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動かなくなった右手、でも…神経細胞は生きている

こんにちは。秋村有紀です。
ピアノ弾いています。
ピアノとどう過ごしてきたか、の途中まで、一度ピアノをやめてから再開するまでを
前の投稿でお話ししました。

けがで弾けなくなって進路を変えてしまったけど

二度目の右手のけががあったから再びピアノに向かうことができました。


でも

神経が切れた右手は簡単には動きませんでした。

仕事も忙しくて毎日はできないし、

思うようには弾けないから心が折れそうになるし、

やっぱり無理なんじゃないか…

そう思うこともしばしばでした。


弾きたかった曲が弾けるまで、足かけ4年かかりました。

弾きたかった曲はベートーベンの「熱情」

中学でやめる時にとりかかっていた曲です。

当時、ソナタ三部作はどうしても完成したかったと

悔しかったのを思い出して。


人間の再生能力ってすごいな…


とつくづく思います。

細い細い神経線維がゆっくりと成長したんでしょうね。

目に見えない力が体には宿っているのでしょう。

長い長い時間がかかったけど、

少しずつ、わずかな糸がつながっていったのでしょう。

痛みやしびれはあっても

動くようになりました。

奇跡や~~!

こんな日が来るとは想像もしなかったのに

弾けるよ!

まだまだ弱い音だけど

速いパッセージは無理だけど

それでも弾けるよ~~!


嬉しくて楽しくて

会社帰りにレッスンに通ったり

発表会に出させていただいたり

コンクールに応募したり

でも、そんな日々は長く続きませんでした。


三度目のけがで

小指が折れて動かなくなりました。

鋭い痛みが走った瞬間、ああ、またやってしまった

と目の前が真っ暗になりました。


初めての海外コンクール出場を3か月後にひかえているのに

どうして。。今?

どうして。。また?

どうして。。右手?

涙が出ました。


2か月間ギプスのまま練習して

思い切ってベルリンまで行って

本番では思うようには弾けませんでしたが、

一生に一度しかないチャンスだから

後はどうなってもいいと

最後まで弾きました。


全部右手、さすがにつらかったし

今も多少の後遺症は残ったまま、それでもピアノが弾きたい


その思いで続けてきて、

一緒に演奏する仲間にもめぐりあい、

ライブ活動を重ね、CD制作もかないました。

あきらめなくてよかった

思い切ってよかった

今は心からそう思っています。


でも3度目のけがの時は

もうひとつ、人生の大きな岐路にいました。

それはまた次にいたしましょう。

お読みいただいてありがとうございました。
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秋村有紀 Profile

3歳よりピアノを始める。ストレートにピアノの道に進むはずが、進路を決める大事な時に右手にけがをして、ピアノを封印。
長い時を経て、再びピアノを弾き始めたきっかけは2度目のけがのリハビリ、音階も弾けないところからのリ・スタートだった。
2010年には海外のコンクールに出場し、ベルリンにてピアノの指導を受け、再び本格的に音楽の道を歩むことを決意。

心に浮かぶ風景からひろがるストーリーが作品づくりの出発点。
クラシックを中心に様々なジャンルの楽曲を、原曲のモチーフをベースに多彩な音の模様を編み込んでアレンジ。
幾重にも重なる音やリズムの変化による立体感のあるハーモニーで、原曲とはひと味違う新たな魅力を加えた作品づくりを続けている。

主旋律を彷彿とさせながらも意外な展開と、繊細かつダイナミックな演奏で、なじみのある楽曲をどこか懐かしさと甘酸っぱさで満たす作風が特徴。流れに身を任せ、漂うような旋律でノスタルジックな中に華やかさや、楽しさ、時に激しさや哀愁を感じさせる、そんなピアニストを目指して活動中。

ピアノとエレキギターのデュオ、RockVillageのピアニストとしての活動も2013年から始め、クラシック、ラテン、ジャズ、各国のフォークソングの名曲をオリジナルアレンジし、3枚のCDを制作、ライブ活動を続けている。

楽曲のアレンジは様々なジャンルで現在50曲以上。
初のソロCD 「Forever ~with all thanks」は18曲を収録。

1stアルバム「Forever 〜with all thanks」ダイジェスト   https://youtu.be/jk2tfcwR4jE


アルバム「Forever〜with all thanks」   
発売元:TRENO RECORDS 販売元:ベルウッドレコード   
2021年9月1日リリース ¥1,500 

配信:Tunecore

大人のピアノ教室 おとわ 主宰


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