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詩情を汲み取る

2023/11/13(月)

 数日前にTwitterで槇原敬之の『もう恋なんてしない』の歌詞がやり玉に挙げられていた。
 ご存じかとは思いますが説明しますと、これは同棲を解消した恋人のことを歌った30年以上前のヒット曲で、ひとりで生活しているとふとした瞬間に否応でもその人のことを思い出してしまうようすを巧みに描写している。
 その内容が、いわゆる「亭主関白」すぎるというのが批判の主旨と思われる。君がいないとどこに何がしまってあるかわからない、とか、君の料理になら文句も言えたけど自分の料理がおいしくなくても黙って食べるしかない、とか。
 そんなだめな人を歌っている歌は悪い歌であり、そんな歌がヒットした平成は未成熟な時代、ということらしい。
 でも、出て行った恋人をあしざまに罵っているわけじゃない。主人公の自嘲と反省を含んだ述懐である。そこに篭められた、滑稽でさびしい詩情を汲み取ることは誤った鑑賞態度だろうか。
 サビの「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」という歌詞もしばしばからかわれる。どっちやねん、と。
 これは、どこかで見たうろ覚えの情報なので合っているかどうかわからないけど、当初の構想では「もう恋なんてしない」で終わっていた。ただヒットが期待されるポップスとしてはあまりにも暗い。それで後からつけ足したということらしい。
 確かに、ソングライティングの技法については素人の私でも、唐突な、最初はそうじゃなかったんだろうという、浮いた感じはある。ただ、この改変によって前向きさが付与された。主人公はただ嘆いているのでなく、反省して、これからはもっとよい人間になろうと決意したわけだ。ならば、作品としてはポジティヴな美しいオチがついている。

 現在の社会的、道徳的な善し悪しだけが、過去の作品の評価基準になってしまうのは怖い。それは歴史を抹消し、否定する態度に繋がる。
 その時代に、そう生きるしかなかった人たちのことを理解(同意や賞揚ではなくてね)できる。その人たちの気持ちになれる。
 それが小説や詩といった文学の大きな価値であると私は思います。

     *

 おとといくらいから急激に季節が冬へと雪崩れ込んだ。
 最高気温が4℃とかになってしまった。昨日はストーブを焚いてもなかなか暖まらなくて家の中でマフラーを巻いて過ごした。
 今日は外に出たら、はらはらと白いものが宙を舞っていた。ぜんぜん積もらずに溶けていったけど、とうとう札幌の都市部でも雪が降りました。
 今年の終わりが近づいている。
 紅白歌合戦の出演者も発表されたし。
 しかし、大泉洋が歌手として出るとは。まさか、隙あらば披露する「松山千春のものまね」で出るんじゃないだろうな……

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