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フィクション:田舎自慢の闇

やたら取材してほしがる人

細々とライター業をやってると、たまーに、やたら取材してほしがる人が来る。
ええ、いろんな人に会いますよ。
ご当人にしてみれば、自分の価値ある情報を聞かせてあげます、書かせてあげます、広めさせてあげますぐらいの勢い。
こういう人ってよくしゃべります。
出るわ出るわのエピソード。
ただ、実際は、売文業の商品としては価値のない、単なる素朴なオレ自慢だったりもするわけです。

話が濃いのに実利は薄い

書く身としては、自慢だけならほほえましいが、自慢の割に儲かっていない現実をまずは見ているわけですよ。
つじつまが合わないことを言ってるな、と。

こんな賞をもらって、こんな助成金も獲得して、こんなすごい人と知り合いで、こんなに数多くの事業に携わっている。遠路はるばる来る人もいる。リピーターもいる。
あいつのあのやり方は時代遅れで、こいつはこいつで非効率。多くの人が事業を続けらずに撤退していく中、俺は立派に生き残ってる。

すごーい。
で、実収入はおいくら万円なのかしら。

つじつまの合わない自慢話

こういう人ってホントに多い。
生き残ってるというけれど、実は実家の仕送り頼みとか、配偶者に食わせてもらってるとか。
まーでも、自分からは絶対に言わんですわ。
聞かなきゃ言わない。言ってもぼかす。

あのー、そのご自慢の「実績」は、ハッタリ以外の何のお役に立つのでしょうか。

プライスレスな生き方もある

儲からなくてもいい、自分らしくのんびり暮らせる場所で、身近な人やご縁のあった人と支え合って楽しくやっていければいいという考え方もある。
これには、わたしも大賛成。
まあね、しまいには「儲け過ぎると近所の人にねたまれるから、儲け過ぎたらダメなんだ」とか言い出されると、109回目の除夜の鐘を聞いた気分にはなりますが。
基本的には金銭ばかりが全てじゃないよという人生観には全面的にアグリーです。

だがしかし。
プライスレスで生きるのだったら、
「身近な人」を裏切るようなことしちゃいけない

ご縁があって来てくれた人を粗末に扱ってはいけない。

とある架空の田舎の事件

例えばですけどね。
本邦の里山エリアでは、地域おこし系の体験イベントがよくあるでしょう。
農業体験とか、山歩き体験とか、里山の魅力再発みたいな。
そういうのって、SNSとかブログとかでご活躍の、都会を捨てて自然と共に生きる里山の救世主みたいな人が仕掛け人になっていたりもしますよね。

例えばですけど、ご縁があって都会から来た女性客を、ワイルドぶった仕掛け人のおっさんがスケベったらしく口説くとか、あったりするかもしれません。

勘違いしているんでしょうね。
「呼べば来る=オレに気がある」→無料でヤらせてくれる、ぐらいに誤解をしているのかもしれない。
口説き落として特別な関係になれば、自分の仕事の一部をタダでやってくれるんじゃないかというセコい打算が働いているのかもしれない。

まあ、ワンチャン口説いていいですが、例えばの話、奥さんのサラリーに依存して、自分が開拓したわけでもない里山の恵みに乗っかってセルフブランディングに余念ないオッサンがこれをやったら、目も当てられないわけですよ。

卑怯な自己弁護

つじつまの合わない自慢話をする人は、何が何でも自分のメンツにしがみつく。こういう人って糾弾されると、卑怯なことを次から次へと言いますね。
「無理に来いとは言ってない」
「口説かれたなんて自意識過剰」
「オレの真価が分からないとは、お前はバカだ、傲慢だ」
クレーム対応として、この程度のことは平気です。

「この程度のことで目くじら立てるなんて、あんたは真面目過ぎるんだ」
「ちょっとは男慣れしたらどうだ」
こんなのも、あるかもね。
自慢の度が過ぎる人は、終始、相手を小馬鹿にします。
それを一種のカリスマ性と誤認識するピュアハートなファンが一定数いらっしゃるから成り立つ商売なのでしょう。そこは責めたくありません。

何はともあれ、心ゆくまで自己正当化を頑張ればいいんですけどね。
言われて不快に思った人が訴え出たらどうするんだろう。
地域おこし系の事業者の場合、その地域に迷惑がかかるよね。
大事な大事な、プライスレスな「身近な人」への最大級の裏切りですよ。
地域ぐるみで汚点を隠ぺいするような八つ墓村はイマドキないでしょ、いや、マジで。

田舎体験がはらむ慢性的な危険

自然体験型の地域おこし系イベントの場合、主要駅から現場まで、車の送迎となることが多い。
個人客の場合、客一人をガイド役一人がマイカーで迎えに来るのはよくある話。

二人きりの密閉空間、行き先はハンドルを握る人物に掛かっている。
人里離れたドライブの道中、ひわいな誘いをほのめかされて、きちんと「セクハラです」と言えるだろうか。
あいまいに笑って、とにかくその場をやり過ごすだけかもしれない。
口論になって車を下ろされてしまったらどうしよう。
どなたか人間に会うのが先か、それとも熊に会うのが先か。
警察に訴えても、口が達者な仕掛け人なら「勝手に怒り出して、止めるのも聞かずに車を降りてしまった」ぐらいは平気で言いますよ。

一度や二度じゃないかもしれない

都会から田舎にわざわざ体験イベントに来るような人は、大なり小なり人恋しいから来るのである。ある人には通用しない口説き文句も、相手を変えれば功を奏するのかもしれない。

―― 成功体験があるからこそ、ちらほら口説いて様子を見てるんじゃないの? ――

この話を聞いたわたしの男友達の感想である。
実は、彼にそう言われるまで、わたしはそこまで深く考えてはいなかった。
それはさすがにないでしょう、と笑おうとしたら、
「僕は男だから、あなたより男の気持ちは分かると思う」と、きっぱり。

自慢話依存症

以上のことは、すべてフィクション、例えばの話です。
特定の個人を批判するために書いているものでもありません。
たとえ話とはいえ、多くの真摯に一途に地域おこしに取り組んでいらっしゃる方々に、甚大なるご不快を与えかねないことは重々承知でございます。

ただし、読者の中には「あるかもしれん」と心当たりのある人がいらっしゃるかもしれません。

そのときは、きちんといさめてあげてください。
どんなロクデナシでも、その土地の貴重な働き手であることは間違いないのです。
口でどんだけ自慢しようと、ええトシこいたオッサンならば、次の行き先なんてほぼないんです。今より良い村が仮にこの世にあったとしても、その良い村が彼を受け入れるとは限らない。
あなたたちしかいないのです。

ピッカピカの真人間でなくてもいい。
何年たってもビジターくささが抜けなくてもいい。
世話してるつもりで世話されていることに気づけない昼行灯でもいい。

せめて最低限の裏切りだけはしないよう、きちんと導いてあげてください。
これは勝手な想像ですけど、ほんとの意味でその土地が彼の居場所になったなら、源泉かけ流しのごとき自慢話もそのうち止むかもしれません。