手を握るしかできないけれど。
病室にいる。
ピ、ピ、ピ、、、
無機質な機械音が鳴る。
なんて話しかけたらいいかわからなくて、だだ手だけ握って、私は病室に座っている。
ずっと闘病していた父の最期が近づいている。
ほぼ意識がなく、人工呼吸器も付いていて話せない。でも不意に目を開けて、必死になにかを伝えようとしている。
いつも人のことばかり気にかける父のことだから、どうせ「なんでいるんだ?」「仕事は?」とか言うんだろうし、しばらくすると「今日は御飯なに食べるんだ?」と御飯の心配ばかりするんだろう。
私は、「水飲みたい?苦しい?何が欲しい?」と、なにも話せない父の目を覗き込むようにして聞く。わかりたいけど、わかってあげられない。ごめんね。
“ねぇ、どんな人生だった?”そんな言葉は、まだかけられていない。
だんだん衰弱していく父の顔を見ながら、何もできない自分への歯がゆさばかりが募る。
でも3ヶ月前に来た時は、ご飯も薬も嫌だと駄々をこねる父に、私がすくって食べさせてあげたら大人しく食べた。
これだけでもきてよかったなと思って、そこから東京と大阪を往復する日々を続けた。
もう一踏ん張り奇跡を信じて延命治療を望む気持ちと、ここまで頑張って生きた父にもう休んでいいよ、と言いたくなる気持ちの狭間でもがいた数ヶ月。
「病状が悪化してます。そろそろ覚悟を」
そんなドラマみたいな言葉を聞いた私は、母と姉を説得し、これ以上の延命治療を断った。
それは、奇しくも私の34歳の誕生日だった。
死と向き合うことは、生と向き合うことだ。
どんな最期にしてあげよう、そんなことを考えながら父との思い出を振り返り、父に宛てた言葉を綴りはじめて、もうすぐ1年。
時が来た。
もう十分精一杯生きたよね、お父さん。
そう思うと不思議と冷静に腹が座るもので、自分ではもう打てないから、父の携帯に連絡が来ている知人に私から返信をし、親戚に連絡を入れた。
昔の写真を集めて、父の74年を振り返るムービーをつくってあげよう。35年前、兄が脳死状態になった時に父が書き溜めていた日記は、いつか本にしてあげたいし、新聞記者だった父が書いた記事はスクラップにして、昔の記者仲間が集まる個展にしてあげたいな。
あぁ、願わくば家族でもう一度北アイルランドに行きたいと言っていた夢、叶えてあげたかったな。
人生に向き合う仕事をしているのに、結局私は手を握るしかできない。
命の儚さを前に、本当に手を握るしかできないのだ。
そして明日には消えてしまうこの気持ちを、未来のために書き残すことしかできない。
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