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『人間はどこまで家畜か』(読書メモ)

子どもの頃に犬を飼って以来、およそ20年ぶりに犬を飼って思うのは、犬たちを取り巻く状況の激変ぶりである。私が子どもの頃には、雑種犬の子犬がそこら中にいて、犬というのは、近所でもらうか拾ってくるものだった。ブランド犬ももちろんいたが、よく見かけるのは柴犬などの和犬種かシェルティーくらいで、それ以外の犬種はいたとしても稀だった。

それがどうだろう。この20年で飼い犬の犬種の構成は、トイプードルやチワワ、ミニチュアダックスに豆柴など、圧倒的に小型化が進んだ。その一方で大型犬は大型化が進み、またボーダーコリーやブルドッグなどの特徴的な気質や外見を持つ犬たちは、改良によってその特徴をさらに先鋭化しつつある。犬たちは世代交代が早いため、その急速な変化についていけない個体も多い。

例えば、知り合いが購入した1.6キロのトイプードル(ティーカッププードル)は、近所の中型犬が遊びでワン!っと吠えた声に驚き、心臓発作で死んでしまったそうだ。他にも、表の通りを走っていった救急車の音に驚いて死んだミニチュアダックス、飼い主の膝の上から降りようとして骨折したティーカッププードルもいる。大型犬になると今度は股関節の形成不全により手術なしでは歩けなかったり、ブルドッグやパグなどの短頭犬種(鼻ぺちゃ系)は過度な短頭化による呼吸障害が深刻化していることから、オランダでは短頭犬種の繁殖に規制(禁止)がかかっている。

もともと、オオカミから分化したあと「人間にうまく取り入る」という性質を伸ばすことによって、つまりは己を飼い慣らし人間社会にフィットする「自己家畜化」によって繁栄してきた犬たちは今、人間による極端な家畜化、すなわち改良圧(改悪圧)に悲鳴をあげている。

ただし本書が論点としているのは、実はそのことではない。人間による家畜化に苦しむ犬たちではなく、社会が求める自己家畜化に苦しむ人間たちについての話である。

それは例えば、この20年間に激変した「犬の飼い方」をめぐる飼い主側のモラルや責任のことである。今はもう、昔のようにいい加減(別の言い方をすれば自由気まま)には、犬を飼うことができなくなった。

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