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無口な子どもと凍りつき

「あなたは小さいころ何にも話してくれなくて、学校の様子が分からなくて本当に困った」

と母は昔よく言っていました。

わたしはそんなこと覚えてもいなかったから、母の言葉がぜんぜんピンとこなくって、「そんなこといわれましても」といつも困ってしまったし、責められてるような感じがしてとても居心地が悪かった。

わざと話さなかったわけではないし、喋り方を知らなかったわけでもない(言語発達が遅れてたわけではない)。

ずっとあとになって振り返ってみて、ようやく分かってきたのは「そういうことができる状態のからだではなかった」ということです。


凍りついている子

幼稚園~小学校低学年くらいの頃の記憶って、みなさんどのくらいあるんでしょう?

わたしはごくごく少なくて、ところどころのイベントを映像的に覚えているくらいで、それにまつわる体感覚とか、感情的な記憶はないんです。

よく「子どもみたいな生き生きした感じ!」とかいいますよね。でもわたしは子供時代にそういう体感をあんまり味わっていないんです。なぜなら完全に凍りついていたから。

「凍りつき」とは、刺激に対して「固まる、動かなくなる」ことで身を守ろうとする防衛反応のこと。

さかのぼれば生まれる前、妊娠5週くらいのまだまだヒトの形にはたどり着いてないくらいの時期から、母体がストレスにさらされたときに、胎児は身を固めて動かなくなる、という反応をします。

これが恐怖麻痺反射とよばれる、いちばん最初に表れる原始反射。刺激に対して固まる、というとても原始的な防御反応です。

本来は生まれてくるときには統合(反応が出なくなる)されているはずのもの・・・ですが、これが残ったまま生まれてきて、そのまま大人になっているケースは少なくありません。

そういう場合、「この世は危険」という設定のまま生きていくことになるので、ずーっと緊張状態が続きます。

幼稚園のころのわたしに触れたら、さぞかし緊張していたんだろうなって思うんです。

でも生まれたときから(生まれる前から)緊張してるから、緊張してるって自覚がない。

でも緊張しまくってるから、「今日こんなことあったの~、聞いて聞いて!」なんていう余裕はない。

文字通り、生きているだけで必死だったから(自覚はないけど)、仕方がなかった。

誰も悪くない

母に「喋ってくれないから困った」と言われるのはとてもイヤだったけど、あんなに繰り返し言うということは、母もまた本当に大変な思いをしたのだろうな、と今は思います。

育てづらい子を、一生懸命育てたんだと思います。

でも「言ってくれなかったから恥ずかしい思いをした」っていうのは悲しかったな。

わたしだって、お母さん聞いて聞いて!って楽しくその日の出来事を話せたらどんなによかっただろうと思うけど、できなかった・・・というか、そんな楽しい世界を知らなかったのよ、あの頃は。。。

こころとからだの仕組みを知るようになるまでは、母は「子どもが協力してくれなかった」と思っていただろうし、わたしは「母に責められた」と思っていました。どうしようもなかったことを、互いに責めあっていました。

からだを診るひとになって、いま心の底から思うのは、「誰も悪くない」ということ。

自分のことをしゃべってくれないとか、感情の起伏が激しいとか、お子さんの「困った」に直面したとき、それはその子の性格だと思わないでほしいんです。

お母さんに意地悪したい子なんていません。からだがどうにも辛くって、そういう風にせざるを得ないだけなんです。

そして「何がよくなかったんだろう」と悩まれるお母さんが多いけど、お母さんも何も悪くはない。

たまたまの積み重ねがそういう状況になって、その状況の中で親も子も一生懸命だったというだけ。

無口な子、の背景には、こういった凍りつきが潜んでいる場合があります。

「うちの子・・・?」って思ったら、背中を上から下にやさしくなでてあげてみてください。緊張してたり、歪みが強かったりしないか、見てあげてください。

(反応が強いと、くすぐったがったり触られるのを嫌がることもあるので、嫌がるときは無理にやらない)

からだがほどけて行くにつれて、お子さんの反応は変わってきます。

これは性格だ、と思っていることが、実はからだのケアで変わっていくことってたくさんあるんです。


大人も子供も受けられるやさしい原始反射統合
埼玉県 志木市


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