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家族・夫婦・恋人などの「枠組み」はちょっと息苦しい
7月13日、昨日ですね。東洋経済オンラインで「だから、ひとり暮らし」という新しい連載がはじまりまして、その最初の記事として僕のインタビューを載せていただきました。面白いタイトルですよね。僕の背景を知っている人は、まずタイトルを見てかすやがそのインタビューを受けているということで失笑するんですが、内容は至って真面目です。
このタイトルにはこんな背景があります。
日本では、ひとりで暮らす人が増加している。国立社会保障・人口問題研究所の調査によると、約10年後には日本の平均世帯数が2人以下になるという。
多数派になりつつある「ひとり暮らし」だが、事情はさまざまだ。ずっとひとり暮らしの人もいれば、これから他者と暮らす人、また他者と暮らしていたがひとりになった人もいるだろう。本連載では「ひとり暮らし」をする人をその自宅でインタビューし、暮らしぶりや心のうちをひもといていく。
このインタビューをお受けしたきっかけは、別の取材でお世話になった蜂谷さんというライターさんがいて、こうこうこういう連載を企画しているんだけどという話をされていた時に、多分僕ピッタリだと思うので良かったら声かけてくださいねって話をしたところからはじまりました。
いつも受けているような取材では仕事のことがほとんどで今回のような完全にプライベートを話すことは一度もなくて、awai FMとかSNSでちょこっと話すことはあったと思うんだけど、こういう大きなメディアさんで自分を晒すということにはちょっぴり不安はありました。
このnoteの音声ver.はこちら。
どんな反応くるんだろうなってかなりドキドキしながらリリースを待っていたんです。結構センシティブなところもあって、パートナーシップだったりとか人との距離感みたいなことを話をしているので、多分ここで話してることって共感してくださる方もいれば批判的に見る方もいると思うし、いろんな方がいるだろうなって思っているので、反応はちょっと気になっていました。
僕の背景を知っている友人たちの多くはポジティブな反応をしてくれるんだけど、全く知らない人が読んだらどんな反応があるんだろうってすごく興味があって。SNSのリポストやシェアでコメントくれないかなぁと怖いもの見たさではあるけど、ちょっと期待しているところもあります。
こういうインタビューってテキストになると、どうしても自分の思っていないような感じで伝わってしまうことがほとんどだと思うんですけど、取材してくださった蜂谷さんがいい感じに書いてくださったんですよね。インタビューも自然体で、僕の言葉に一喜一憂するというよりは、淡々と聞いてくれて淡々と掘り下げていくみたいな、全然嫌な感覚じゃなくてすごく興味を持って聞いてくださってるなぁっていう感覚だったんです。
2回離婚してますよとか、パートナーとの距離感の話だとかが中心だったんですけど、話をしてみて、今の考え方というのは今にはじまったことではなくて、きっと潜在的に幼い頃からあったんだろうなって思います。
「家族」「夫婦」「恋人」っていう枠組みが苦手というか、その枠って必要なの?ってところ。でも社会的には濃淡はあるにしても、そういう枠は少なからず存在していて、そこに自分も適応しなければならないって思いがあるから、僕はその役を演じるみたいな。
結局「家族はこうあるべきだ」「恋人はこうあるべきだ」「夫婦はこうあるべきだ」みたいなので、自分の中で強くあったんだと思います。
基本、争いごとは嫌い。相手が嫌な思いをするなら自分は折れるみたいな。
でも、それは仕事上では違って、そこでは争いごとというか議論は好んでするし、自分の主張はしまくる。それは、目指している社会を実現するためという大義名分があるから。で、そこにいる人たちが同じ方向を向いているという前提で話ができるから、議論をしても相手をディスることにはならないので、言いたいことが言える。
これが、家族とか恋人みたいな感じになると、どうしても個人のことを責めがちになる。お互い心地良く暮らすためには、時には喧嘩や議論みたいなのは必要かもしれないけど、なんかそのバランスが僕には難しいみたいで。ちょっとでもそういうことがあると気になってしまって、仕事が手につかなくなっちゃうんです。嫌な思いをさせてしまっているから、早く帰らなきゃとか、何かしなきゃとか。そこまで考えなくて良いんだと思うんだけど……。
家族や恋人、夫婦の目的って一体なんだろうね。と考えてしまいます。
あー、人として未熟すぎる……。と書いていて思いました笑
うーん、上手く伝わらな過ぎる笑
僕は日頃から、人は枠組みで関係性を縛るからこそ、問題や苦しみが生まれるのではないかと疑問を持っています。だからみんなが関係性の枠組みから解放され、個々のやりたいことに忠実になって、自分らしく暮らせばいいのに、と思うんです。
これも抜粋なんですが、これについての反響が結構あって。「枠組みが関係性を縛っている」というのは、社会的な背景があるんだと思っています。「家族」っていうのがどういう風に「家族」という形になってきたのかとか、「恋愛感」みたいなところはどういうふうに形作られているのかとか。例えば、ドラマの影響が強かったりとか、アニメの影響が強かったりとか、家族や恋人関係がキラキラハッピーエンドみたいにドラマやアニメで描かれていたとしたら、それをみてこれが「家族の姿だ」とか「恋人の姿だ」みたいなのはあるけもしれませんよね。または、自分の父や母の関係が考え方の根底にあるという人が多いかもしれません。
みんな、口には出さないけど、枠の中にいる窮屈感って持っているんじゃないかなって思うこともあります。別にそれは悪いことではなくて、それって当たり前じゃん、かすやはそれから逃げているんだろ?って話だと思うんだけど。解放されてって言ってしまうと、すごく無責任なことを言っているかもしれないね。僕はこれを境界線を曖昧にするって表現してる。
境界線を曖昧にするからこそ、ある程度の距離を保ちつつ、時にはくっついたり離れたりしながら、自分の好き、自分が心地いい、相手が心地いい、相手が好きなことを覗くことができる。それを繰り返すうちに、ちょうどいい関係が生まれるんじゃないかな。
あ、最後に。
全く知らない方がXでコメントつけてリポストしてくださっているんですけど、それが面白い内容だったんです。
「心が育っていない」ということを書いてくれていたんです。
わー、これ確かにそうかもって思っちゃいました。
と当時に「心が育っていない」という状況について興味を持ったので、ちょっと考えてみました。これは次回のawaiで話しますね。
自分をさらけ出すのはちょっと不安だったんだけど、いろんな形で反応してくださったのでちょっとホッとしています。
というところで、今日はそろそろ寝ます。
おやすみなさーい。
サムネイルphoto by かわむー
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