「かかわること」の意味
皆さんは、人とかかわることはどういうことかご存じですか。
私はつい最近それを知ったような気がしています。理解はまだしていませんが(苦笑)
5年生になる娘が他のお友達から漫画本をもらって嘘を何度もついたということがありました。
新学期、四月一か月間かかって、先生たちは娘から真実を聞き出そうと毎日付き合ってくれた一方で、私は娘の言葉を聞く前に答えていたし、自分のやるせない気持ちをぶつけることしかしていなかったからです。
娘から出てくる嘘は果てがないように感じられて、どうやって信頼すればいいのか最後には分からなくなっていて、湾岸沿い、早朝の散歩中に「ママは嘘つきが嫌いだー」と叫んだりもしまして、恥ずかしい限りです。
私がそれをしていてはダメだと気付いたのは、担任の先生が黙って娘が話すまでじっと黙って待っていたのを見た時でした。
私は5年生の隣のクラスで待っていたのですが、隣にいるはずなのに、声が聞こえないのです。たまにクラスの外から遠目で眺めてその存在を確認していました。
先生と来実は対峙していて、たまに、先生が質問を繰り返すだけで、じっと二人とも黙っていました。
20代後半のその先生には幼稚園に入園したばかりのお子さんがいて、早く帰宅したいに違いなかったと思います。
一時間半が経って、やっと娘は何かを先生に話したようでした。先生は、今夜は疲れていると思うから十分に寝かせてあげてくださいと前置きしたうえで、分かったことを私に伝えてくださいました。
つい最近まで私は保護者として先生とは対等だと思っていました。「保護者」と呼ばれるのは意外とかっこいいと思ったこともあるし、初めて、保護者の方ですか?と呼ばれたときにちょっと嬉しくなったことを記憶しています。
だけど、「保護者」として、本当に子どもに耳を傾けてはいなかったことをこの件で知ることができました。
無視はしてこなかったし、毎日会話もしていたし常に一緒に買い物にでかけていたし、基本的に不自由はなかったはずだ、というのは私の一方的な考えなのだと今は感じられるようになりました。
去年は運動会へも合唱会へも行きませんでした。
娘にあまり責められなかったから、そんなに傷ついていないんだろうと思っていました。でも、傷ついていたかもしれません。
おばあちゃんから、病気のママのことを守るようにいつも言われている娘に対して甘えていたことを認めようと思います。
今、かかわるということは、そんなに簡単なことではなくて、ものすごく力が要ることなんだなと感じています。
私は理解をしていないので、これから、娘や周囲の方々とのかかわりの中で本当のかかわりを理解していこうと思っています。
インプロをする中においても、私は相手にかかわれないという課題を持っています。
舞台に立っている相手を見た瞬間、ジェラシーを感じて絡みたいのか、好きだと愛を打ち明けたいのか、怒りに任せて殴りたいのか、なんでふったのかとすがりたいのか、まったく分からない、降ってこないのです。
かかわることは簡単じゃなかったという私事のお話をさせていただきましたが、6月からリニューアルする新ADDLABOはこの「かかわる」をテーマにしようかなと感じています。
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