アメリカへの古き漫遊記 ジャンボジェットと泡盛とジンファンデルと
それは、二十年前位のことでしょうか? アメリカのオースティンに向かった一人旅が忘れられません。旅の目的は、アメリカの会社とのプロジェクトに参加している職場の部下への面談とプロジェクトの会議参加が目的でした。出発は、成田空港でしたが、ユナイテッド航空のボーイング747の搭乗から始まりました。
ここで、事前の知識として、ボーイング747、通称「ジャンボジェット」のバックグランドをご理解して頂きたく、747に関して解説させていただきます。4基のエンジンを搭載しており、従来のジェット旅客機の2倍以上の400~500席を設定可能であり、それも二階建て構造で長距離大量輸送を可能とした当時最大級の旅客機でした。1970年代に登場し1990年代にかけて全盛期でした。この期間中、ボーイング747は世界中の航空会社で広く採用され、航空旅行の大衆化に大きく貢献しました。私も、このボーイング747には、何度か登場させていただきましたが、運行遅延も多い印象でした。同機は、飛行制御システムに3台のメイン制御コンピューターが搭載されており、この3台のコンピューターの合議により安全性を向上させていると聞いています。3台の制御コンピューターがそれぞれ異なるデータを受け取り、異なる判断を下した場合、システム全体がどの判断を採用すべきか混乱することがあると聞いています。これらのコンピューターは、飛行中の機体の安定性と安全性を確保するために重要な役割を果たしていましたが、これらのコンピューター間で機器健全状態の結果に不一致が生じると、機長の判断が困難になります。
その時のサンフランシスコ行きユナイテッドのボーイング747でも、まず、アメリカでの大規模な嵐の発生で、対象機材の到着が1時間遅れ、これに加え、1時間遅れた出発直前に、不運にも3台のコンピューター判断の不一致が生じたということで、出発遅延のアナウンスがあり、2時間程度待たされることになりました。目的地オースティンには、サンフランシスコ乗り換えを予定していましたが、乗り換え時間は2時間程度で、この遅延で余裕がなくなりましたし、アメリカ本国でも嵐の影響が出ているであろうことから、予測不能な状況でした。2時間後、コンピューター間の不一致が回復したということから、搭乗が開始されましたが、「サンフランシスコでの乗り換えに関しては、飛行中に調整しますので、現地にて確認してください。」といったあやふやなアナウンスで、不安を抱えつつやむなく出発した次第です。
成田を出て、10時間弱でサンフランシスコに到着も、乗り換えについては何のアナウンスもなく、国内線乗り換えのユナイテッドの窓口に行けというのみでした。ご存じの方も多いと思いますが、入国審査、バゲッジクレームと1時間以上が経過して、既に、予定の乗り換え便は出発の模様です。サンフランシスコ空港は円形でレイアウトされ、国際線到着ロビーから、荷物を転がしながら、円形の廊下を歩いていくとユナイテッドの窓口が見つかりました。
そこで、担当者に交渉を開始しました。担当の方は、男性の人で、チケットを見せてオースティンに行きたいと申し上げたところ、「That’s a big deal=大変だ」と言うことで、手元の端末をパチパチと打ち出しました。
ここから、会話が始まり、これを記載しますと。
担当者:「お前はどこから来たんだ。」
私:「日本の神奈川県。」
担当者:「おれも神奈川の厚木基地に居たことがあるんだよ。」
私:「どの位前のことですか?」
担当者:「そうだな、5~6年前かな? 良い所だったぜ。」
担当者:「フライトだが、Orange Countyに行け、そこから乗り換えでオースティンだ。」
私:「・・・・・・・?」
担当者:「Today is going to be a long day. Good luck!」
ということで、チケットは貰ったものの、「Orange County」ってどこだ? どこに連れて行かれるのだろうという不安はありましたが、当時、スマートフォンも無く、マップ検索も出来ないので、搭乗チケットに指定された搭乗口に向かいました。後で調べると、Orange Countyは、ロサンゼルスの更に南で、実際の空港名は、ジョン・ウェイン空港でした。ハブ空港に比べると、非常に小さな空港に行く便ですので、ロビーも小さく、情報も混在し、人々もごった返す状態で、加えて同時多発テロの危機から警戒が解かれていない状況で緊張していたのかもしれません。ロビーに行くと、セキュリティ強化ゲートが設けられており、何を要求されているのか良く分からない状態でしたが、他の搭乗者が手提げカバンを開けて、薬品紙をカバンに入れて内部を拭いてこれを検査装置に掛けている様子を見て、同じように対応しました。多分、爆発物の所有か、麻薬の残骸の検査かなと思った次第です。このセキュリティを通過後、30分程度で登場しましたが、40人くらいの小型ジェットで、後ろの方に座らされて、成されるがままに搭乗した次第です。飛行時間は、2時間くらいでしたか、窓際に座りましたから、何処に行くのか分からなかったので、外を一生懸命観察していると、サンフランシスコ空港から離陸後、海岸沿いに南下して行っていることは分かりました。その内に、カラフルな海沿いの風景と、海沿いの別荘地の様な風景が見える中、着陸態勢に入り、旧Orange County、ジョン・ウェイン空港に着陸しました。
ここで2回目のストップ。オースティンへの乗り換えには3時間程度の待ち時間から、お昼もとっくに過ぎていることから、近くの売店でサンドイッチとコーラを求め、軽い食事を取り、時間を潰すことにしました。フランスパンのサンドイッチで、レタスとハムが、バター、マヨネーズで挟んであって美味しいのですが、口の中の上に当たって痛いのですよ。アメリカ人は何ともないのかな?
ジョン・ウェイン空港からのフライトは、夕方発の便となってしまいましたので、フライト時間3時間程度で、結構夜の遅い時間にオースティンに到着となってしまいました。本来の日程では、夕方中の到着予定でした。ホテルは、空港の最寄りのホテルを予約していましたが、夜遅くなったせいなのかタクシーも見当たらず、ホテルの送迎バスを探しましたが、バスの行先印字はなかなか読みとれず、どのバスに乗ったらいいのかが分からない状態でした。来るバスの運転手に何度か指定のホテルに行くのかを聞いてみましたが、「No」ということで、益々、心細くなりました。しょうがないので、一度、到着ロビーに戻りましたが、案内窓口も締まっている中、各種ホテルの案内一覧の広告表示を見つけ、対象のホテルもこの広告表示に存在し、専用電話機を見つけたことから、受話器を取って、お話しした結果、「今からバスで向かいに行くので、ターミナルの前で待っていろ。」ということで、やっとホテルをゲット出来ました。
ホテルチェックインは出来ましたが、時差で眠気もありませんし、お腹がペコペコでした。何度かの渡航経験から、実は、非常食としてカップ麺と泡盛一本程度は、日本から持っていくことにしていましたので、早速、腹ごしらえと飲酒としました。その時は、スパゲティーペペロンチーノの即席麺を持参したので、お湯でこれを作り、泡盛の酒盛りでその夜をやり過ごしました。万全を期すためには、非常食と非常酒は、ちょっとは持っていくことが、寛容ですかね。
既に、お気づきの方もいらっしゃると思いますが、オースティンには、IBMのResearch Centerが設置されており、半導体研究の中心地です。今回、協業体制を構築した日本半導体新会社のラピダスも、ここから技術移管を受けています。このIBM Research Austinでは、当時、東芝、NEC等の日本企業も開発プログラムに参画する中で、20nmレベルの先端半導体デバイスの開発を進めており、世界で名だたる半導体装置メーカーであるアプライドマテリアルズやラムリサーチもここに集結していました。この延長線上で、20年後の現在、2nmの半導体プロセスの開発が進められているということです。オースティンという地は、エンジニアにとって住みやすい環境の様で、現在では、世界に名立たるアップル、グーグル、デル・テクノロジーズ、メタも開発拠点を設置しています。また、あのテスラは、2021年に本社をカリフォルニア州から移転しました。オースティンは、なだらかな石灰岩から構成される丘陵地帯の上に形成され、総面積の約15%を、公園やオープンスペースが占めており、植物も豊富で、夏は温度が高いようですが、冬は温暖な気候であり、優れたエンジニアが集まってきている様です。
オースティン周辺は、広大な丘陵地帯であることから、北海道でも体験できない様な雄大な視界を経験出来ます。また、ダウンタウン観光では、立派なテキサス州会議事堂を望み、非常に静かで綺麗なコロラド川の一部であるレディ・バード・レイク湖を通り、オースティンでも有名なサウス・コングレス・アベニューで買い物とグルメを楽しみました。おすすめメキシカンレストランGuero’s Taco Barで頂いたタコスやエンチラーダは絶品でした。アメリカ南部のメキシコに近い地域では、メキシコ料理店も多く、美味しい料理を頂けます。
取り敢えずここで中間まとめですが、ジャンボジェット747は、日本国内線も合わせて、その後何回か登場することがありましたが、ポイントポイントで、機器調整のために出発時間が遅れた記憶があります。また、アメリカ本土の嵐によるフライトスケジュールの影響は、年に数回発生しています。アメリカ本土のフライト数は、20万本に迫る数に上り、一度、リズムが大きく乱されると、それが強力に増幅され、非常に大きな影響が出ているニュースを度々聞きました。この様に、この旅での教訓は、以下の3つでした。①ジャンボジェット747は要注意。②アメリカの大風によるフライトの乱れにも要注意。③非常食と非常酒の準備は怠りなく。まあ、ジャンボジェットに関しては、今では、日本の国内線からは姿を消し、世界的にも限られてきましたが、この機体には気を付けえる必要があります。
さて、復路ですが、サンフランシスコに戻り、ここでは、シリコンバレーエリアで某半導体製造装置メーカーでのお仕事を遂行した後、ワイナリーツアーに出かけました。サンフランシスコ付近で特に有名なのがナパバレーとソノマバレーですが、移動距離と希少性から、ベイエリアから580号線で東にちょっと行ったレバモアに向かいました。まずは、小さなワイナリー ルビーヒル(Ruby Hill)でテイスティング。広い澄たった青い空のした趣のある建物が魅力的です。
これ以外にも、ウェンテ・ヴィンヤーズ (Wente Vineyards)、コンキャノン・ヴィンヤーズ (Concannon Vineyards)、ダーシー・ケント・ヴィンヤーズ (Darcie Kent Vineyards)と小さな特徴のあるワイナリーが集中しています。
このテイスティングで、その衝撃的な味から病みつきになったのが、ジンファンデルを使用して作った赤ワインです。ジンファンデルは、古い時代に用いられた野ブドウ的な黒ぶどうの品種ですが、今では、カルフォルニアで多く生産されている品種となっています。初めて飲んだ時には、土臭く、吐き出しそうなインパクトでしたが、飲んでいるうちに病みつきになってしまいました。このジンファンデルのワインは、濃厚な果実味とスパイシーな香りが特徴で、チェリーやラズベリー、ブラックベリーのような果実の風味に加え、クミンやコショウのようなスパイスの香りが感じられます。上記のワイナリーでもジンファンデル品がそれぞれ生産されており、この味を知って以降、アメリカに行く度に、数本購入して持って帰ってくることにしています。ジンファンデルは、一世を風靡した「刑事コロンボ」にも登場します。それは、「殺しのワイン」の回で、犯人のワイナリーの社長の犯行を自白させるために、肉料理とジンファンデルで、コロンボが持成しの宴を開いた場面があります。再放送がありましたら、注意して見て下さい。
ワインのテイスティングの最後は、こじゃれたワイナリーのレストランでの食事となっております。この地区の一番奥の方にあるウェンテ・ヴィンヤーズに隣接したThe Restaurant at Wente Vineyardsでフレンチを、ジンファンデルと共に頂きました。このレストランは地元の新鮮な食材を使用した季節の料理を提供しており、ワイナリー直営ということから、料理とワインとのペアリングが素晴らしく、森の中の美しい景色を楽しみながら食事ができる点も最高でした。数本のワインも購入し、至福のひと時も過ごし、翌日には、サンフランシスコから成田に向けての出発となりました。持ち帰ったジンファンデルを、機会を設けて、女性に振舞うのですが、土臭く、スパイシーなこのワインが結構受けるんです。皆さん「これ好きだわ!」的な感想を頂きました。但し、日本では、ほとんど手に入りません。
そうです、カルフォルニアの土産は、ジンファンデルの赤ワインが最適です。地元のスーパーに行くと、20~30mのフロワー一列に並んだワイン陳列棚の数メートルは、ジンファンデルが陣取ってますので、ワイナリーに行かなくても、手に入りますから、お勧めです。