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必要性を考えることの重要性 ~バイトやめました~

私は、最近アルバイトをやめました。

「バイトをやめた。」

字面だけではなんでもないようなことかもしれませんが、新たに考えたこともあったので、ここに書き残して、共有したいと思います。


人それぞれ、「自分で稼がなければならないお金」の量は異なっていると思います。

アルバイトは、そのお金を得ることを主目的として行う活動ですが、私のような学生は、一人暮らしか実家暮らしかでその状況は大きく変わってきます。

私は2時間かけて大学に通う、実家暮らしなので、ご飯についてはお母さんに作っていただいて、頂いています。

学校にかかるお金(学費、通学定期代、教科書代など)については、お父さんに、「大学院を卒業するまでは大丈夫」と言っていただいています。(国立大の学費免除制度で、現時点で学費はタダになっているのですが。)

また、返還義務なしの奨学金に採用されたので、月に2万円の収入があります。

私は、本当に恵まれた環境で生活させてもらっていると思います。日々感謝です。

趣味といっても、たくさんのお金が必要となる趣味は持っていません。

筋トレは、家でやるからもちろんタダ。

登山は、月に1、2回行くくらいだから奨学金で十分足りる。

読書は、図書館でタダで読めるし、メルカリなどを使えば格安で読める。

友達付き合いも、数人いる親友とのことなので、ほとんどお金はかかりません。


人によっては、学費はまだしも、通学定期代や教科書代、食費をすべて自分で稼いで、たくさんお金のかかる趣味にも注力されている方もいることでしょう。

人によって、その環境は本当に様々です。


私のまわりでは、バイトをしている同級生がたくさんいます。

私がバイトをはじめたきっかけはこれでした。

「みんながやってるから、俺もやらないといけない気がする。」

「時間がある学生はバイトをするものだ。」

結局、周りに「流される」ような形です。

お金を稼ぐことが主目的であるアルバイトを、お金を稼ぐことを動機とせずに始めることは、ある意味で虚無感を生み出していました。

また、「社会経験」という薄い目的を正当化して、周りと同じ行動をとろうとすることに納得できない自分も少なからずいました。


私たちにとっては、必要性をもとに行動することが、最低次の判断基準です。

生きていくには、食べていくにはお金が必要だから、お金を稼ぐ。

それよりも高い次元の判断基準を用いる場合は、それ相応の動機というものが必要になってきます。

私がアルバイトというものの必要性を感じなかったとき、高次の判断基準を通過してゴーサインを出すに値する動機を持ち合わせていなかった。


なんだか表現が難しくなってきましたが、超簡単に言うと、

「やらなければならないものではなく、やりたくないものは、やらなくていい」

ということです。

当たり前のことのようですが、「自分」というものをしっかり持つためにはとても大事なことのような気がします。


わたしたちには、

「やらなければならないもの」、「やりたいもの」がたくさんあります。

自分のとる行動の心理的なエネルギーとなっているものについてよくよく考えないと、

気づいたときには、「俺、何やってんだろ」という虚無感が生まれていしまうこともあるということです。




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