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自分の境界線と死生観

 2007年に生まれた人の半数は107歳までいきるそうだ。
半分の人ということは、他の長く生きる人は何歳まで生きるのだろう。

さらに知性を機械にアップロードすることで人の不老不死を目指す研究もあるそうだ。

もう人はなかなか死なないようだ。ダイハードだ。

そうなると、死生観は今のままではなくなるんじゃないかと思う。肉体がなかなか死なないから別の基準が生死の判断になる。

そして、私はそれは自分と他の境界線の厚さなんじゃないかなと思う。

生命活動を停止すると、肉体は徐々に分解され、自分と世界の境界線を無くし、個が消える。これが今の肉体を基準とした死だと思う。

それが、もっと根源的な自身の概念の境界線の有無が生死の判断になるんじゃないか。

例えば、
違う考えの人が二人いてお互い分かり合えないとしたら、この二人の境界線は分厚い。だからけっこう生きている。
しかし、その人が同じ考えの仲間と一緒にいる時は、境界線が薄くまあまあ死んでいる、といった風だ。

相対的で生死にグラデーションがつく。

生物の分類に詳しくは無いが、ダンゴムシとワラジムシの違いは刺激を受けた時に丸くなるか、とか、歩くスピードだったりするが、行動で分けられている。

そんな感じで人も見た目じゃなくて、行動や特性で生(種)として分類され、それがそのまま生死の概念にならないだろうか。

私は生死の概念のアップデートはもう始まっていると思っている。