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でき太くん三澤のひとりごと その132

◇ 最初で最後の退塾 #2


Yくんと別室で20分ほど話をしてから1週間。
今日はYくんが教室に来る日。この日は夕方にある授業の時間まで、仕事にはあまり集中できませんでした。

Yくんがしっかり7枚のプリントを学習してくるのか。

仕事をしていても、このことが気になってなかなか集中できない。その当時の私は、少し気になることがあるとそのことばかりに意識がむかってしまい、他のことに集中できないところがありました。真面目すぎるというか、厄介な性格です。今ではだいぶその点は改善されて、気になることがあっても優先順位が低ければ、それを意識の中で後回しにすることもできるようになってきたと思いますが、、、


夕方5時。
いよいよ実践教室の始まる時間です。
いつも通りYくんは、親御さんが運転してくる車で教室にやってきました。

車から降りてくるYくんは笑顔で親御さんと話をしていました。

その様子を見て、「あ、今回はしっかり7枚のプリントの学習を進めることができたのだな」と思いました。

三々五々生徒が教室に集まり、17時になると同時に各々自分の課題を学習し始めました。

過去に学習した内容を復習する子、プリントを学習していてどうしてもわからなかったところを質問したい子、様々な状況にあわせて課題を設定し、実践教室では授業が進みます。実践教室も通信教育同様、個別対応です。

Yくんについては、教室にくるまでいつもプリント学習が進んでいなかったので、モチベーションを上げるための話をしたり、教室にくるまでに進められなかった分のプリント学習を進めていました。

この日はまず7枚のプリントが進められたかどうかを確認することから始まりました。

「Yくん、こんにちは!この1週間でき太の学習はできたかな。1週間で学習できた分をここに出してみて」

その言葉を言った後、私の心の中では「どうか7枚出してくれ!」という祈りにも似た言葉が心の中では浮かんでいました。

「どうか7枚出してくれ!」ーーーその言葉を何度も願うように心の中で叫んでいました。

Yくんがカバンの中からプリントを出すまでの時間は、私にはとても長く感じられました。

Yくんが少しうつむきながら、プリントを出すのにわざと時間をかけているような様子を見て、「これは7枚ないな」と確信しました。もし7枚学習してきていれば、「やったぜ、先生!ばっちり7枚学習できたよ!」と、何の躊躇もなくプリントを出すはずです。

それが、なかなか出せない。

「あれ、どこだったかな、、、」などと、スレた大人が言うような独り言をいいながら、Yくんがおもむろにカバンから出したプリントは、1枚。

日付を見ると、私と話をした次の日の分のみ。

しかも筆跡は粗っぽく、とても問題をじっくり読みながら解いたとは思えないような内容。解答書を見ながら仕上げたかもしれないような仕上がり。形だけやっただけのプリントでした。

あんなに真剣に話をしたのに、、、

若かった私は、その後の対応方法が全く浮かばず、思わず心にもないことをYくんに言っていました。

「1枚はできたんだね!がんばったね、Yくん!」

自分でも吐き気がするようなひと言でした。

心の中では「なんであれだけ真剣に話をしたのに、1枚なんだ!」と怒りにも似た気持ちが浮かびながら、なぜ自分は「1枚はできたんだね!がんばったね、Yくん!」と言えるのか。心とは違う言葉を言っている自分が許さませんでした。

するとYくんは、「がんばってやろうと思ったんだけど、なかなかできなくて、、、寝るときになって、『あ、でき太くんやらなきゃ!』と思い出すんだけど、それまで忘れちゃってて、、、」と言ったのです。

また出ました。

Yくんの口癖にも似た「忘れる」。


自分にとって都合のわるいことを人はよく覚えているものだと私は思っています。

Yくんにとってもでき太の学習は、このときには忘れたくても忘れられないものになっていたはずです。

自分で「がんばる!やってみる!」と言っていたことが、できていない。

できていない状態で教室に来るということが、Yくんにとっては都合のわるいことであり、居心地もあまりよくない苦痛にも似た状況だったでしょう。

そういう「負」の感情があるものは、大人も子どももなかなか忘れられないものです。

それを「忘れた」と言ってしまうYくん。さっきの私と同じように、心にもないことを言葉にしている。

こういうことが小学校4年生の段階で常態化している。

そこに本人も気づいていない。親御さんも日々の忙しさもあってか、それに気づかずにいる。

学校の成績には問題のないYくんでしたが、心と言葉、自分の本当の気持ちと言葉が乖離していることに気づいていないYくんは、私にとっては「大きな問題を抱えた子」に思えてきました。

ここで私自身の気持ちをリセットし、Yくんと私の間にある雰囲気を変えるために、職員控え室に移動することにしました。

私とYくんとの間に流れている悶々とした雰囲気が他の生徒の集中を妨げないようにするという配慮もありました。

控え室に移動すると、Yくんはずっと下を向いていました。

さすがにYくんも、「やる!」と言いながらやっていないことを気まずく思っていたのでしょう。


ずっと下を向いているYくんに、私は話を始めました。

「Yくんさ、さっきもちょろっと言っていたけど、でき太を学習するのを『忘れる』って言ったけどさ、3ヶ月近くもの間、毎週私と話をしてきた『でき太くん』のことを忘れてしまうって、本当にあるのかな。

もちろん、入塾したての頃は忘れることはあるかもしれないけど、毎週、毎週話をしていれば、忘れるということはないんじゃない?頭の回転のいいYくんのことだから、きっとYくんはいつもでき太のことは覚えていると思うよ。

でも、どうしても『でき太くん』は面倒くさいし、やろうと思えない。宿題もあるのにかったるい。そういう状況なんじゃないのかな。

ぼくが気になっているのは、Yくんはでき太のことを忘れていないに、『忘れた』と言ってしまうところなんだ。

やってこなかった理由として、忘れてないのに『忘れた』とYくんは言ってしまうんだよ。

こんなふうに心に思っていることと、自分の言っていることに違いがあると、Yくんはそのうち自分の本当の気持ちが自分でわからなくなってしまうよ。

やりたくないのに『やります!』と言ってしまうようになるよ。

本当の自分がわからなくなっちゃうよ。そこがとっても心配なんだ。

前にも話をしたけど、でき太は学校の課題ではないから、やりたくなければやらなくてもいいものなんだよ。

もしYくんが面倒で、かったるくて、やりたくないなら、それでいいんだよ。何も怒られる話じゃないんだ。

もしやりたくないなら、私からお母さんに話をしてあげるから。Yくんの本当の気持ちを言ってごらん」


俯いてずっとだまっているYくん。しばらく待ってもYくんから言葉を発することはなく、Yくんはただじっと下を向いていました。

この子はきっと都合がわるくなると、これまでこういう態度でその場をしのいできたのでしょう。そして大人が次の解決策を提示してくれるのをじっと待っている。

今、思い起こしてみれば、私がもっとやさしい雰囲気を演出して、何でも言えるお兄さん的な雰囲気をつくってから、今回のような話をすればよかったのかもしれませんが、その当時の私にはまだそのような技量も配慮もありませんでした。私からは少し威圧的な雰囲気が出ていたのかもしれません。


「Yくんはこれから、どうしたい?でき太くんは続けていきたい?それとも、本当はやめたい?どう、Yくん?」

するとYくんはひとこと。

「でき太くんはやっていきたいと思ってる、、、」

「そうか、Yくんはやっていきたいんだね。でも、本当に無理して言わなくていいんだよ。ちょっとでもやりたくないなという気持ちがあれば、やらなくてもだいじょうぶなんだよ」

しばらく私とYくんの間に沈黙の時間が流れ、Yくんはまたひとこと。

「でき太くんは続けていく、、、」

と、小さな声で言いました。


このとき私の心の中では、「でき太くん」を続けていきたいというYくんをしっかりサポートしていきたいと思う反面、どう見ても「続けていく」というYくんの気持ちが本心とは感じられませんでした。大人に責められないために「言わされている」という感じが否めませんでした。

Yくんと出会うまでには、私もかなり多くの生徒さんのサポートをしてきましたので、その感覚には自信がありました。子どもの目の動き、顔の表情、全体の雰囲気などから、何が本心なのかどうかは何となくわかるようにはなっていたと思います。

しかし、Yくんにいくら本心を言ってもだいじょうぶと伝えても、Yくん本人からは「でき太くんは続けていく」という言葉しか返ってこない。「それは本心じゃないんじゃない?本当はめんどうでやめたいんじゃない?本当の気持ちを言ってもだいじょうぶなんだよ」と言っても、「でき太くんはやっていきたいと思っている、、、」というこたえが返ってくる。

正直なところ、その当時の私には、本心とは違う言葉を知らず知らずのうちに使ってしまうYくんへの次の対応策が浮かばず、完全に「お手上げ」の状態になっていました。

でき太くんをやっていきたいというYくんの気持ちは本心ではないはずと確信がありながらも、それ以上話を詰めていくこともできない私は、「じゃあ、でき太くんを続けていきたいのであれば、今回できていなかった6日分の6枚のプリントを、次回までに取り組んでこようか」と、Yくんに言うのでした。

するとYくんは、「うん、つぎの教室までにやってくる」と、ずっと俯いていた顔を少しだけあげて私に言うのでした。

そして、「ふぅーーー!」と少し勢いのある深いため息をYくんがつきました。このため息は、むずかしい問題が解決したときに出るようなちょっと安堵感が含まれていたように思います。私にとってはちょっとイヤな予感のするため息でした。

はたしてYくんはできていなかった6日分のプリントを学習してくるのか。

そして、つぎの教室で私はYくんにどのような対応をするのか。

このことについては次週でふれたいと思います。

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