも今よりずっとゆっくりだった。

そのFF7が、ついに「リメイク」された。そしてリメイク2作目が発売され、先ほどようやくクリアを迎えた。

普段ゲームなんかやらないし、ゼルダのオープンワールドがすげぇ、とかいう話も正直疎い。故に最新のゲーム事情を知らない状態でプレイしているので、正直ついていけない部分もあった。ドラクエ11はニンテンドーDSで2Dモードでやり切ったくらいだったのだよ(w)。そんな状況で、オープンワールドになった前作FF7から、私は触れたのだ。はっきりいって、超スゲえ。街やダンジョンの作り込みは常軌を逸しているとしか思えない情報量で圧倒されたし、「そうか、コスモキャニオンはこうなっていたのか」とか「そうか、こんなゴールドソーサーイベントあったなぁ」と驚きと新発見・再発見の連続で、めちゃんこ楽しむことができた。ありがとう、スクエニの人。本当にありがとう。

そして作り手の想い・産みの苦しみ

ハイクオリティなグラフィック。モーションキャプチャー。成熟を迎えた感のあるCG技術。グランツーリスモとか見てると、実写映像なのかゲームなのか?一瞬迷う時があるほどだ。これが現代の技術である。

では、CGゲーム黎明期の1997年。FF7 で表現されていたことはチープだったのか?心に訴求するものはなかったのか?

否、である。心に「グッ」とくるものはあったし、なんならストーリーを2周し、2周目では「完スト」したくらいのめり込んだ。そんなゲームは、後にも先にもFF7だけだ。

逆に、ではCG技術が成熟した現代において心に訴求するものは当時以上か?と言われれば、これも否、である。いかに美しい「絵」を見せられても、それだけで人は満足しない。どこまでいっても作品のストーリーがあってこその映像、それを支えるための技術なのだ。「技術」そのものを見ても関心こそすれ、心は動かないのだ。となると・・・そこには「バランス」が大切になってくる。

・元々FF開発陣は「映画のような圧倒的な映像」をゲームで表現することを強く意識しているとされる。その上で、これはあくまでも「ゲーム」である。いわゆる「ゲーム」要素をどこまで取り入れるか?という葛藤が存在するはずだ。
・これは「リメイク」作品である。原作にどこまで手を入れるのか?あくまで「カバー」すればそれで良いのか?の葛藤もあったであろう。
・これをプレイする層はどのような人たちか?(ペルソナ)ユーザーは何を求めているのか?

なぜこんなことを書いているのかというと、このFF7リバースに於いて徹頭徹尾この全体バランスが貫かれているのか?正解に至っているか?が、極めて疑わしいと感じる部分が多々存在するのである。

故に、せっかくのFF7の世界を心の底から楽しむことができなかった。
故に、せっかく感じたかった、観たいと思っていたゲーム体験ができなかった。
故に、ああ、昨今のFFの悪いところがこびりついた上でのFF7なんだな、という思いが前作より強い印象を持ってしまった。

ありていに言えば、こうだ。

・めんどくさい設定いれすぎ。「カバー」でいいんだよ「カバー」で。
・ファンが「観たい」と思っている場面が判らないはずがない。が、肝心なところで「そうあって欲しい」とファンとして思っていた流れにならない。


強烈なネタバレとなるが、まさかシリーズ屈指の名場面、忘らるる都における水葬のシーンをすっ飛ばすとは思わなかった。ひどい。あまりにひどい。

並行世界と絡む話と辻褄を合わせるためなのかもしれないが、あのシーンだけは削ったらダメだろ。あれはオフィーリアの水葬であり様式美なのだよ?ジュノンでイルカのイベントにリソース割くより2兆倍大事だ。

あまりにひどいと思ったので、動画でオリジナルFF7の「忘らるる都」の同イベントシーンを観てきた。

完璧だ。

CGポリゴンははっきりいってしょぼい。音楽も音源としては天地の差がある。それなのに、怒り、悲しみ…キャラクターは喋らないはずなのに、ちゃんと伝わってくる。

演出も完璧だ。「エアリスのテーマ」のまま、エアリスを殺めたボスキャラ戦闘に突入する。そして、セフィロスの冷たいセリフ。仲間たちが別れを惜しむ姿が丁寧に、丁寧に描かれ、水葬へ。

ああ、完璧だ。

現代の技術で、
最高のオーケストラで、
この水葬シーンを魅せてくれたらどんなに素晴らしかっただろう。

前作、FF7リメイクのオープニングCGが完璧であったが故、余計に悔やまれる。あれをそのまま全編通してやってくれたらよかったんだ。

曲もそこそこにぶった斬り、ボス戦に突入する。仲間が斬られたと言うのに仕様としては戦闘モードのアクションをするから、キャラがコミカルに喋りまくって敵を叩いている。ビートのある戦闘曲が、今回ばかりは逆効果になっている。こんなことに開発陣が気づかないはずがない。全て分かった上で採用しているのだ。そしてそれは多分、失敗だ。クリエイターの方々にはとてつもない重圧と産みの苦しみが当然あったと思う。。否定はしたくない。けど・・・

さらに。たたみかけるように複数のボス戦が続く。感情移入もへったくれもない。2作め最後の戦闘であろうから仕方ない。。。なんてこたーないだろ?さらに並行世界を行ったり来たりしながらの戦闘なので、さっき斬られたエアリスが戦闘パーティメンバーに参加してきたりする。

嬉しいかね?
いくら「エアリス生存ルート」的なものを望むファンの声があったとして、さっき斬られたキャラクターが精神世界とはいえびょいぴょい闘いに参加してくる演出を見て、嬉しいかね?

途中まではまだマシだったのに、最後の最後にめちゃくちゃですわ、これ。

追加要素や、新たな解釈というものは「ちょっとしたエッセンス」程度に含まれていて、あってもなくても害のない範囲に留まっていればそれでいいんだよ。ストーリーの根幹に関わるようなところまで踏み込んだ追加要素をいれたら、それはもう「リメイク」の域を超えた
シン・FINALFANTASYⅦ  :||」だよね。さらに悪いのは、FF7の場合原作に追加要素を三つも四つも入れて、整理統合されていない状態だということ。

FFの悪いクセが、相変わらず出たな、と。次、どうしようかなぁ。何年後になるか知らんが、こんなんだったらもう買わないかもしれん。。



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