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でき太くん三澤のひとりごと その36

投稿 その36

今回は「反抗期」について。

私の反抗期は小学6年生から中学3年生前期くらいまでだったと思います。

親や学校の先生など、大人の言動の矛盾に苛立ち、反発していました。

親から「勉強をしたの!」と声かけされれば、「うるさいな、今からやろうと思ってたのに!」とか。

「もうすぐ定期テストなのに勉強しなくてだいじょうぶなの?」と言われれば、「だいじゅうぶだよ、うるさいな、まったく!」とか。

「自分の部屋は、しっかり自分で片付けなさい」と声かけされれば、「そんなことは言われなくてもわかってるよ!」とか。

今から思えば、親は私のことが心配で声かけしてくれていたのですが、それがすべてうるさく聞こえる時期なんですね。

それと、反抗期だった自分がちょっとズルかったのではないかなと思うのは、自立もできていないのに反抗だけはしっかりしているところですよね。

3度のご飯をしっかり食べさせてもらって、雨風をしのぐお家もあって、学校にも行かせてもらえる。
必要があれば、文房具も買ってもらえて、月々お小遣いももらえる。
好きな漫画だって読める。

反発している親にしっかり依存しておいて、自分の都合のよいときだけ思いっきり反抗する。

なんともご都合のよい反抗です。

本当に親に矛盾を感じて反抗するなら、家から出て自活すればよいのに、それは不安だからできない。

本当に学校の先生に矛盾を感じて反抗するなら、教育委員会にうったえればよいし、何だったら学校に行かなければよいのにそれもしないし、できない。

ただ自分が好きか嫌いか、自分にとって心地よいかそうではないか、そのときの感情やエゴで、粗っぽい言葉を吐き、反抗を気取る。

なんとも情けない。

そんな私の稚拙な反抗に、中学3年生のときに気づかせてくれた大恩ある先生が、2月に帰らぬ人となりました。

私は勉強面での自立、生活面での自立ということを目標に子どもたちのサポートを日々実践していますが、どんなに自立度が向上しても、私たちが自由にできないものがひとつだけあります。

それは命のはじまりと、おわり。

先生も自立を目指して最後まで命を燃やしておりましたが、命のおわりだけは自由にはできませんでした。

ただ先生の命の生き様は、しっかりと教え子たちに受け継がれていると思います。


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