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道徳教育の在り方とは?

 近頃、道徳が必修教科になるということで話題になっている。必修教科になるということは生徒たちが道徳の授業を受け評価されるということだ。そこで、道徳とはどういった教科なのか考えた。

そもそも道徳の授業とは?🤔
人々が互いを思いやり、考え、行動し、多角的、多用的に考える授業である。そして、答えがなく、自分自身で感じ、考える教科であると私は感じる。

そこで、疑問に思うのが「答えのない教科をなぜ必修教科にするのか」ということである。
理由は、道徳教育をやっていなかったり、適当に授業をしていたり教育方針が学校によって異なるためである。他国と比較すると日本は道徳教育を世界1していると言われている。しかし、近年SNSが迅速に発展していく中で、誹謗中傷的な書き込みやネットいじめなどが増えてきている。つまり、道徳教育が行き届いていない(時代に追いついていない)ということだ。
まず、道徳教育を日本が1番している理由について私の考えを述べようと思う。
・文化的な考え?
・民主主義を維持するのに必要?
このような考えが浮かんでくる。

次に、これまでの道徳教育について意見を述べたいと思う。
私は教育者ではなくましてや学生の身であるため偉そうに言える立場ではないのかもしれないが述べさせて欲しい。
私が小、中で学んできた道徳教育は以下の通りである。
・教科書を読む
・プリントを配られる
・いじめはダメ、いじめられてる人がいたら助けてあげようなどという話をされる
10年も前の経験なので、記憶は曖昧であるがこのような感じで授業を行なっていたのは覚えている。
私は、そもそも教科書があること自体がおかしいと感じる。まるでマニュアル通りに進められている気がしてならない。そして、これにより教師に安心感を与えているのではないか。また、道徳の授業に体育祭の準備や文化祭の準備、席替えなどを行った。私は、道徳はこんな感じで適当にやる授業ではないのではと感じる。さらに道徳の授業は担任制で担任の先生が教えてくれる。しかし、ここもまた学校によって教育のばらつきが出てしまう原因なのではないかとも感じる。
先生も道徳の専門性のある教師が教えるべきなのではないかと考える。そうすることで、より深く学び、感じ、考えることができるのではないか。

私の友人が言っていた言葉がある。
「数学教育や英語教育は今後、AIに変わる可能性がある。でも、道徳教育はAIにはにはつとまらない」
この言葉はなるほどなと感じました。統計的な教育はできても人の「心は人にしか教えられない」ということ。最後に人が教えるのは道徳教育であるということ。そのためにも、道徳教育の質というのを高める必要がある。
私は今後の道徳教育の発展に期待したい。

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