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『すずめの戸締り』を観た②※ネタバレあり

先日、『すずめの戸締り』を観る前の印象を綴った。
今回はがっつりネタバレありで感想を述べていきたいと思う。

観た後に出た言葉は「監督、ずっとこれを描きたかったんやろうな・・・」

正直、『君の名は。』でも、大災害が一つのテーマになっていたから、監督は、11年前のあの日について描きたい思いはあっても、時期的に難しいところもあったかもしれない。それを作品として、エンターテインメントとして残し、公開できるタイミングを測っていたんだろうな。

そして、今回、「あの日の『戸締り』」としてこの映画が生まれた。

たくさんの人の感想も読んできたけど、その中でも共感したのが、あの日の「当事者」と「当事者でない人々」の絶妙な認識の違いというものだった。

私もドキッとした場面がある。

最初の方で、宮崎ですずめが要石を抜いてしまった後、緊急地震速報が鳴り響く。
揺れが収まった後で、友達の1人が「もう〜、大袈裟なんよ」と携帯片手に呆れたように口に出していた。

私も周りで聞いたことがある。
地震速報の音についての不満というか、呆れというか。

私も今宮崎に住んでいる。
宮崎人って良い意味でも悪い意味でものんびりしているところがあるので(全員とは言わない)、あのゆる〜い雰囲気に親近感を感じながらも「警告」されていると思った。

それでも作品はその人たち非難しているという感じではなかった。あくまでも、あれが私たちの日常なのだ。
日本はあまりにも地震に慣れてしまっている。
そして、自分の想像以上の災害が起こってしまう。

災害大国と言われている日本の中で暮らす私たちはいつ日常が壊れてしまうかわからない。
その中で、大切な人と過ごす時間が、あまりにも尊いものであるということを描いている映画だったと思う。

すずめが、「死ぬのが怖くないのか」と2回、作中で問われている。
2回とも答えは「怖くない」。即答だった。
1回目はその理由は明かされなかったが、すずめの背景を知ることで、その理由がわかってくる。
2回目の問いの時、答えと共にもっと深い心のうちが明かされていた。
「生きるのも死ぬのも運次第」
あの日を経験したからこそ重みのある言葉だった。

だから、助けられるかもしれない状態で、草太を諦めることができなかったんだろうな。

そして最後の怒涛の「行ってらっしゃい」「行ってきます」。
あの場面は、しんどくなる人も多かったと思う。私もしんどかった。

あの日、「ただいま」も「お帰りなさい」も言えなかった、聞けなかった人がたくさんいて、だからこそ、あの日の戸締りができない人もたくさんいる。
すずめも環さんもその1人だった。

は〜〜〜〜〜〜〜、苦しい。
感想書くだけでも苦しい。

でも、この物語が苦しいだけの物語じゃないのは、「それでも日常が巡って」いるから。すずめも笑って怒って、環さんに反抗してみたりして、恋をして、愛を知って・・・。

だからこそのあの「おかえりなさい」なんだろうな。

日常って尊いな。

今作、いろんな考察も批判もあるけど、ひとまずこの言葉が出てくるだけで、価値のある作品だと思う。

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