一片の落ち葉は、枯れ葉か紅葉か

 その人はどこか、冬が似合うような人だった。私の母君(ははぎみ)は二人いる。私を産んだ母君(ははぎみ)と、今の育ててくれている母君(ははぎみ)。よくある母の身分が低いので、身分の高い他の妻に養育(よういく)を任せるというものだ。身分はそれほど高くはないけれど、美しく利発(りはつ)な母に私はよく似ているらしく、父が母の身分から私が軽く見られることを惜しんで、今の宮の母君(ははぎみ)に任せられたのだった。私の養母(ようぼ)は先々代の帝(みかど)、朱雀院(すざくいん)の第二皇女(だいにこうじょ)、女二の宮(おんなにのみや)と呼ばれる方。
 父君(ちちぎみ)がやきもきしていた私の結婚は、とうとう帝(みかど)の第三皇子(だいさんおうじ)の匂宮様(におうのみや)に決まったようだ。父君(ちちぎみ)は私を嫁(とつ)がせるのならば、必ず異母兄弟(いぼきょうだい)の薫の君か、異母妹(いぼまい)の明石の中宮(あかしのちゅうぐう)がお産みになられた匂宮(におうのみや)だと見込んでいられたのだから。着々と進んでいく婚礼の支度。この結婚のために私は、宮の母君(ははぎみ)に任されたようなところもあるけれど、子のいない母君(ははぎみ)は大層優しく大切にお育てくださった。私がこのような結婚ができるのも、母君(ははぎみ)の養育(よういく)の賜物(たまもの)であるのは間違いない。産みの母君(ははぎみ)も宮の母君(ははぎみ)も、私を大切に慈(いつく)しんでくださった。養母(ようぼ)の愛情が当たり前ではないということは、いくつかの継母物語(ままははものがたり)であったり、父君(ちちぎみ)が繰り返しお話になったりするので、十分承知しているつもりだったけれど。結婚が正式に決まった時、宮の母君(ははぎみ)の微笑みに、少しの陰(かげ)が混じっていたのに私は気が付いていた。
 父君(ちちぎみ)が念には念を入れて指示をなさり、大層丁寧に磨き上げた邸(やしき)。幼い頃から住み慣れている私でさえも見慣れなくて、どこか別の立派な御殿(ごてん)のように思えてくる。婚礼はいよいよ明日になっていた。母君(ははぎみ)の愛情を疑ってはいなかったけれども、私はどうしても気にかかり続けていた。あの時の微笑み(ほほえみ)に混じっていた陰(かげ)が。
 夏には夏草(なつくさ)が今を盛りと爽やかに茂(しげ)っていた庭に、今は秋の虫たちが住み着き、競って声をあげている。御簾(みす)で隔(へだ)てていても、その声は完全に遮(さえぎ)られることもなく、秋の夜長(よなが)の月明かりと共に、部屋の中まで忍び込んでいる。秋の月は、一際(ひときわ)大きく近くに感じられ、そっと暗がりを照らして覗(のぞ)き込むようだ。だからだろうか、ふと聞いてしまったのは。照らし出されたのは、私の心か母君(ははぎみ)の心か。はたまた両方だったのか。
「母君(ははぎみ)は、私の結婚をどうお思いなのでしょうか。」
遠くでは明日の準備の為に、忙(せわ)しなく動く人の気配(けはい)がしている。その忙(せわ)しなさに、口から滑(すべ)り落ちた言葉が紛(まぎ)れてしまわないだろうかと思うけれど、それは確かに届いていたようで。
「養母(ようぼ)とはいえ喜ばないはずがないと、わかってくださっていると、思っていましたのに。どうしてそのようなことをお聞きになるのでしょう。私の内気さが災(わざわ)いして、貴方を誤解させたのでしょうか。」
そうおっしゃる母君(ははぎみ)は、嗜(たしな)み深く愛情深い、いつもの様子に見えた。
「いいえ、宮の母君(ははぎみ)の御愛情(ごあいじょう)は疑ってみたこともございません。私がこの様に成長できましたのも、母君(ははぎみ)が大切に慈(いつく)しみ育ててくださったからです。」
本当に母君(ははぎみ)の愛情の深さは身に沁(し)みて感じられ、私は疑ったことなどなかった。
「ならば、何故。先ほどのようなことをお聞きになったのです。」
母君(ははぎみ)は内親王(ないしんのう)に相応(ふさわ)しい気品と奥ゆかしさを備(そな)えていらっしゃるけれども、けして隔(へだ)たりがあるような冷たさを、私には見せられなかった。その優しさに背中を押され、私はあの時気にかかったことを、全て話してしまったのだった。母君(ははぎみ)は少し困ったように笑い、遠い記憶を思い出すような顔をして、
「そうね、父君(ちちぎみ)の娘である貴方に話すようなことではないのだろうけれども。貴方の憂(うれ)いを取り除(のぞ)くということで、目をつむっていただいて、昔のことを少し話しましょうか。娘に聞かせるような話ではないから、恥を忍(しの)んで話すのだけれど。娘としてはなく、貴方を一人の女性と思って。」
 私の一番幸せな記憶は、宮中(きゅうちゅう)で母と共に暮らしていた日々ではないのかと今でも思う。幸せな記憶はその後も積み重なっていったけれども、やはりこの頃のささやかな幸せは、何物にも代えがたいと、母を亡くしてもう随分(すいぶん)経(た)つけれども思う。母に内親王(ないしんのう)としての気品と嗜(たしな)みを教えられ、好きな筝(こと)を弾いて暮らしていた頃。貴方も少し知っているとは思うけれども、私は二度結婚をしました。どちらの結婚も、私が望んだものではなく幸福なものとは言えません。内親王(ないしんのう)として産まれ、誰にも嫁(とつ)ぐことなく過ごすのが良いと、母も私も思っていました。けれども、最初の夫の父前大臣(ちちのぜんだいじん)に熱心に望まれ最初の夫と結婚をいたしました。けれども、それ程愛されることもなく儚(はかな)くその方は亡くなり、貴方の父君(ちちぎみ)にその後望まれ結婚することになったのです。貴方の父君(ちちぎみ)のことですし、私自身の深い悲しみややるせなかった事がどうしても思い出されますので、これ以上は申し上げませんが。貴方の父君(ちちぎみ)は誠(まこと)にまめな方で、今の穏やかな暮らしがあるのはあの方のお蔭(かげ)に間違いありません。そのことは、貴方も充分わかっていることと思います。今、私は穏やかに暮らしています。けれども、貴方の結婚でつい昔のことを、不吉にも思い出しまして、それを貴方に見咎め(みとがめ)られてしまったようです。不安はあれども、貴方の幸せを願っているのは本当なのです。
「明日婚礼の貴方に言うことではないのかもしれませんが、結婚も人生も幸福な事ばかりではなく悲しいことが起こります。けれども、私も父君(ちちぎみ)も、貴方をお産みになった母君(ははぎみ)も貴方を思っていることを忘れないでください。それは例え、亡くなったとしても消えはしないのです。貴方は貴方の幸せを、誰かにゆだねず自分で掴(つか)んで欲しいのです。貴方は私の自慢の娘なのですから。」
そう言って母君(ははぎみ)は、父君(ちちぎみ)には内緒ですよと綺麗(きれい)に笑った。きっと母君は、もうその時には決めていたのだと思う。私が結婚すると決まるずっと前から。きっと。
 匂宮様(におうのみやさま)と私が結婚してから数年後、母君(ははぎみ)は出家(しゅっけ)された。父君(ちちぎみ)は渋(しぶ)っておいでだったけれども、母君(ははぎみ)はすっぱりと俗世(ぞくせ)をお捨てになられたのだった。今は御仏(みほとけ)への勤行(ごんぎょう)に勤(いそ)しまれている。俗世(ぞくせ)との縁がきれ、私にはなんだか母君(ははぎみ)はお幸せそうに見える。私はまだ俗世(ぞくせ)のしがらみの中、宮様を想ってみる。決して私だけを格別に愛することも、扱うこともできない御身分の方。けれどもこうして、縁(えにし)が結ばれたのならば、それを大切にしてみようと思うから。私の幸福のために。
 秋の夕暮れは、何度でも物悲しさと懐かしさを誘う。木枯(こが)らしが吹き始め、もうじき冬がやってくるのだろう。御仏(みほとけ)の念仏(ねんぶつ)の傍(かたわ)らでふと、季節の移ろいを趣(おもむき)深く思う。庭に落ちた木(こ)の葉たちが、風に遊ばれてかさかさと乾いた音を立てて舞っている。紅葉(もみじ)の葉は樹(き)にある時は青々とし、美しく色づいて散る。落ち葉であり、美しい紅葉(こうよう)でもある。人もみなきっと同じなのだ。私がどうしても未だに許すことのできない夕霧の君(ゆうぎりのきみ)も、雲居の雁の君(くもいのかりのきみ)にとってはこの上なく愛(いと)おしいお方で。柏木の君(かしわぎのきみ)に愛されなかった私が、夕霧の君(ゆうぎりのきみ)に愛されたのも。同じ私なのに、同じあの人なのに。私にもあの人達にも、きっと私達にはお互いが違うように見えたのだろう。その心に従って。だから私は今度こそ、私の心に従った景色を見る。あの人達の景色も、それはそれで美しかったのだろうと今は思う。けれど、やはり穏やかさと幸せは、必ずしも一緒ではないのだ。穏やかでなくとも、幸せだと思うこともある。あの時の私が願ったように。今はただ、私は私の望む幸せを願っている。誰に願われるでもなく。私の心に映る景色を。
                <完>

参考文献 源氏物語 巻六~九 訳 瀬戸内寂聴

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?