どこにいっても、「ここ」にいる
週末大阪セミナーのあと一泊して
月曜は高野山へ。
山の上は思った以上に寒くて
朝イチは息が白いほどでした。
霧雨でしっとりしたお山。
ほんのり紅葉もはじまりつつあります🍁
最近はもう日常の幸せに満足してしまって
別に旅行とか行かなくてもいいな、
なんて思っていたけど
旅に出たら出たで、やっぱり楽しい。
*
基本は埼玉にこもってるわたしですが、
最近は「移動」するときの感覚が
昔とはまったく別物で、
それがとても楽しい。
かつては、
「この世という広い空間があって、
その中を自分があちこち動いている」
という感覚で動いていたから、
周りの空間にすごく影響を受けていました。
アウェイ感にやられっぱなし、みたいな。
「いつもと違う場所にいるぞ」と、
脳がアラートを出しまくって、
必要以上に警戒していたし、
すごくすごく緊張していました。
(もちろん無意識に)
バスの降車ボタンを押すのさえ、
時限爆弾を止めるために
青い線を切るか赤い線を切るか?!
って昔の映画でよくあるシーンみたいに
命がけでレベルで押してました。
だから一人旅とかたくさんしたけど、
いつも気を張り詰めてて
ほんと大変だったはず。
そういう緊張から解放されたからこそ、
大変だったなぁと今はわかるんだけど、
当時はそれが「ふつう」で、
それで頑張るしかなかった。
今はというと、
わたしはからだの中にずっといて、
周りの景色が変わるのを眺めているように生きています。
外と内と、空間の感覚が反転して、
わたしが移動してるんじゃなくて、
周りの世界のほうが動いてる、っていう感覚。
これが、本当に楽で。
どこに行ってもわたしはわたし
からだの中に寛いで、
周りの景色が動いてくのを楽しんでいる、
そんな感じ。
居心地の良い映画館で映画を観るように、
居心地よい「からだ」に守られて
安心の中で世界を体験している。
たぶん、多くの人は
「世界の中を自分が動いている」
感覚で生きていはず。
そこにあるのは、
「このちっぽけなわたしが、
何が起こるかわからない不安定な世界に
ぽーーーんと放り出されている」
という無意識の前提。
それに気づかぬまま生きていると、
やっぱり周りの環境の影響をうけやすいし、
外界の動きの目まぐるしさに巻き込まれて
自分を見失いやすい、と思うのです。
*
あなたはどこにいますか?
自分の家?
東京都?
日本?
地球?
それは全部自分の本当の居場所の外側にあるもの。
この世に生まれてきたときから、
何よりもまずはじめに
この「からだ」の中にいる。
homeとしてのからだの存在を、
思い出すことはほんとうにたいせつです。
からだの中にくつろげていなかったら、
どんな高級ソファーに座っても
くつろげないから。
落着き
安定感
安心感
温かさ
肉体があるからこそ
五感を通じて味わうことのできる
「からだにくつろぐ」という感覚。
この世にはいろんな形の幸せがあるけれど、
生き物としてのわたしたちが
本当に求めているのは、
きっとこのプリミティブな体感覚、
なのだと思う。
自分のからだから
「アウェイ」になってはいけない。
*
「たくさん移動したけど、ずっとここにいた」
そんな不思議な余韻。
移動してた夢をみてたのかな、
と一瞬思うけど、
心地よい肉体の疲労感が、
ほんとに移動してたんだな、って
教えてくれています。