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生きるモードが変わる。それが人生に与える影響はとてつもなく大きい。

「ここに来ない人生があったかもしれないなんて。」

世界を旅するたびにそう思う。
それくらい旅は一瞬にして私を新しいモードに連れて行く魔法の装置だ。

このnoteは、私の感情と記憶が薄れていく前に今をここに置くべく書いた。誰かに読んでもらうというより、見たこと、聞いたこと、感じたことをただ吐き出している。なのでヒンズー教のことや宗教的慣わしなど認識が違っている部分もあると思う。確かな情報源としてではなく、エッセイだと思って面白半分に読んでいただきたい。

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孤独はタパスの一つである。

朝5時半。
まだ真っ暗なうちに起きて身支度をする。顔を洗い、歯を磨き、ストレッチをして、日焼け止めと眉毛だけちゃっと描いたら15分ほどで宿を出る。

ここは南インド、ティルバンナーマライ。
旅の始まりとしてどっぷり2週間を過ごしたAuroville(オーロヴィル)のヨーロッパ文化が混じり合う雰囲気とは打って変わって、ヒンドゥー教のど真ん中。「THIS  IS INDIA!!」な空気がプンプンしている。


特段インドについてもよく調べもせず、オーロヴィル以降の予定は未定だった私は、「せっかく南インドに来たならティルバンナーマライには絶対に行った方がいい!」と何人にもおすすめされ、「てぃる?てぃるなん?ばんなんまら・・・?ん?(マジで全然言えない)」と名前すら知らない(言えない)街に車で2時間ほどかけてやってきた。

少し日が昇り始めた6時。
「オーム ナマ  シバヤーー」と大音量のマントラが鳴り響く。これが街が目覚める合図のようだ。

向かうは、Sri Ramanasramam(シュリ・ラマナ・アシュラム)

アシュラムのゲートをくぐると、まず靴を脱ぐ。置き場所なんて決まってない。みんな適当に木の下に脱ぎ捨てていく。「これ絶対どこに置いたかわからんくなるやつやん・・・」と思い、私は一番奥の端っこのなるべく覚えやすい場所を選んでサンダルを脱いだ。

裸足で踏み締めるとまだ石畳が冷たい。奥から何やら音が聞こえてくる。そこでは熱心な教徒らが15人ほど集まって男女交互に掛け合いながらParayana(マントラ?)を唱えていた。それは讃美歌のようで初めて聞くはずなのになぜか懐かしい。般若心境とも似ているがその周波数が独特でなんとも耳障りがいい。不思議と心に優しく沁みいって来た。

ホールに初めて足を踏み入れた時、なんとも言えないパワーがみなぎる。そこには澄んだ優しい目をしたラマナの大きな写真が飾られていて、彼の瞳がまっすぐ私を見下ろしていた。parayanaの響き、そして見下ろす彼の瞳に吸い込まれて、いつしか私は泣いていた。これには自分でも驚いたし、インドに来て初めての感情だった。

そうして私はこの日から4日間、このアシュラムに通い続けることになる。

Tiruvannamalai寺院に飾られた写真

ちなみに私は、ハマるとそれだけをとことん追求するタイプで(普段も気に入った服をそのシーズン毎日着たりする)その日以来これまで存在すら知らなかったラマナについて英語と日本語で読み漁った。

毎日、朝は6時から8時、夜は16時から18時半くらいまでをアシュラムで過ごす。瞑想したり、ホールでParayanaを一緒に唱えたり、アルナチャランの山を拝んだり。なにをするでもなくただそこに身を置いていたい、空気に触れていたい、そんな気持ちだった。きっとそこにいる人が皆そうだったように。

ホールは向かって右側が女性、左側が男性、と壁に書かれていて、男女が分かれて座る。アシュラム内は花と独特の香りが漂い、前方にはラマナの写真やLingamが祀られていた。もちろん拝み方なんて知らない私は、周りの人を見様見真似しながら覚えていく。像の前で手を合わせ、キャンドルの煙を自らにふりかけ、時に腹ばいになって額を床につけて拝んでいる人もいる。そして全ては右回り。朝から多くの人がLingamの廻りを歩いたり、ホールで瞑想したりしていた。

毎日6時半から7時でPujaa(供養)があり、それが終わると僧侶の元に並んだ人にスプーン一杯のバターギーが順番に振る舞われた。右手にそっと注がれるその温かい飲み物をゆっくりと口に運ぶ。これが驚くほど美味しくて初めて飲んだ時の衝撃ったらなかった。じっくり体に染み込んでいく感覚。すぐ飲み干す人もいれば、部屋の端の方に行ってゆっくり拝んでから目を瞑って有り難そうに少しずつ飲む人もいた。手についた雫は皆頭から振りかけていた。

「ここに来るために、私はインドにきたのだろう」と確信した。大袈裟ではなく、生まれ変わって新しい人生を生き直すような感覚に近しかった。


「郷に行けば郷に従え」というが私はそれがもっぱら得意で、たぶん環境適応能力が異常に高い。どれくらい高いかというと、転職したての時「あきなさん、入社して何年目ですか?」と聞かれて「まだ3日目です。笑」と答えていたし、国内でどこかの島を旅したりしてるといつも道を聞かれる。どこに行ってもすぐに地元民のような空気を醸すのだろう。どの国や街も、どんなチームに配属されても、新しい環境に飛び込んだら数日かからずもうそこが自分のホームのような気持ちで過ごすことができる。

すぐ馴染む。すぐ溶け込む。すぐ仲良くなる。
それが無意識にできる私はとても一人旅に向いていると自分でも思う。


そうやってインドの生活もすっかり馴染み、全く未知だったヒンズー教の慣習もなんの抵抗もなく日々に取り込んでいった。アシュラムにいると全てがなんだかこう削ぎ落とされて、空っぽになっていくのだ。俗世ではなく自分の真我を見つめるような目と心になっていく。それは自分でも実感していた。日本人はとにかく珍しく、ジロジロ見られるし声をかけられる。でも不思議とアシュラムで過ごした後は誰も話しかけてこない。不思議と人目も全く気にならなくなる。全く違うゾーンを生きている気すらした。孤独なはずのインドで、これまで感じたことのない穏やかさと温かさと、無垢な自分に出会っていた。

孤独はタパスの一つである。瞑想、言葉と心の沈黙、思考と肉体の静止、穏やかでゆったりすること、矛盾に満ちた複雑な世界から一時遠ざかることがタパスである。

サティシュ・クマール著「君あり、故に我あり。」

歩くことは幸福をもたらしてくれる。


ティルバンナーマライに来て3日目の朝、私はギリプラダクシナに行くことを決めた。それはシヴァ神が宿る(シヴァ神そのものでもあると言われている)アルナチャランの周囲14kmを裸足で歩く巡礼の事。

日が昇ると暑くなってしまうから、だいたい5時前くらいから歩き始める。外はまだ真っ暗だし、日本人女性が1人で、かつ初めてのギリプラダクシナをするのはさすがにちょっとひよったが、朝アラームもセットしてないのに4時半に目覚めた時「これは行けってことだな」と覚悟を決めて出発した。

ギリプラダクシナは、妊娠9ヶ月の妊婦が歩くようにゆっくり歩くことを勧められている。とはいえ1人で薄暗い道を歩く怖さから、最初はかなり早足で歩いてしまう。でも不思議と一つ目のLingamを過ぎて、日が昇り始めた頃から私の中のゾーンが変わって、そこから3時間全く休憩することなく、疲れを感じることすらなく、私はただ歩いた。こんなこと日本にいて、普段の生活の中で一度もなかったと思う。

目的地に辿り着くために歩くのではなく、心の平穏のためにただ歩く。時にマントラを唱え、歩くことに集中する。何かを考えながら歩くのはなく、ただ歩く。景色を見て、手を合わせて感謝する。わたしは生きている、ということを実感して不思議とまたエネルギーが湧いてくるのだ。途中から舗装された道になったので、私も靴を脱いで約半分は裸足で歩くことにした。

ちなみに巡礼ポイントの”Lingam”の意味を途中で調べてみると「男根」と出てきた。「え?ちょっと待って。じゃあ私は毎回男根に手を合わせ、拝んでいるということなのですか・・・?」となんともいえない感情を抱きつつ歩き続けた。

実際男根を模った長円形の像はたくさんの花で囲まれていてよく見えない。ただ確かに黒い長円の像がどこにでもあった。サイズは様々。なんとも知らないことだらけである。インドすげー。

そうして私は5時間かけてギリプラダクシナを終えた。すっかり暑くなって、歩いた疲れよりも暑さにバテた。でも清々しくて、とても気持ちよかった。

裸の足の皮膚で聖なる地に触れることは、あなたをこの場所の霊に結びつけてくれる。

サティシュ・クマール著「君あり、故に我あり。」

全てはここに来なければ知らなかった世界。

たった10ルピー(約15円)で飲めるチャイの美味しさも、鳴り続けるクラクションは警告ではなく、通るよと優しさの合図であることも、トイレには紙はなく基本的に便座も床も水でびちゃびちゃなことも、「NO SPICYで!」とお願いして初めてちょっと辛い程度のカレーが登場することも。

ここに来なければ私は知らなかった。

こっちを見るといいよと勝手に案内されて最後にお金を要求されるということも(のこのこついていって何度もお金ぼったくられたが、今思えば命があるだけ感謝。)、屋台で売れている花たちは女性が髪の毛につけるものだということも。

ここに来なければ私は知らなかった。

ちなみにアシュラムの中では写真も動画もNG。記録をできないということは、この瞬間を振り返って味わうことも、誰かにシェアすることもできないということ。いずれこの景色も匂いも音も忘れてしまうということ。でも不思議と写真を撮ろうと思えなかった。その場で見て、感じて、そこにあるだけでいい。いずれ記憶は薄れていくがそれでいい。その場の空気と私がちゃんと融合していることが重要だと感じたからだった。記録は人生において実はそんなに大事じゃないのかもとさえ思った。

(でも実際は平気で写真撮っている人、着信が鳴り響き電話をしている人、私語厳禁なのにグループで大声で話す人がたくさんいた。デジタルデバイスというものはこうも神聖な世界にも人生にも介入してきてしまうものなのかととても残念だった。その場の空気やルールや人へのリスペクトなくそれがおこなれてしまっていることも悲しかった。)

宗教は究極の問いを突きつける。そしてこれまでの当たり前を一瞬にして壊す。

精神性の高い話をすると「宗教っぽい」と言われたり、強い結びつきがある集団は「怪しい」と言われたり、「宗教」という言葉には、それぞれの色んな感情や価値観が孕んでいる。宗教への悪いイメージが先行してしまっているからなのか、集団心理なのか、あらゆるものを遠ざけてしまう。ただ「宗教っぽい」と片付けてしまうのはちょっと違うなと思うことが多々ある。

『現在、私たちは脱宗教的精神性の時代に生きている。時代が求めているのは、イスラム教徒、ヒンズー教徒、仏教徒、ジャイナ教徒、キリスト教徒であることではなく、善良な人間であることだ。精神を探求する旅に出るために特別な人間である必要はない。』

サティシュ・クマール著「君あり、故に我あり。」

この旅の相棒として何度も何度も読んだ本の中にそう書いてあった。蒸せ返るようなインドの寺の中で私も同じことを思っていた。

「脱宗教的精神性の時代」
宗教がなにであるか?よりも、大事なのはそこにどうあるか?それを自分がどう受け取るか?それを自分がどう自分に問うか?なのではないかと。「◉◉教」と公言することで入れる場所が制限されたり、差別を受けたりもあるだろう。日々の当たり前や慣習、食文化まで全く違うから「違い」として受け取られやすい。

でもそれは一側面での話であって、己の精神を探求すること。私は何者か?を問うこと。真我(本質)を追求すること。それはどんな宗教かに限らず、皆が追及する人生における共通の問いなんじゃないか。幸せに生きるための、今世を生き抜くための問いなんじゃないか。そう思うとまた違った新しい世界の見え方がはじまる気がする。

少しの迷いも差別もなしに人々の心と理性に平和の種を蒔くため、旅に出るが良い。

サティシュ・クマール著「君あり、故に我あり。

宗教観が強い国は、自分の中の当たり前が一瞬にして壊されていく。だから私はそういう国を旅することに猛烈に惹かれるのだと思う。

「ここに来なかった人生があったかもしれない。」

でもここに来た私の人生は、もうここに来なかったかもしれない人生ではなくなった。
ティルバンナーマライでの日々が、私をまた新しい世界へ連れていってくれている。

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