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でき太くん三澤のひとりごと その151

◇ ルーツ


私が今の仕事をはじめたばかりのころ。
この仕事のノウハウを余すところなく伝えてくれた師匠から教わったことがあります。

それは、子どもには身体的な特徴だけでなく、意識、性格的傾向も遺伝するということです。(もちろん身体的特徴と同様にすべてが遺伝するわけではありません)

たとえば、とても頑固な性格で人の言うことを一切聞こうとしないお子さんがいたとします。

一般的にこれは、その子独自の持って生まれた性格であると考えるケースが多いと思います。

確かにそういうケースもあるとは思いますが、私はそういうお子さんをサポートさせていただくとき、まずその子のまわりに同じような傾向を示す人がいるのではないかと考えるようにしています。

それは、お父さん、お母さんかもしれません。

あるいは、その子のおじいちゃん、おばあちゃんかもしれません。

身近な血縁の中に、そういう方がいるのではないかと考えるのです。

なぜそのようなことを考えるのかといえば、いくらその子の頑固な性格を改善しようとサポートしても、その大元となるルーツが解消されない限り、その頑固さという問題は解決されないケースが多いように思うからです。


私の中にはかつて、権力に対する怒りにも似た反発心が存在していました。このことを客観的かつ冷静に見つめられるようになったのは、30代を超えてからのことです。それまでは、その反発心にいいように操られていたように思います。

中学生のころは、まず先生に反発する。

先生は学校においては、ある意味権力がある存在ですから、ときには理不尽な要求をしてくることがあります。それに対して、怒りにも似た感情で反発するのです。

もちろん、先生以外の大人に対してもそうです。

親も含めて、筋が通らないことを言う大人、偽善ばかりの大人に対して、心の底から湧き起こる強い反発心から暴言を吐きます。

警察に対してもそうです。

警察官が職務質問をしてきた際にも、権力を利用した高圧的な態度がトリガーとなり、反発をする。

その当時の私は、自分の内面から湧き出てくる「反発心」という強い、怒りにも似た感情に操られるまま、自分でも自分を制御することができませんでした。母には本当に迷惑をかけたと思います。

これは私の性格的なものではなく、思春期特有ものと考えられなくもありません。思春期になると、当時の私と同じようなことをするお子さんもいるからです。

しかし思春期が終わってからも、その怒りにも似た反発心が私の中に存在し続けたことを考えると、私の場合は思春期特有のものとは言えないでしょう。

とすると、この反発心は、私が持って生まれた性格なのか。
あるいは師匠が言うように、だれかから遺伝したものなのか。
だとしたら、一体これはどこから来ているのか。

私はこの仕事を始めてから、そのことをじっくり考えるようになりました。

私の場合、そのルーツは母親でした。

母は、幼少のころから親にずっと差別されていたようです。

具体的な話は母のプライバシーもありますので、詳しくは書けませんが、その差別の内容は「本当に血のつながった親がすることなのか?」と疑いたくなるようなものばかりです。

そういう差別のある家から早く巣立ちたいと思っていた母は、高校卒業と同時に、就職のため仙台から東京に出ていきました。

東京に出てからも、職場ではいじめ、妬み、差別など、本当に色々なことがあったようです。

いじめや差別というものは、たいてい立場の弱い人を的にするものです。
東京に単身出てきた地方出身の女性は、その当時は格好の餌食だったのでしょう。このとき、ずっと蓋をしていた母の中にある虐げられてきた過去が、マグマのように「反発心」という形となってあらわれたのです。

「力のあるものに絶対に負けない!」

「弱い人の気持ちもわからないような鈍感な人に絶対に負けてなるものか!」

「もうこれ以上虐げられてたまるものか!」

母はそのような反発心をバネにして、ずっと東京で戦ってきたようです。
女性ひとり。しかも東京には知人もいない。そのような中で戦うことは本当に辛いことだったと思います。

そういう日々を過ごしていく中、今の父と出会い、私が生まれました。

私が母の生い立ちから東京に出るまでの話を聞いたのは、私が30代になったころです。

それまでは一切そういう話は聞かされていませんでした。
きっと母も、子どもにはそんな辛い話はしたくなかったのでしょう。

私は母の話を聞きながら、

「辛かったんだね、、、」

「大変だったんだね、、、」

「そんなこともあったんだね、、、」

と、相槌を打つことしかできませんでした。

ただこのとき、直感的に師匠が言っていた通りだと思いました。

母がこれまでずっと言わなかった虐げれたことに対する悔しさ。

力のあるものに対する反発心。

理不尽なものに対する怒り。

そういう目には見えない意識が、言葉を介在せずに伝わっていたのです。
親子というのは、それほど深く、強い繋がりがあるのでしょう。


もしみなさんが、これから子育てて悩むことがあったら、まずその問題のルーツがどこにあるのかを冷静に考えてみるとよいと思います。

私の母も、まさかわが子の反発心のルーツが自分にあるとは、子育てをしていたときには夢にも思わなかったことでしょう。

しかし親子でお互いに話をし、母の辛さ、悔しさなどを私と共有したとき、母と私の中にある反発心は、少しずつ静かに消えていきました。

ただまだ完全鎮火とまではいきません。
まだまだくすぶったものがあり、時折そこから火がつくことがあります。

しかし今は、火が起きたことを自覚できますので、自分で鎮火作業をすることができます。

そう考えると、反発心にいいように操られていたころとくらべると、私も母も成長したように思います。

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