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本当に大好きな叔母のこと。

私が、自分のことを書いていく上で、絶対に欠かせない人は、叔母のことだと思う。

もう亡くなって来年で30年くらいになるのだろうか。
私は、叔母の年齢をだいぶ前に追い越してしまった。

私をありのまま愛してくれた、叔母のこと。

・・・

叔母は障害者だった。

子供(2歳くらい)の時に、交通事故に遭い、車にはねられ、頭を打ったのがよくなかったのか(昔は、詳しくはよくわからなかったし、祖父母も詳しく話さなかった)、知的障害があった。

身体は大きくて(私より少し身長が高かった)、ふくよかで色が白く、とても優しくて、私の身の回りのことは全て叔母がやってくれていた。

叔母のことは、家族がみんななぜか『博子さん』と名前で呼んでいたので、私も博子さんと呼んだ。

障害と呼べるほどの障害ではなかったのかもしれない。
叔母は難しい話はわからなかったし、字がほとんど読み書きできなかった。
学校は支援学級に通ったらしいし、学校を出たあとはクリーニング屋さんで働いていたこともあったと聞いている。
その後は、亡くなるまで母の店の仕事と私の世話をしていた。

いつも私のいちばんそばにいて、甘えさせてくれて、愛してくれて、面倒をみてくれて、本当に優しくて、あったかくて、天使のような人だった。

叔母が、ちょっとだけ普通の人と違うかもと思ったのは、小学生くらいの時だったように思う。
でも、だからといって私が困ることはなかったし、叔母が大好きだったし、叔母も私をとてもかわいがってくれたのに変わりはなかった。

祖母からよく聞いたのは、祖母が八王子の家からこちらに来て、朝、叔母に会うと、叔母はとても落ち込んでいて、黙って店用のお米を研いでいたという。

『Yちゃん(母)が、あっちゃんを叩いたんだよ』

と、涙をいっぱい浮かべて祖母に訴えたという。

母は、祖父に似て気が短いところがあって、本当によく怒られたし(今も)、叩かれたし、物も飛んできたりしたけれど、私は叔母といた17年間、叔母に叱られたことは1回もなかった。
私のわがままも全て受け止めてくれた。

本当はダメだと思うけれど、昔は店の裏によく野良猫が何匹か来て、叔母も祖父母も動物が大好きだったから、警戒しない猫たちには少しエサをあげていた。
今はこの辺に野良猫はいなくなってしまった。

叔母は優しくて、優しすぎて、動物にも優しすぎたので、エサをあげるけれどひっかかれて、手に傷を作ることもあった。

叔母の、よく働くガサガサした手の感じ。
油の匂いがするエプロン。
30年経っても全部思い出せる。
乗った膝の感触、包み込むような大きな身体。

46歳の私を、43歳で空に逝った叔母が、今も包んでくれていると思う。
叔母がいなかったら、私はもっともっと寂しい人生だっただろう。

次は、とても罪で、後悔していることを書こうと思う。

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