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自分のお葬式(50年後想定)の弔辞を書いたら、人生のゴールが見えてきた

早稲田大学のエクステンション講座(社会人講座)がオンラインで受けれるという事で、受講した「ほめる達人 リーダーシップ」5回連続講座。
その最後の授業が自分の弔辞の発表だった。
(この連続講座で学んだ事はまた別でまとめようと思う)

遠い未来の自分のお葬式で、大切な誰かがこんな弔辞を読んでくれたらうれしい…と思うものを書き、読むというもの。
まさに『7つの習慣』の「終わりを思い描く」。

宿題とはいえ、自分のお葬式=死んじゃった事を想像するのは、不吉なような、なかなか抵抗があって…
なので、遠い未来の50年後、90歳の時…と想定して、書き始めた。
(数年後とか、あまり近い想定だと気が滅入るかも…)

読み手は夫を想定。(長生きしてもらう前提!)

とは言え、弔辞の書き方なんて全くわからないので、まずはネットで書き方やサンプルを検索。
文章の構成、気をつける言葉、長さの目安などもだけど、そもそもの弔辞の目的について考えさせられた。

弔辞を読む人は故人が関わってきた世界を代表する人達で、その人達から見た、故人の人柄や人生をギュギュッと凝縮したもの、故人がその読み手に残した人生の結晶が、弔辞なのでは…と、理解した。

ある例文が、親のお葬式で子が弔辞を読むケースで、「生前はあまり話す事もなく、知らない事が多かったが、今日たくさんの方が来てくれて、様子を垣間見られた」というようなものがあった。
人生の最後に、こんな事を子供に言われたら悲しいよなぁ…と思った。(生前にしっかり話しておきたい…)

では、自分の大切な人に、自分がどういう人間だったと、覚えていて欲しいのか。
自分の結晶として、その人に何を残したいのか。

夫にとって、私がどういう人間だったと覚えていてもらえたらうれしいか…
50年後の想定だから、今の自分ができていなくても、棚に上げて、理想で書いてみた。(下記)

実際に書き進めると、最初に抵抗を感じた、「弔辞=死=終わり」…という暗い悲しい連想とはちがって、なんだかあたたかい気持ちになってきて、それは今考えると、どうありたい!どう生きたい!という、理想を描いているから、希望が生まれるから、そして、それを大切な人が受け取ってくれているイメージをしてたからかと思う。
そして、理想の自分が明確になるから、それに対して、今の自分はどうなのか、少しでも近づいているのか…、今を振り返る事に繋がっていた。

この事は、有名な『7つの習慣』でも書かれているからわかった気になっていたけれど、実際に弔辞を書いて、人の前で読んでみて、感じる違いは、はるかに大きかった。

講座の後、夫に私の弔辞をLINEで送った。
黙読した夫は「素敵だね」と言ってくれた。(そう受け止めてくれる夫も素敵だ)
そうありたいと思う、自分の人生のゴールを愛おしく、大切に感じた。

未来の自分の弔辞を書くのは、遠い未来のゴールを描く事なのかなと。
ゴールが見えていたら、日々の中でズレてしまう事があっても、振り返って、調整する事ができる。
だから、
自分の弔辞を書いてみて、よかった。

ここ数日、朝は息子に対して「はやく用意して!」「なんで今あそんでるの!!」「もうママ送りに行くのやだよ!」…などなど、イライラして、本人が自主的に考えて動くのと逆効果の声かけをしていて…
自分自身、なんかこんなのやだなぁと思う自分で。
今度は子供たち視点での弔辞を書いて、母としてどうありたいのかを言語化してみようと思う。
きっと日々の自分のありかたや行動にも影響あるのではないかな…と自分に期待。


考えは言語化し、書き出し、読み、修正しを繰り返す事でより純粋な結晶に昇華される…との事なので、今の時点のものを、ここに残して、また随時書き直していきたいなと思う。

自分の弔辞('21/3/12記version)
想定)90歳 いまから50年後、夫からの挨拶
A: 私の名前   D: 夫の名前

遺族を代表いたしまして、皆さまにご挨拶を申し上げます。故人、Aの夫、Dでございます。

本日は、ご多用にもかかわらず、ご会葬・ご焼香を賜り誠にありがとうございました。

Aとは18歳で出会ってから、70年以上連れ添ってきました。
一緒にアメリカの大学で4年間学び、落ち込んだ時には励まし合い、休みには車にテントを乗せてアメリカの大自然を巡り、感動した事が、つい最近のことのように、まだ色鮮やかに思い出されます。

結婚してからは仕事も育児も、チームとして支え合ってきました。
私達が子育てをしていた時代は、日本が女性活躍にやっと取り組みはじめた頃でした。
子育てをしながら大企業でキャリアを積む女性はまだ珍しかった中、色々な事にぶつかり、悩みながらも、社会に変化を起こす一端になれたら…と試行錯誤しながらがんばってきました。

家ではお互いの仕事の悩みを相談しあったり、新しい出会いや学んだ事を共有したり…共に成長してきました。

いつも前向きで、軽やかに、いろんな事に積極的に挑戦し、もっと、もっと!と世界を広げ、成長しようとし続けたAは、私にとって誇りで、勇気をくれる存在でした。
今も、Aの『おもしろそう!やってみたい!』と言う、楽しそうな声が聞こえてくるようです。

辛いことも大変なことも、いつも突破して、なんとかやりとげてしまうパワー。
本当に小柄なのに、目の前の壁を乗り越える事を、楽しんでいるように自分から挑んでいく姿は、頼もしく、まぶしくもありました。

また、よく笑い、周りを明るく、元気にしてくれる人でした。
今は大きくなった2人の子供たちも、赤ちゃんの頃からニコニコと、よく笑いました。
きっとAの笑顔をたくさん浴びてきたからだと思います。
今も思い出すのはAの笑う顔です。
どれだけその笑顔に力をもらってきたか。どれだけ支えられてきたか。

周りの人達の素晴らしいところに素直に感動し、いろんな人たちを繋げていく。
そんなAのまわりにはどんどん素敵な方々がいてくださいました。

生前、本人が掲げていた
人生理念、愛の溢れる場所。
人生ビジョン、仲間と共に未来を笑顔で切り拓く。
まさにそのような人生だったのではと思います。

Aと出会え、一緒に過ごしてこられた事、本当に幸せです。

これからも、Aが笑顔で私たち家族を見守ってくれていると信じ、前を向いて生きてまいります。

本日このように、多くの方がAとのお別れにお集まりいただきましたことに胸がいっぱいです。
皆さま、お忙しい中ご会葬たまわりましたこと、心よりお礼申し上げます。


#自分にとって大切なこと

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