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でき太くん三澤のひとりごと その155

◇ 夏休みの思い出


私には夏休みの楽しい思い出というものがあまりありません。
両親は共働きで忙しく、家族旅行に行ったという記憶もほとんどありません。

終業式のときにクラスメイトが「夏休みは家族で海外旅行に行くんだ!」とか、「千葉の別荘に行くんだ!」というような話をしているのを、いつも羨ましく思っていました。

わが家の記憶に残っている旅行といえば、母方の実家のある仙台に行ったことくらいでしょうか。これは確か私が小学校低学年くらいの時期だったように思います。

私が小学校高学年になったころには、母の仕事はさらに忙しくなり、夏休みに仙台に行くというわが家の唯一の家族旅行は自然となくなっていきました。

子どもだけで電車を乗り継ぎ仙台に行くという選択肢もあるにはありましたが、それを実現したのは弟だけで、私は東京からはほとんど出ることがない、引きこもりのような夏休みを過ごすようになりました。

小学校高学年からは「引きこもり夏休み」が私の夏休みの定番となっていきました。


引きこもり夏休みの過ごし方は、今振り返ってみても、実に荒んでいました。

朝は10時ころダラダラと起き、台所に準備してある朝食を食べる。
そこから宿題をするわけでもなく、漫画を読んだり、テレビを見たり。

そうこうしているうちにお昼になり、自分で適当なカップラーメンを選びお昼を食べる。

そして、連続テレビドラマを見る。
NHKのドラマではなく、よくお母さんたちが見ていた民放のお昼の連続ドラマです。

ドラマを見終わったら、ちょっとお昼寝。
15時ころに起きて、また漫画を読んだりしてダラダラ過ごす。

そうこうしているうちに夕方になり、母に頼まれていたお風呂掃除をする。日がすっかり暮れた19時過ぎに、母が帰宅し、夕食。

夕食では、必ずご飯はおかわりをしていました。
まるで充実した日を過ごしていたかのような旺盛な私の食欲。
さして体を動かしていたわけではないのに、食欲はしっかりありました。


こんな荒んだ毎日を過ごしていることは、きっと母はわかっていたと思います。しかし、母は一切私に小言を言うことはありませんでした。

自分が食べた食器をしっかり洗って、お風呂掃除をしてあれば、何も言うことはありませんでした。

友達と遊ぶ約束をした日は、朝から晩まで汗だくで遊びました。近くに河川敷や公園などがありましたので、そこで思いっきり遊びました。

引きこもり夏休みとはいっても、友達と遊ぶときは外に出ていましたので、私は完全な引きこもりではありませんでした。

ただ8月のお盆になると、多くの友達が両親の実家に帰省したり、旅行に行ったりします。そうなると友達と遊ぶ約束はできなくなりますので、私はまた完全な引きこもりとなるのです。8月のお盆の時期からは、1日中、家にいて、前述したようなダラダラとした生活を送るようになるのです。


私はこういうダラダラとした日々が続く夏休みは、あまり好きではありませんでした。

学校に行き、わからない授業を聞いて、友達とくだらない話をしながら給食を食べていたほうがマシでした。

でも、どうしたらこういうダラダラとした夏休みの過ごし方を変えることができるのかがわかりませんでした。やりたいこともなく、目標もない私には解決策が浮かばなかったのです。何ら解決策もないまま、毎年くる夏休みを、ただダラダラと過ごしていくのでした。

こういう荒んだ夏休みの過ごし方を、中学3年生になるまで続けていました。

中学3年生から私は塾に通うようになりましたので、朝から夕方まで塾で勉強をするようになりました。ここで少し夏休みの過ごし方が変わってきたように思います。

古い会員の方はご存知かと思いますが、私は本当に勉強ができない子でしたので、それまでの分を一気に取り戻すため、中学3年生の夏休みは必死で勉強をしました。

必死といっても決してつらいということはありませんでした。

「わかる!」ということが楽しくなっていましたので、「わかる!」という快感を得るために勉強をしていたように思います。

夏休みが終わると、私の成績はどんどんあがっていきました。夏休みの努力がしっかり実ったのです。

そこからも私の成績はさらに上がり、私は無事に高校に入学することができました。

中学の先生からは完全に「就職組」と思われていた私も高校に入学することができたのです。

そして迎えた高校生活はじめての夏休み。
私は、今でも記憶に残る素敵な1日を過ごすことができました。

次回のコラムでは、この1日の出来事について書いてみたいと思います。

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