溝口彰子(Akiko Mizoguchi)

大学非常勤講師。ビジュアル&カルチュラル・スタディーズPhD。著書『BL進化論 ボーイ…

溝口彰子(Akiko Mizoguchi)

大学非常勤講師。ビジュアル&カルチュラル・スタディーズPhD。著書『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』(2015)、『BL進化論〔対話篇〕 ボーイズラブが生まれる場所』(2017)が2017年度「Sense of Gender」賞特別賞受賞。

最近の記事

「なぜスキャンレーションはダメか」

以下はこの"BL with AKIKO" チャンネル自己紹介動画の終わり近く、「なぜスキャンレーションはダメか」を説明している部分の和訳です。ここではそのチャプター "On How Scanlation Is Bad" の箇所から再生されるよう頭出しをしてあります。動画がこの部分から始まる設定のURLが必要でしたら、「https://youtu.be/lRMP-yKYZHE?t=786」を使ってください。 * * * * *  というわけで、私は今日まで20年以上、BLに

    • vol.12 明らかに異性愛女性向けファンタジーである今の「やおい」に、どうすればレズビアンとして取り組めるのだろう?

      「やおい」もいまや伝統芸能か 具体的に言えば、博士論文にまで引っ張っていけるかどうか、わからないけれど、とりあえず、手をつけた「やおい」のプロジェクトを展開させたい、という思いがまず、あった。  ここで少し、以前にやおいプロジェクトについて書いた時からの認識の変化を説明させてもらえば、この夏休みに「フィールドワーク」をしてみた結果、いわゆる、現在、売れている主流のやおいに自分が正面から取り組むっていうのは、ナシだな、ということがわかったので、今後も「やおいプロジェクト」と呼

      • vol.11 研究者として、また、教える人としての専門領域を考え始めること。そして「教室効果」のありがたさ

        さあて、私はどうしようか... そうやって見聞をひろめつつ、自分の博士論文のテーマは何にしようかな、ということを考える、というのがコースワークのような気がする。それと、「自分の専門領域」という意味では、「博士論文のテーマ」ということだけではなくて、「大学の教員として自分は何を教えられます、と自分自身をマーケティングしたいか」という意味での「専門領域」もそろそろ考えなくてはいけない、みたい。もちろん、両者は重なっているけれど、イコールでは、ない。たとえば私の場合、広義の「やおい

        • vol.10 2年目の標語は「ちったあ、将来のことを考えながら、戦略的に行動する」

          ハナマル印以来の嬉しさ? NY州北部、ロチェスター大学のヴィジュアル・アンド・カルチュラル・スタディーズ・プログラム(VCS)での大学院生生活がこの9月で2年目に突入した。  もう1年たったの?って感じで、正直いって信じられないけれど、でも確かに、「レズビアンの立場からアート評論するってことを深めるには理論を勉強するっきゃない!」という思い込みだけで飛び込んできた1年前に比べれば、院生生活が板についてきた、とは思う。それに、「生まれて始めて書く論文なるものがいきなり英語で、

        「なぜスキャンレーションはダメか」

          vol.9 「ビッチなテキスト」との格闘:スピヴァック、スピラーズ、ヴィンケルマン、フーコーetc…

          ビッチなテキスト読ませて、悪かったねえ 話は変わって「啓蒙:美学と身体」。これは、もともとはクロス・リスティング・コースだったのだけれど、学部生が登録しなかったため、私たちにとってはラッキーなことに院生のみ5人のゼミとなった。担当教授のダレル・ムーアは哲学が専門で、18世紀の啓蒙の時代とこの20世紀後半は、「理性の時代うんぬん」ではなく「公共圏(public sphere)」の概念において似通っている、という視点からコースを組み立てたということ。両者がどうして似通っているのか

          vol.9 「ビッチなテキスト」との格闘:スピヴァック、スピラーズ、ヴィンケルマン、フーコーetc…

          vol.8 精神分析についての認識をあらため、フロイトをレズビアン・フェミニスト的に読む

          セクハラじじいぶりは否定せず... 「フロイト入門」はその名の通り、シグムント・フロイトの著作を次々と読んでいくコース。とはいえ、膨大な著作の全部を網羅するのは無理なので、『夢判断』『ドーラ:ヒステリアのケース分析』「ナルシシズムについて」「抑圧(Repression)」「無意識(The Unconscious)」「喪とメランコリア」『不気味なるもの(The Uncanny)』「砂男(これのみ、E・T・A・ホフマン著)」『快楽原則の彼方』『集団心理と自我の分析』『自我とイド』

          vol.8 精神分析についての認識をあらため、フロイトをレズビアン・フェミニスト的に読む

          vol.7 「基礎体力、基礎体力」と唱えつつ、院生生活1年目がなんとか終わった。

          ニッポンの夏休み♪ 大学院生として「単身赴任」(?)しているNY州北部のロチェスターから、パートナー(♀)と猫(♂)が住む日本の「自宅」に夏休みで戻ってきて、はや3週間。クリスマス休暇にも帰国したから、久しぶりの日本とはいってもたかだか半年ぶりなのだけれど、渋谷の人込みを泳ぎきれなくて人にぶつかるは、券売機の前でオジサンに無言でぐいっと割り込まれてしばし唖然とするは、自宅の台所のカウンターの角に鼻っ柱をぶつけて流血するはで、最初の10日くらいはけっこう大変だった。やっと「日本

          vol.7 「基礎体力、基礎体力」と唱えつつ、院生生活1年目がなんとか終わった。

          vol.6 シンポジウムでナイーヴな(もと)アクティヴィストとして語ってしまうという大失敗

          カメラマン田村正毅の回顧展 さて。とても楽しく勉強にもなったコンファレンスがこのgraduate conferenceだとしたら、その前月の2月末に参加したシンポジウムでは、違う形ーはっきり書けば、わたしにとっては非常につらい形でー勉強をさせてもらった。  シンポジウムのタイトルは、「アクティヴィスト・カメラ:日本映画における階級、セクシュアリティ、エスニシティ」。シカゴ大学の日本映画ワークショップ(東アジア研究センターが主体)が主催したシネマトグラファー、田村正毅の回顧展

          vol.6 シンポジウムでナイーヴな(もと)アクティヴィストとして語ってしまうという大失敗

          vol.5 わたしの「レズビアン・アイデンティティ」を構築しているのは何だろう?

          やっかいごとのテンコ盛り 話はかわって、ふたつめの論文。「コロキウム:ビジュアル・アンド・カルチュラル・スタディーズ」のコース用には「やおいフィクションにおける『少年』たちのレズビアンとしての思春期」という論文を書いた。70年代の少年愛もの少女漫画にすごーくハマっていた思春期の自分と、今の自分のレズビアン・セクシュアリティとの関連は? 70年代の漫画と最近のよりポルノグラフィックなやおいとの共通点と相違点は? わたしにとっては「少年たち」は文句なしに「少女たち」だったけど、他

          vol.5 わたしの「レズビアン・アイデンティティ」を構築しているのは何だろう?

          vol.4 理論の応用はまだ無理でも「現段階なりの自分を信じて考え抜くこと」

          早くも2学期目も追い込みの時期 光陰矢の如し......ロチェスター留学だより(?)の第1回(前号)を書いていた時は大学院生になって3ヶ月半ほどの時点だったというのに、第2回を書いている今は早くも2学期目も追い込みの時期。大学生時代と違って期末試験がないのはいいけれど、そのかわり、コースごとに20ページ前後のリサーチ・ペーパーを提出しないと修了したことにはならないから、学期も後半ともなると授業のための準備と、3本の論文とが同時進行で、身体的にも精神的にもいわゆる「修羅場」状態

          vol.4 理論の応用はまだ無理でも「現段階なりの自分を信じて考え抜くこと」

          vol.3 レズビアン・アイデンティティを肯定することと、問題化することは両立する?

          では、このレズビアンというアイデンティティって何? どれほどの意味があるの? 異性愛者にとっての「他者」としての機能以外に? などと考えていくと、「レズビアンやゲイというアイデンティティは主体をしばる」「カミングアウトしても新しいクローゼットに入るだけ(レズビアンが何か、というのは性愛対象が同性だという以外に定義が人それぞれでわからないから)」という議論も理解はできるのだ。  けれども、そもそも「異性愛者」というアイデンティティこそが主体をしばるフィクションだということが議

          vol.3 レズビアン・アイデンティティを肯定することと、問題化することは両立する?

          vol.2 1998年のアメリカの「クィア」とは? なぜセクシーな論文が多いのか?

          でも実は、「クィア」が翻訳不可能な外国語だという問題以上に、「1998年のクィア」に遭遇したショックのほうがずっと大きかった。 「クィア理論」という学問領域は1990年にテレサ・デ・ローレティス(注1)が提唱したもの。『ゲイ・スタディーズ』(キース・ヴィンセント、風間孝、河口和也共著/青土社)によると、デ・ローレティスは、”欧米でのレズビアン/ゲイ・スタディーズの研究成果の蓄積を評価している一方、例えばレズビアンとゲイのセクシュアリティにおける「差異」を消し去っていることに批

          vol.2 1998年のアメリカの「クィア」とは? なぜセクシーな論文が多いのか?

          vol.1 日本の「草の根文化系レズビアン・アクティヴィスト」がUSAでクィア理論を学び始め、混乱する

           今年、2018年は私が研究を始めて20周年になります。『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』(太田出版、2015)、『BL進化論〔対話篇〕 ボーイズラブが生まれる場所』(宙出版、2017)の、溝口彰子です。突然ですが、20年前を振り返ろうと、当時書いたロング・エッセイを引っ張り出してきました。  連載当時のタイトルは「日本の『草の根文科系レズビアン・アクティヴィスト』がUSAでクィア理論を学ぶと……」。『イメージフォーラム』という映像文化を中心に扱う雑誌で1999年春か

          vol.1 日本の「草の根文化系レズビアン・アクティヴィスト」がUSAでクィア理論を学び始め、混乱する