1月21日、「まん延防止等重点措置」が東京都に適用された。その日の午後、時事通信が「東京・浅草 にぎわい消える」という記事を配信していた。記者はこの日の午前中の浅草を取材したらしい。それを見て、私は「?」と思った。いくら浅草でも、平日の午前中である。仲見世通りの商店街がさほど混雑しているとは思えない。
翌22日の土曜日に同じ雷門前を訪れてみた。
確かにあまり混雑はしていないようだ。ただ、引っ切り無しに人の往来があり、門前では絶え間なく記念撮影を行う人たちがいた。雷門名物の赤い提灯の向こうにはぞろぞろと歩く群衆があった。
この光景を見たら、時事通信の記者は「にぎわい消える」と書いただろうか。
私は普段の浅草をあまり知らないから、この光景が普段よりにぎわっているのか、そうでないのか分からない。ただ、今回の「まん延防止等重点措置」の適用で伝えるべきメッセージは、浅草のにぎわいが消えたことなのだろうか。それは東京の実態を象徴しているのだろうか。
時事通信の記者に限ったことではないが、記者の脳内がアップデートできていないと感じる。2年前そのまま、緊急事態宣言で浅草から人が消えた光景がそのまま、今も繰り返されているような思い込みがある。
確かに浅草のにぎわいは表層的な光景で、街を丁寧に歩けば、重点措置の適用で休業した酒場があちらこちらに見られる。昨年、一昨年に閉館したホテルがいまだに雨風にさらされたままだ。切り取る場面が安易だから滑稽に見えるが、たまたま仕事で入った記者よりも、生ホッピー目当てに毎週やってくる酔っ払いや、場外馬券目当てのおじさんたちの方がそういう現実をよく知っているのかもしれない。
結論としては、金曜日午前中の浅草はいつも通りににぎわっていなかったが、週末はそこそこにぎわっていたということだ。
尾身茂分科会会長がオミクロン株の特性を踏まえて対策を見直すべきと言ったら、猛反発した小池知事が、なぜか今になってオミクロン株の特性を踏まえて見直せと言い出した。尾身会長は、「人流抑制」よりも「人数制限」だと、19日に指摘している。それを自分から蹴って、相変わらず従来通りの酒場いじめで重点措置を乗り切ろうとし、マスメディアによる〝尾身叩き〟を扇動した。それが緊急事態宣言要請の基準として都が自ら掲げていた病床使用率50%超に迫ると、今度は国に基準を出せと言い出した。全くもって矛盾としか言いようがない。
せっかく「病床使用率50%」という国に要請する基準を持っていたのに、いざ発令する段階に近づくと、「総合的に検討する」と宣う。「総合的に検討」とは要するに、政治家のお手盛りということだ。
公的な権力の行使は、自治体のリーダーにとってこれ以上ない快感である。それがポピュリズムに立脚した強いリーダーであるならば、なおさら欲しているだろう。最後には「ワタクチのリーダーシップのおかげで感染が収束しました」と言わねばならぬ。緊急事態宣言を巡る国や専門家との丁々発止は、そういう小池劇場の一つの素材に過ぎない。
東京23区の江戸川区のケース。「保健所」というから、てっきり保健所で仕事をしているかと思いきや、実は廃校舎の教室。これが基礎的自治体の実態なのだ。あまりに膨大な感染急増で、こうした疫学調査が追い付かなくなっているが、こういう感染履歴の追跡によって濃厚接触者を割り出せるし、クラスターの発生にも対応できる。後々の感染防止対策にもつながっている。飲食店いじめばかり焦点が当たって、こういう地道な作業は意外にあっけなく、追いつかないからと切り捨てられることには危惧を覚える。
こちらは神奈川県の事例。連日、県からは何千という新規陽性者数が発表されているが、それでもまだ未処理の案件が2千以上も残っている。毎日の報道発表に振り回されていても、実態が分からないことの証左だ。
これらの業務は、新型コロナの区分を2類から5類にすれば解決するかもしれないが、間違えてはならないのは、現場の職員が楽になっても、感染者が減るわけではないということ。
北海道小清水町。オホーツク海沿岸の小さな町と比較しても仕方ないが、パンデミックの行きつく先は、こうやって一般の行政事務すら破綻するという地獄絵図だ。それでも町役場は閉鎖するわけにはいかない。日々、そこに暮らしている人たちがいる。
それは小池知事におっしゃってはいかがか。尾身会長が「オミクロン株の特徴を踏まえて対策を見直せ」と言ったのに、それに反発して、相変わらず従来通りの対策しかしなかったのは、あなたがた知事ではないか。
これも、飲食店いじめだけではどうにもならない現実を表している。
そういえば、長期欠席の議員の処遇って、どうなったんだろうか。
住民投票はおやりになればいいと思う。ただ、急に住民投票という手段が降ってわいた理由が分からない。しかも、公明党は賛成する気がないらしい。狙いが分からない。
政権党がこういう直接民主制に興味を持つことは大変結構なことだ。ぜひ万博開催や総合区の導入でも、住民投票を活用していただきたい(しないと思うが)。
和歌山市議会の自民党は、住民投票条例案に反対している。
コロナ禍で景気が冷え込んでいる真っただ中に、「歳出改革元年」とか言い出す気が知れない。要するに、行財政改革で歳出をぶった切ると言っているのと同じではないか。こういうときこそ、臨時財源を活用して、市民の暮らしを支えないでどうするのだ。
コロナ禍で、東京23区民の神奈川県への移民が続いている。最も人数が多いのは、横浜市。つまり、横浜市は今、チャンスを迎えている。その首長が就任1年目からいきなり行革の旗を振りまくるのだから、まるでバブル経済崩壊の時期に逆戻りしたかのようだ。
私の地元・藤沢市も人口が増えていて、近所にもまたもや大型マンションが建とうとしている。住民はまた通りのビル風が強くなると呆れているが、それでも夢を抱いて移住してきた人たちの期待は裏切りたくはない。
お世辞にも神奈川県のコロナ対策が合格点とは言えない。黒岩知事はいつも緑のタヌキに脅されたばかり。移住する人たちはそんな実態を知る由もない。
神奈川県の思わぬ追い風、ひと時のブームに終わらせたくないものだ。