見出し画像

『窓ぎわのトットちゃん』を観た

2024/01/20(土)

 今日じゃないんだけど『窓ぎわのトットちゃん』を観た。もう日記じゃないなこれ。まあいいや。『ゲゲゲの謎』と同じく、Twitterで絶賛の声をいくつも見かけたので興味をもった。観るものがTwitterに支配されている人間です。
 原作は、小学校の図書館で読んだ記憶がある。トットちゃんが異常な好奇心でくみ取り式のトイレの汚物槽に飛び込むような場面があったのと、学校でお弁当に「海のもの」と「山のもの」を必ず入れること……戦況が悪化するとそれすら叶わなくなっていくことだけは覚えている。

 まず言いたいのは、なんてリッチな映像体験! 画面の隅々まで明るくて美しい色が息づき、その中を人物たちが活き活きと動き回っている。
 トットちゃんのおうちは裕福なので、台形の立方体(さんすうが苦手なので呼び方がわからない……ググったら四角錐台という言葉が出てきたけど合ってますか)の鉄板に食パンを立てかけて焼くトースターがあって、朝は豪華な洋食だったりします。そういう戦前の華やかな風景を見られるのも楽しい。私たちが見る戦前・戦中の風景って基本的にモノクロ写真だし、暗い時代というイメージがあるから。

 そしてトットちゃんのものすごい落ち着きのなさに驚愕します。現代であればおそらく注意欠如・多動症(ADHD)という診断が下りるのでしょうか。認識が誤っていたらこっそり教えてください。
 トモエ学園の校長先生のことが、トットちゃん……黒柳徹子さんにとって本に書き残し、こうしてアニメにもしたいくらい大切な人なのは、生まれて初めて、そんなトットちゃんのことを全肯定してくれた記憶が鮮烈なのだろう。もちろん両親も大きな愛で包んでくれたけど、掛け値なしに「君はいい子だよ」と言ってくれた、初めての大人だったんじゃないか。

 まだ恋ともなんとも呼べないけど、とにかく「なんか他の友だちより気になる人」同士になった泰明ちゃんとの交流も、巧みさを感じさせないほど巧みに、繊細に描かれています。
 みんなで相撲を取る授業のときの泰明ちゃんの一連の行動に私は泣いた。泰明ちゃんは身体に障害があるから、子どものやりたいことは基本的になんでもやらせる校長先生ですら「腕相撲にしなさい」と言い、その腕相撲でも好きな子に手加減されたときの泰明ちゃんのみじめさを想像すると、いまこれを書いていても胸がぎゅーっとなる。

 物語の後半は庶民の生活にも戦争の影が伸びてくる。
 私がゾワッとなったのは、12月8日に太平洋戦争が始まったのをラジオで聞いたトットちゃんの両親が、さっそく「これから英語は禁止ね」とトットちゃんに言うところ。決して差別的な人たちなんかじゃない。むしろリベラルで平明な考え方。でも、教養があるからこそ、そういう時代が来るから「自衛」しなきゃいけないこともたちまち悟れてしまう。
 トットちゃんと泰明ちゃんがお腹が空いた歌を歌っているのを、通りすがりの大人が「コラッ」と咎める場面もさぁ……。最初の一喝以外は、理不尽に怒鳴りつけることもなく「君たちはいい子だからわかるだろう」と丁寧に諭す。こちらも、これまでの戦時中を描いた作品によく出てくるヒステリックな大人ではぜんぜんない。普通のいいおじさんなんだと思う。それがかえって怖かった。
 そういう規制や自粛って、国から押しつけられてしぶしぶ従うのでなく、民衆から自然に起こってくるというのが理解できた。それは私たちも近年、いろいろな場面で感じることだと思う。

 これが基本的に実話であり、トットちゃんご本人ががっつり監修しているというのがすごいよね……。徹子さんのコメントもパンフレットに収められていますが「映画化の発表はそんなに話題にならなかったと思いますけど」と率直に述べておられて笑う。
 正直なところ私も「なぜ……いまトットちゃんをアニメに……?」というのは思っていた。もちろん多くの人が知っている作品だけど、商業的な好機がとくにあったという感じはしない。
 しかしそんなことはどうでもいい傑作でした。
 ちびっこからスレた大人にまで、自信を持って広くお薦めできます。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?