「家族のかたち」を読んで
久しぶりに、森浩美氏の著作を読んだ。「家族のかたち」(発行所:株式会社双葉社)。やっぱり、心に沁みる。
著者の本は、「家族」シリーズを中心に何冊も読んでいる。どの本も、心に優しく響き渡るシーンや言葉がある。通勤電車で読んでいる時など、グッと来る気持ちを抑えるのに苦労した。
心が乾いてるな、と思う時におすすめ。
間違えてしまった! ごめんなさい
最初に謝っておこう。大変失礼しました。
だいぶ前の事、森絵都さんと森浩美さんが混ざってしまったことがある。森絵都さんの本を読んだつもりが、何か違うなぁ、と思っていたら、森浩美さんの著作だった。
ホントに失礼な話で恐縮至極。申し訳ない。
「森」姓の作家さんは結構いる。森浩美氏はもちろん、森鴎外、森敦、森博嗣、森詠、森絵都、など。間違えようのない個性派の方々ばかりなのだけど、なぜか、私の中では、森浩美氏と森絵都さんが混濁としていた。
著者を間違えるなんて、初めてのこと。どうしたんだ?自分。
何かに心奪われたまま、本を探していたのだろうか。わからない。森浩美氏にも、森絵都さんにも申し訳ない。軽率をお許し下さい。ごめんなさい。
出会い方は良くなかったけど、直ぐに森浩美氏のファンになった。やさしく包み込むような作風。そして、切なく心に刺さるフレーズがいい。
本屋を巡って買い漁り、何冊もの「家族」シリーズを読んだ。
変わりゆく家族のかたち
家族のかたちは、時代と共に変化していく。
エマニュエル・トッド氏によると、世界の家族形態は、7つくらいに分類され、日本は「権威主義的家族(直系家族)」だそうだ。特徴を見ると、どちらかと言えば、『サザエさん』を思い起こさせる昭和チックな家族形態。確かに昔は、こうだったし、今でもそんなかたちの家族も居るだろうな。
でも、今の日本はちょっと違っている感じかする。
日本は、「東京一極集中」という国家戦略で、世界に冠たるメガシティをつくり、経済大国にのし上がった。
この時、地方から東京・近郊に移住してきた人たちを中心に親元を離れた「核家族」が生まれた。今となっては独立したひとつの家族。そして、今では、昭和の時代の伝統的な「家父長的な家族」を継承している家もあるし、「核家族」もある。同棲世帯やルームシェアする世帯等の「共同体家族」なども、当たり前のようにあって、何でもあり。
家族って、何だろう。
Webでちょっと見ただけではわからない。血縁関係や婚姻関係のある人なんだろうか。 民法でも「家族」の定義はない。
民法上は、六親等内の血族、配偶者、三親等内の姻族を「親族」と定義してあった。けど、六親等って、凄いな。NHKの「ファミリヒストリー」で調べている範囲くらい遡ることになるし、子どもたちの遥か先の未来。両親の先と子供の後・・・300~400年くらいの間の血の繋がりってことか。
じゃぁ、「家族」はどこまでなんだろう。
民法でいう三親等内の姻族のことなのかな。祖父母や両親、兄弟姉妹やその子供、配偶者と自分たちの子供たちを「家族」というのか。
「家族」ってなんだろう。考えてみると、わからない。
いつか、ちゃんと調べてみよう。
家族のことを思うと
一番に思い浮かぶ家族は、私たち夫婦と我が子たち。
子供たちのことを思うと心が震える。たぶん、子どもたちが自立して離れていったからこそ。思うだけで、心がギュッとなる。
子育てしてた頃、毎日や必死で、一生懸命だった。
出来ることは何でもやってた。もちろん、潤沢な資産があるわけでもないので、ささやかなことしか出来なかったけど。いつもいつも、全力疾走で、だけど、生き甲斐だった。
思い出の中の子供たちは、公園の水遊び場と家の往復で、光り輝いている。幼稚園や習い事の送り迎えもやってたなぁ。どの学校がいいとか、受験とか、あれこれ。でも、卒業したら、みんな巣立っていった。
あっという間だった。
空っぽになった家。妻と二人っきりに戻った。
もっと、ああすれば、こうすれば、と思ってみても、どうしようもない。
「後悔、先に立たず」を実感した。
今は、みんな、逞しく独り立ちしてる。幸せそうだ。
「いい、親だったんだろうか」、「十分な事が出来たんだろうか」、「もっと何か出来ることは、あったんだとうか」 思い返したところで、どうなるものでもないが。
子供たちからみたら、どうだったんだろう。
聞きたいけど、聞けないな。
本書を読んで、そんなことを思い出した。
本書だけじゃない。著者の家族シリーズは、どれを読んでも、自らの家族を思い、涙を誘う。
私にとって大切な本だ。
(敬称略)
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