でき太くん三沢のひとりごと その10
投稿 その10
今回は、以前のコラムでも書いた「答えをうつす」ということについて、もうちょっと深ぼりしてみたいと思います。
子どもが勉強を進めていて答えを写していたら、私たちはズルいことをしているわが子、やったふりをして大人を騙しているわが子に、怒りにも似た感情を持ってしまったり、あまりの悲しさに泣いてしまったりもします。
でもこれは、私たちの気持ちが中心であって、私たちの視点からしか「答えを写した」という行為を見ていません。
では、子どもの立場から考えると、どうなのでしょうか。
ほとんどの子は、答えを写すのはよくないことだと知っていると思います。
それでも答えを写してしまう。
なにかきっと「原因」がありそうですよね。
良くないこととわかっていても、そうしてしまう何か動機があるはずです。
ここからは私が子どもだったときの記憶も含まれますが、答えを写すときは、たいてい「やらせ勉強」になっています。
やりたくもない、面倒だと思っている学校の宿題。
レベルが違いすぎてわからない課題プリント。
いつも「将来のために勉強しなさい!」と言われるからシブシブやる勉強。
「めんどうだな」と思うようなびっくりする量の夏休みの宿題。
成績がよくないから、なんとなく友達と通いはじめた塾の課題。
こういう大変で、めんどうで、やらされている感が満載の課題が目の前にあるとき、子どもは早く片付けたいから、答えを写してしまうではないでしょうか。
親や先生は、子どものためを思って課題を用意する。
でも、子どもはその課題を「やらされている」と感じ、面倒だと思っている。
この「かけ違い」があることに私たちが気づいていないと、答えを写したり、ミスした問題をやり直さなかったり、雑な取り組みをしたりという問題が次々起きてくるように思います。
そして、そのひとつ一つの行為を責めてしまう。
「なんで、丁寧にできないの?」
「ミスした問題はやり直すって、先生に言われたよね?」
「答えを写すなんて、もう最低。。。それじゃ、学習する意味ないよ!」
どうして親の気持ちがわかってくれないのか。。。
わが子のことを思って、勉強をするように言っているのに。。。
一方、子どもは、
親は「勉強、勉強ってうるさい」。
勉強って、本当にめんどう。
なんでそもそも勉強しないといけないわけ?
私たちが直面する問題は、こういう「かけ違い」が原因のことが多々あるように思います。
この気持ちの「かけ違い」に気づかないと、ついつい私たちは自分の視点で考え、相手を責めてしまいます。
責めるというマイナスの意識は、相手の関係を良くない方向へと導いていきます。
これは大人の人間関係でもありますよね。
そもそもやる気がない人に、やる気が出るようにいろいろ仕事を任せても、良い結果はでるわけがありません。
でも、やる気が出るように相手のことを考えたつもりの上司は、その結果を見て、「どうしてこの人はやる気も結果もでないのかな?」と責めてしまう。口で言わなくても、こういう感情は伝わるものです。
このような無言の「責める」という感情が多くある職場では、人間関係のストレスで出社が辛くなりそうです。
さて、話を元に戻します。
もしこれから私たちが「問題かな」と思うようなことがあったら、まずは「かけ違いってないかな?」ということを考えてみましょう。
「勉強しようよ」と声かけしても、子どもがなかなか勉強を始めない。
なんで毎日のことなのに、私の言っていることを聞いてくれないのかな、と責めてしまう前に、「かけ違いってないかな」と考えてみる。
かけ違いをなくすために、まずはじっくり子どもの気持ちを聞いてみよう、としてみる。
こういう視点を私たちが持つことで、解決してくる問題は多いように思います。
ちょっと今回も長めのコラムになってしまいました。
今日はこのあたりにしておきます。
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