私がコロナ関連の話にこだわる理由

謝罪

AKIRAです。
まずは、皆さんにお詫びを申し上げなければなりません。

↑の記事について、冷静さを欠いた文面になってしまったことをお詫び申し上げます。
もしかしたら、純粋にウイルスというものに対して知識がなくて本当に知りたいと思っていらっしゃる方に対して適切な言葉選びではなかったと思います。

しかし、申し訳ありませんが私にもこのことにこだわる理由があるのです。

生命医科学研究の意義は人体の健康を守るための手がかりを探すことにある

はっきり申し上げて、今の生命科学の業界における当たり前は変性してしまっていると言わざるを得ません
研究で得られた知見は人類の健康を守るためのものであり、その健全性を保証するためのものです。

決して金儲けの道具ではありません
だからこそ、あのコロナ禍においてワクチンをはじめとした生命科学研究の技術応用は、悪用されたといっても過言ではなかったのです。

そういう意味でいえば、「ウイルスが存在しないかもしれない」という風潮を生んだ原因もコロナショックによるものであると言えるでしょう。
しかしながら、その考えは下手をすると人類が築き上げてきた膨大な知見の積み重ねをすべて無に帰してしまう行為なのです

それをすることが許されない、とまでは言いませんが、それならば相応の覚悟を持って主張をしていただきたく思います
あまたの研究者が積み上げてきたものを一言で覆すのは、容易ではありませんよ?

研究を生業とする人間には相応の責任が求められる

だからこそ、彼らは自身の成果に対して責任を持たなければならないのです。どれだけ画期的な発明、発見であってもそれが社会に対してどんな影響を及ぼすのか?
それを考えられない人間がデータを扱う危険性を皆さんは想像できますでしょうか?

ワクチンなんて代物はまさしくそういうものです。
健康な人間に対して使用するものをリスク度外視で得られるプロフィットにのみ焦点を当てる医療品など何の価値もありません

このような無茶な開発がウイルスというものに対する疑念という訳の分からない方向への信用の喪失を生むのです。

もう一度冷静に

今一度、我々は「何を疑うべきなのか」を考え直さなくてはなりません。世の中で発信されている科学技術がすべて手放しで善いものだと…果たして考えてもいいのでしょうか?

もし、この記事を読んでいてくれている方がいらっしゃるのであれば、私の記事をきっかけにして皆さんの冷静な判断の材料にしていただけたらと考えています。

短いですが、以上になります。
それでは、失礼します。

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