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懐かしさ溢れる空き地

空き地。
なんにもないけど、好きな場所。
子供の頃の遊び場だった。
普通の公園は家からはちょっと遠くて…
当時住んでいた家の真前に大きな空き地があったから、そこでいつも近所の色々な年齢の子達と遊んでいた。

「なんにもない」って言っても、あるにはあった。
たとえば・・・
よく見かけるけど名前は知らない草花だったり木々だったり、石ころ、おそらくここに建っていただろうと思われる建物の壁の破片、風呂場かな?そのようなタイルの欠片、どこかの窓の割れたガラス、木の板、支えとなっていただろう朽ちた木の柱などなど。
そして「その物達」は、私たちの遊びの中でなかなか重要な役割を果たしてくれていたのだ。
「ごっこ遊び」のわき役に徹してくれた。
だからとても大切な物達だった。
そして組み合わせると宝物にもなったんだ。
覚えているのはガラス。それも透明のツヤツヤなガラスは希少価値が高かった!
これと草花を合わせて、地面に埋める。それが宝物となった。
地面を浅く掘ってね、掘ったところに草花を形良く置いて、ツヤツヤのガラスを上から被せる。
その周りをお気に入りの小石とかタイルの欠片とかで囲んで装飾をする。
地面に草花の飾りが出来る。これがとても綺麗だと感じていくつもいくつも作った。みんなで見せ合いっこをした。友達が素敵な工夫をしていると、「私も!」って真似してみたり。もっと色々な工夫をしてみたり。頭の中で色々とアイデアが浮かぶ。
そして帰る時には誰にも壊されないように土をそーろっとかぶせて帰った。
次の日に見に行って、残っていたのがとても嬉しかった記憶がある。

何もないのに、何故か「空き地で遊ぼう!」ってなる。
鬼ごっこ、缶蹴り、ごっこ遊び。
何でもできた。
遊びは無限!!
飽きてきたら、ルールを変えたりした。
自分達で考えて工夫する。
また飽きてきたら今度は遊び自体を変えたり、「何かいいものないかな?」ってぶつぶつ言いながら、新しい宝物を探す。

その空き地では何も制限はなかったし、グループもなかったし、皆が空き地メンバーなのだ。
何にもないとこに子どもが数人いたら、「何してるの?」って普通に聞くでしょ?
そしたらそこから自然と会話が生まれてたよね。
そして、「いっしょにあそぼう!」の一言だけで友達になれた。
何もないから自分たちで考える。
ごっこ遊びなら、自然と自分のなりたい役割が決まっていき、その日はそのごっこ遊びに夢中になる。
「あるにはあった」物達も友達の仲間入り。
誰かがルールを提案してみたり、面白くなる工夫をしていく。

1日限定の遊び。
次の日はその続きをすることはなかったなー。
今から思えば「空き地」って貴重な遊び場だった。
大切な思い出の場所。
私が育った場所。
今は空き地があっても柵が設けられて入ることもできなくなってる。寂しいものだ。

私の空き地愛は果てしない。


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