母が新型コロナウイルスに感染した。2月1日に高熱の症状が出て、2日にはPCR検査で「陽性」の判定。保健所からの連絡は5日午前だった。保健所の業務がひっ迫しているとは聞いていたが、重症化リスクのある高齢者が4日間、何のケアもされずに放置されてしまう。これはやはり異常事態だ。幸い、母は介護施設で働いていたため早くに2度のワクチン接種を済ませていた。仮にワクチン接種の効果が切れていて、しかも感染したのがオミクロン株ではなくデルタ株だったらと思うと、ゾッとする。日本はどちらかというと、欧州と比べて新型ウイルスの封じ込めに成功してきた国ではあるが、最初の感染が見つかってから2年も経つというのに、こういう医療や保健所のひっ迫が相変わらず続いている。いったい何のために憲法や法律が存在しているのか。つか、政治家はコロナで絶滅してしまったのだろうか。
今週もニュースの切り抜きから。
これは、2013年2月12日に衆議院予算委員会での論戦である。私は当時、ネット中継をリアルタイムで観ていた。夕刊フジはこれを美談として記事にしているが、私には都知事4期目の延長戦をやっているようにしか思えなかった。しかも、もう終わってしまったはずの三宅島のNLP問題をわざわざ蒸し返した。
NLPとは、米空母艦載機離発着訓練のうち夜間に行う訓練で、現在は硫黄島で行われている。かつて三宅村では受け入れの賛否を巡り村を二分する騒ぎになったが、強い反対運動で実現には至っていない。石原氏は、2000年の噴火で三宅村が疲弊しているから、NLPを誘致しろと、当時就任したばかりの安倍晋三首相に迫ったのである。
もちろん、これにはさすがの安倍首相もゼロ回答だった。私の地元にある厚木基地は、硫黄島が天候等で使えない場合の代替場所だったので、深夜にものすごい轟音に悩まされたことがある。本当にシャレにならないのだ。政治家としての信念があるのならともかく、18年ぶりに国会に復帰して、今さら昔話を持ち出されても、三宅島の島民からしたら迷惑な話だったのではないか。
最盛期には新聞各社が番記者を付けていたから、いつも顔を見る記者には安心して口を滑らしただろう。どうしても彼自身が吐いたヘイトの数々が目立ってしまい、ネットでは片方が神格化し、もう片方が全面否定する光景が見られるが、その人となりは冷静に捉えるべきだ。シャイでやさしい老人が、外国人や障がい者、高齢者をあからさまに差別する発言を繰り返していたのだ。そういう老人が大衆の熱烈な支持を得ていた。
参院議員である蓮舫氏がたかが「都葬」ごときで意見する理由が分からない。「都葬」というのは、財政状況でやったりやらなかったりするものなのか。コロナ禍だから参列できる人は少なくなるかもしれない。豪華絢爛に行うのは、石原さん自身も望んでいないだろう。粛々と行えばいいのではないか。Twitterでも都葬の開催に反対するハッシュタグが登場しているが、「俺の気に入らない都知事の都葬に税金など使わせるか」というノリでやっているのだとしたら、とことん軽蔑したい。
ちょっと何言ってるのか分からない。
最初、病床使用率50%で緊急事態宣言を要請するはずだったのが、あっという間に50%に達したことから、宣言の基準をわざわざ細分化し、ハードルを上げてしまった。そもそも、実効再生産数が次第に下がっているというのに、新規感染者が2万4千人など、本当にあり得るのか。 つまり、宣言を出さなくていい理由を後付けで作っているのである。こんなことをやっていたら、基準の意味がない。
検査しないで、「オレコロナ」と判断して自主療養に突入した場合、それは学校や職場に対する説明ができるのだろうか。下手すると、「今日、咳出るんで、オレコロナ」と言えば、勝手に自主療養に突入できてしまう。最後に、「インフルエンザも皆が病院に行くわけではなく、自宅でじっとしている人もいる」というのは本当なのか。軽症で、自分がインフルエンザと気づいていないケースはあり得ると思うが。
原発の再稼働は、今も現在進行形の課題。本当に地元が原発再稼働を望んでいるのであれば、堂々と住民投票を行えばいいだけのことだ。そういう住民に身近な問題を政治家にお任せしないで、市民が意思表明していく。民主主義としては健全だ。
米子市議会で、その住民投票条例案の質疑を行っている最中に副市長が自席で倒れ、意見開陳に立っていた市民団体の代表が介抱したというエピソード。副市長はご無事で何より。
新幹線が通る代わりに並行在来線が廃止されるという全国どこでも起きている矛盾。これってつまり、倶知安にたどり着いても、そこから先の鉄道が存在しないということ。バスがあるじゃないかと思うかもしれないが、これまで北海道内で廃止された赤字ローカル線の代替バス路線はほぼほぼ壊滅状態である。人口減少でバス路線が廃止されたり、便数を減らして走っていても不便すぎて誰も乗らない。ほとんど地元の意地で空気を運んでいる路線もある。
JR北海道はそのうち大多数の在来線を放棄して、北海道新幹線の経営会社になってしまうのではないか。
JR大糸線の糸魚川・南小谷間は、川沿いの風光明媚なローカル線だ。南小谷以南は、新宿からの直通の電車特急が走っている。かつては北陸本線からの直通のスキー列車が白馬まで走っていたが、北陸新幹線の並行在来線がJRから切り離されて、もう実現は難しいだろう。大糸線は、北陸新幹線の並行在来線ではないが、開通の余波で他の在来線から孤立した盲腸路線となってしまい、JR西日本としてはテコ入れの手段を失ってしまったと言える。
ちなみに、長野県は大糸線とほぼ平行に走る高規格道路「松本糸魚川連絡道」を計画している。
まずは、その一部である「安曇野道路」の事業化を目指しているが、将来的には糸魚川まで延伸することは確実だ。この高規格道路が完成すれば、大糸線全線の存続すら危ぶまれるのではないか。今回、一部区間の廃止を免れたとしても、どこかでまた蒸し返される運命にある。
奇しくも、石原元知事の亡くなった日の前日に調査活動が行われている。これは偶然なのだろうか。
つまり、前回の知事選と同じ組み合わせ。4年前とは「オール沖縄」の力関係がかなり変化しているが、やはり現職は強い。タイミングにもよるが、コロナ禍が一段落していれば、有権者の空気も今とは様変わりしているだろう。そこに、普天間基地の地元市の市長経験者が出てくるというのは、どうなのだろうか。基地移設の是非でガチンコ勝負となると思うが。
馬毛島の基地計画を巡って「反対」だったはずの市長がいつの間にか条件闘争をしていて、市民がひっくり返ったという顛末。米軍機の訓練とは要するにFCLPで、三宅島で企てられたNLPと同じ、空母艦載機離着陸訓練のことである。結局、日本人は自分たちの防衛の問題を自分たちで責任を持とうとはしない。沖縄に押し付け、本土の弱い自治体に押し付ける。