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もう夢日記は書けない

<これは3年前の日記帳からの転載です>

前ページから、26年経っている。

さっき、娘から「ママの日記はいつも3日で終わってる、ノートがもったいない」と言われて、どれどれと手渡されたノートを開いてみたら、中味がちょっとおかしくて、よくよく読んでみたら当初は「夢日記」を書こうとしていたらしいのだ。 若い時は、よーく夢をみていたからな。今はほとんど見ないのか、忘れているのか。

目覚めてから、内容を思い出せる夢はあまりない。だからーーー それは手術の際の全身麻酔に似ている。

手術台、冷たい台の上、それも幅の狭い台なのだが。

だから決して寝るには心地よいところであるはずがなく、自分がまるでまな板の上の鯉にでもなったかのような感覚におそわれ。

そして医療用の電子音が、ピッピッピッ・・・と鳴り響く部屋で、医師から「音楽がかけられますが、何がいいですか?」と聞かれて、私は二度目の手術の全身麻酔では「無音でお願いします」と答えた。

初めて全身麻酔を受けたときに「くるみ割り人形」をリクエストしてしまい、その後それを聞くたびに、まざまざと手術後の苦しさや辛さがフラッシュバックして、嫌な気分だったからだ。
音楽にも失礼だ。

話を戻すと、全身麻酔はそうやって音楽の選曲から始まるが、ゆっくりと聞いていられないのである。 背後から医師の声がする、「10から逆さまに数を数えてください」 私はいつも7までは覚えていた。ということは10,9,8,7・・・たったの4秒で麻酔が全身に廻り、意識がなくなるのだ。

そして「〇〇さ〜ん!」の声で目覚める。 そのあいだ、夢はゼロ。

人生なんてそんなものなのかもしれない。

だから現在59歳になる私はもはや夢日記は書けない。

また、どうして今まで日記を書けないでいたのかを考えてみると、

1. 暗い話ばっかり

2. 1日単位で区切れない時間感覚

3. その日1日ををふりかえると言いたいことが山ほどあり、どれも書き記して置きたいような内容でもないと思った

4. 感動できなくなった

5. 自分が嫌い

6. 書くことが面倒であり、それが自身の精神状態がずっーと落ちている証拠だから 書けない人生は空虚だった。

娘からは、自然に書けばいいよと言われて、なんだか安心もして、いつか使おうと憧れていた万年筆で今書いている。

しかし26年前の10月8日の私は的を得たことを書いている。

仕事の評価も親のことも、私を捨てた男のことも、もうどーでもいいのだ。

もっとも大切なことは、ただひとつのみ