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でき太くん三澤のひとりごと その46

先日、ベトナムで幼稚園の園長さんをされている方とミーティングをしました。

なぜベトナムの幼稚園の園長さんとミーティングをしているのかというと、その幼稚園で「でき太くん」のメソッドの導入を考えられているためです。


その園長先生は日本語がとても上手で、「あ、そうそう」とか、「そういえば」とか、「そうは言っても」とか、「ふーん、なるほど」とか、日本人がよく使うちょっとした一言を上手に絡めながら、日本語を話されています。

ですから時折その先生がベトナム語をしゃべると、「あ、そういえば園長は日本人でなくてベトナムの方だったんだ」と思うくらいです。

でき太くんのメソッド導入に向けて、でき太くんの理念の話などをすべて日本語で理解するのですから、園長先生の日本語力は、かなり優れているといってよいでしょう。


園長先生が日本語を学び始めたのは、私の記憶が確かなら、園長先生が中学、高校生くらいのときからだと聞いたように思います。

他にも私の知人で英語を流暢にネイティブのように話す方がいますが、その方も中学くらいから英語を学び始めたと聞いています。

さらにこの二人に共通していることは、園長は日本に留学し、知人もカナダに留学している留学経験者であることです。

ある時期から数年間、外国語の環境にどっぷり浸かっている経験があります。


ここから改めて日本の英語教育を見直してみると、日本では早い時期から、できるだけ多く英語を学ぶ機会を設けようとしているように感じますが、大切なポイントは、そこではないように思うのです。

なぜなら、園長も私の知人も早い時期から外国語学習を始めていません。

でも、しっかり外国語が使えるようになっています。

確かに小さな時期から英語にしかない音を聞いていることで、それをしっかり聞き分けることができる「土台」が築かれていくと思いますので、この点についてはトレーニングしても問題ないと思いますが、私は幼少期にまず必要なのは、母国語のしっかりとした土台を作ることのように感じています。

できるだけ多く読み聞かせの時間を作ったり、食事をしながら会話をしたり、お散歩をしながら天気のことや、風景のこと、四季の変化について会話をしたり、母国語に触れる時間をしっかり設けてあげることがとても重要だと思っています。

この母国語の土台があっての、外国語学習だと思うのです。


なぜここまで母国語にこだわるのかといいますと、母国語が、民族性を形成する重要な要素だと感じているからです。

このことについて語り始めてしまうと、ちょっと長くなってしまいそうですので、ここではあえてくわしく触れませんが、日本人は日本語を使うことで日本人らしくなっていき、アメリカ人は英語を使うことでアメリカ人らしくなっていくと、私は感じています。


かつて日本の名俳優といってよい松田優作さんの「ブラックレイン」という映画を観たときに、日本人とアメリカ人の感覚の違いが明確に出ているように感じました。

アメリカの刑事が、「あなたには迷惑はかからないのだから、私がどうしようと関係ないよね」というようなことを言ったときに、悪の組織のボスである若山富三郎が、ここでは書けないようなセリフをアメリカの刑事に言いました。

このセリフを言う感覚が、日本人特有のものだなと思いました。


民族性の形成は、言語だけでなく環境も重要な要素としてあると思いますが、私たちが日々自分の考えや、生き方、感覚表現をする母国語は、それ以上に重要なものであるように思えてなりません。

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