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でき太くん三澤のひとりごと その117

◇ ドキュメンタリー映画


先日、書家 金澤翔子さんのドキュメンタリー映画を観てきました。

私も書を習っているので、金澤さんのことは前々から知っていました。
NHKの大河ドラマ「平清盛」の題字を担当されたり、京都の建仁寺に翔子さんが書かれた風神雷神の書が、実際に風神雷神の屏風の横に納められているなど、若いのにすごい書家だなと思っておりました。

さらに私を驚かせたことは、翔子さんがダウン症であるということでした。

ダウン症で書家になるまでには、相当な苦労があったに違いありません。

翔子さんが書家となるまでどのように歩んできたのか。

いつか機会があれば知りたい。
今回のドキュメンタリー映画は、そんな私の想いを満たしてくれました。


今回の映画を観て、私の心に残っていることをことばにするなら、それは「信じる」です。

翔子さんの母、泰子さんは、唯一の理解者であり、協力者でもあったご主人と、妹さんを相次いで亡くされています。

つまり、ダウン症である翔子さんと泰子さんは、あるときから二人っきりになってしまったのです。

だれも支えてくれる人もいない、二人っきり。

ここから泰子さんの苦悩の日々が始まります。

自分ひとりで翔子をどう育てていけばいいのか。

はたして、自分は翔子を育てていけるのか。

いっそふたりで死んでしまおうか。。。

きっと、ダウン症の子を持ったことがない私には想像もできないほどの不安、悲しみ、孤独感があったと思います。

そこからどうやって、泰子さんと翔子さんは抜け出すことができたのか。

それは、母泰子さんが、翔子さんの存在を最後まで「信じる」ことができたからではないかと私は感じています。

まわりにどう思われようとくよくよせずに、ほかの子ができていることができていなくても、しっかり話をすることができなくても、学校の先生に通常級は無理ですと言われても、最後までわが子を信じ抜いた結果なのだと思います。

どんなに自分が追い込まれても、必ず翔子さんに光がさしてくることを信じてサポートし続けたお母さん。

お母さんっていう存在は、本当にすごいですね。
最後までわが子を信じ抜くことができるのですから。

とても私には真似できません。

子どもひとり一人が輝くには、きっとだれかがその子の存在そのものを疑いもなく信じていることが必要不可欠な条件だと思います。

「信じる」というのは、目には見えないことですし、信じても裏切られることもあったりして、なかなか「信じる」ことができないこともあるものです。

でも、それでも最後まで信じ抜いてみる。

それが子育てでもあって、自分育てでもあるのかもしれませんね。

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