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でき太くん三澤のひとりごと その137

◇ 問題は解決を求めて現われる


私がこの一節に出会ったのは、確か18歳くらいのときだったと思います。
「でき太くんの算数」の基本理念を考えた重松昭春先生の書籍に書いてありました。

その当時は、その一節の言葉の意味は理解できました。
決して難しい文章ではありません。

私たちが人生で直面する「問題」というものは、「解決」を求めて現われてくる。
おそらく日本語を使う人ならだれもが理解できる一節です。

しかし私は、この一節の本当の意味を、自分の人生をかけて、まだ実証している段階です。その意味ではこの一節が意味することを、まだ本当には理解していないと思います。表現のひとつとして理解するのは簡単な一節ですが、その本当の意味を、身体で、細胞のひとつ一つで、「わかった!」と実感できるようになるのは、もう少し時間がかかるように感じています。

私は毎週「ひとりごと」を書き、これまで自分が経験したことから得たノウハウなどをみなさんに紹介しています。
そして仕事柄、私のことを「先生」と呼んでくださる親御さんもおります。
しかし、その一節を未だに実証しているような段階の私は、本当に「先生」なのか。

確かにみなさんよりは多くのお子さんたちと接し、様々な失敗を経験し、そこから得たノウハウは数多くあります。
でも、私にも日々問題は起こり、それと向き合わざるを得ず、それに悩み、もがき続けているひとりの人間にすぎません。

問題が起きたとき、私は未だに問題を解決することだけに意識が向かい、その問題の本質を見失っていることがあります。
そういうとき、ふと私の脳裏には「問題は解決を求めて現われてくる」という一節が浮かびます。

今、自分が直面している問題は、何を解決しようとして現われているのか。
私に何を教えようとしているのか。
なぜ私に、この問題が現われるのか。

脳裏に浮かんだ重松先生の一節は、問題解決だけに意識が向かっている自分を、一旦冷静にしてくれます。

このところ私に問題として現われているのは、勉強が心底嫌いになってしまった子どもたちの存在です。
正確には、勉強を嫌いにさせられた子どもたちといったほうがよいでしょう。

勉強が嫌いにさせられてしまった子どもたちは、学校の宿題なども本当に嫌そうに、面倒くさそうに取り組みます。
勉強が嫌いなお子さんにとって、宿題はほとんどがわからない問題です。
ですから、学校からもらっているワークも、漢字ドリルも、ほぼ答えの丸写しです。
面倒くさそうに答えを丸写しにし、それを学校の先生に提出する。
そんなことを勉強が嫌いな子どもたちは、日々行っているのです。

その現場を発見した私が、「答えを丸写しなんてするな!ちゃんと勉強しなさい!」と言ったとしても、この問題の本質は解決しないように思います。そもそも勉強が嫌いな子に、その子の学力にあってもいない宿題を出し、それを1日でやってこいというのが無理な話なのです。

勉強を嫌いにさせられてしまった子どもたち。
そして、宿題などは丸写しでもしないと体裁を保てなくなってしまっている子どもたち。
この問題は、どのような解決を求めて現われてきているのでしょうか。

勉強が嫌いな子どもたちの多くも、中学になると塾に通い始めるようになってきます。
彼らも中学になると、成績は定期テストの出来、不出来で成績が決まるということがわかるようになるからです。
さらに、定期テストの結果次第で、高校に行けるかどうかも決まるということが実感できるようになってくるからです。

あれほど勉強が嫌いだったのに、定期テストの1週間くらい前になってくると、急に勉強机に向かうようになる。
ちょっとでも良い点数をとろうとして、徹夜までする。

でも、勉強が嫌い。
勉強を嫌いにさせられてしまった。

この本質に、子どもたちの多くは全く気づいていない。
いや、気づいていたとしても、それを考える機会を与えられていないだけなのかもしれない。

なんで自分は勉強が嫌いなのか。
なんで自分は定期テスト前にならないと勉強できないのか。
そもそもなんで自分は学校に通うのか。

こういう答えを見つけるまでに時間がかかりそうな問題には、一切メスを入れることはなく、ただ日々だけが淡々と過ぎていく子どもたち。
そして、高校進学、大学進学という人生を左右するような事柄で不安を煽らないと、子どもたちに勉強をさせることができない先生たち。

この状況は、問題をただ長引かせるだけで、ほとんど問題解決の本質に近づいていないのではないだろうか。

かつて勉強が本当にできなくて、中学でも就職組と思われていた私も、勉強は大嫌いでした。
宿題などはほとんどやっていきませんでした。たまに、しつこく提出を催促する先生のときだけは答えを丸写ししていました。
そうしないと、その当時の私では宿題を仕上げることはできなかったからです。
雑な字で、ただ形だけ仕上げた宿題。
それでも、提出さえすれば文句は言わなくなるからです。

今、現在の自分は勉強が大好きです。
仕事が終わったあと、晩酌をしているとき以外はほとんど勉強しています。

難関校の過去問を解いたり。
気になる作家の本を読んだり。
ピラミッドの謎を探究する動画を観たり。

日々何かしら勉強をしています。

なぜ自分はこんなに勉強が好きになれたのか。
これも、前々回から触れている「自己像」が大きく影響しているように感じています。

自分を肯定できる意識。
自分の存在が意味あるものとして感じられる意識。
こういう土台があって、はじめて人は勉強というものに向き合えるのではないでしょうか。

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