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「めんどくさい」には宝物が隠されている

「食器あらわなくちゃ」
「洗濯しなくちゃ」
「掃除しなくちゃ」

家の中を見渡せば、やるべき家事はたくさんあって、でも何をみても「めんどくさい」と思って何もできない時期がありました。

本当にめんどくさくて、何もしたくなくて、その時期は無理してやるのではなく「やらない」と決めて、ひたすら着る毛布にくるまって窓際の陽だまりでゴロゴロし続けました。

「こんなんでいいのかな」
「これがこのままずっと続いたらどうしよう」

たまーに罪悪感とか焦燥感も浮かんできたけれど、「めんどくさい」をやりつくしたら、勝手に動きたくなるだろうと信じて、ひたすらゴロゴロし続けました。

何ヶ月かかったか、冬が終わって春がやってくるころに、ふと「めんどくさい」の下に、「やりたい」という欲が隠れていることに気付きます。

「そこの、干しっぱなしの洗濯物をしまいたい・・・」

やりたい欲を覆い隠そうとしてくる「めんどくさい」をどうにか押しのけて、洗濯物を片付けたら、まるでセッションを受けた後のようなスッキリ感と満足感が内から湧いてくる。

それで、少しずつ少しずつ、「あ、あれ」と目に留まった「めんどくさい」を無視せずに、出来るときはやる、できないときはやらない、と一つずつ選択していきました。

めんどくさい、でもやりたい → やる → スッキリして満たされる、を繰り返していったら、だんだん自分の中に力がもどってきて、いろんな「やりたい」を隠していた「めんどくさい」が薄くなって、そのうちただの「やりたい」か「やりたくないか」に変わっていきました。

自分には、自分の欲を自分で叶える力がある、という有能感と、自分で自分を喜ばせて満足させられる、という自己信頼感。私の中に戻ってきた力は、そういう類のものだったのだと思います。

「欲」っていうと、憧れのあの国に旅行に行きたい!とか、あの車に乗りたい!とか、目立つもの、大きいものを想像しがちだけど、ただの生活の中にこんなにもたくさん欲はあって、私はそんな小さな欲も自分に叶えてあげられていなかったのだなぁ、と気付いた出来事でした。

でも「めんどくさい」で動けなかったあの頃は、そんな小さな欲すらかなえられないくらい疲弊していたのだと思います。何がやりたくてやりたくないのか、そんなことすら分からなくなってしまっていた。

諦めて、腹をくくって、休み切って、そしたら自然とやりたい気持ちがわいてくる。

「めんどくさい」が強烈な時は、無理やりやろうとするとさらに消耗してしまうので、「やらない」と一度決めてしまうといいです。それかちょっとだけやってあげる。疲れない程度に。

「やらなきゃなのに、やりたくない、でもやらなきゃ」のループに入るとさらに消耗してしまうから、それほどまでに自分は疲れているのだ、ということに気がついて、受け入れて、諦めて、休みましょ。

ほんとに、疲れてるのに疲れてないって思い込んでいる人多すぎるので、諦めて休んで(笑)。

それでエネルギーが回復してきたら、また少しずつやり始めればいい。純粋にやりたい欲から行動してみると、「めんどくさい」には、自分の本当の「やりたい」という宝物が隠れてたことにきっと気が付きます。



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