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【第1回】そう言われたらわたし、何も言えないんです:「二人、いつか稲穂が輝く場所で」

 指名客は、ノルマを達成出来るぎりぎりの分だけいればいい。客が多い程、時給は上がるが面倒なのはごめんだ。そんな風にやる気のないわたしだが、客の中には奇特な人間もいる。その客、田守は私の数少ない固定客だった。

 肌寒さが速度を増して近づいてきている秋の終わりだった。わたし達は「何だか温かいものが恋しい季節ですね」と挨拶をしだし、客も「ねぇ、本当。ちえりちゃんに温めて欲しいなぁ」などと言うようになる時期だ。

  田守が初めて店に来たのは、半年前だ。田守は、その時キャバクラに来る事自体が初めてだった。

  田守は、三十歳過ぎの小太りで、色白の肌ににきびの跡だけがぽつぽつと赤い男だった。職業は新聞販売員。趣味の一つもなく、「お休みの日は何をしているんですか」と聞くと、寝ているかテレビを見ていると答えた。

 わたしは、ゴールデンタイムに店にいるので、ほとんどテレビを見る習慣がなかった。だが、無理矢理に店の女達が話している最近の芸人の話をして、何とか場を繋いだ。いまいち盛り上がらなかったが、やるだけはやった。そう思いながら、店長が他の女を連れてきたので席を立とうとした。

 だが、田守はわたしにその時、「もう行っちゃうの?」と言った。引き止めたいならば、場内指名をしなければならない。店のシステムを伝えると、田守は「じゃあそれで」と答えた。

  それから、田守は、週に一度は必ず店に来るようになった。一応電話番号とメールアドレスを交換したが、田守は外で会おうとも言わず、しつこく電話をかけてくることもしなかった。だが、営業メールには必ず返信をして、約束した通りの日時に店に来た。

 何度会っても会話は弾まず、話を振るのは全てわたしだった。わたしは、田守の勤務先の新聞で報じられていたニュースを仕入れて、一人でテンション高く喋りまくった。あの人といると、自分が落語家になったような気分になるよ。店の女達にそうこぼしたりはしたものの、それでも、田守は楽な客だった。

その田守の様子が変わり出したのは、つい最近だ。先月、ノルマの達成が危うかったわたしは、田守を同伴に誘った。同伴すると指名のポイントの他、同伴のポイントもつくので、一気に成績を上げる事が出来る。

 しかし、同伴をしたことで田守との関係が変化した。キャバクラの女を知らなかった田守は、キャバクラ嬢とは店でしか会えないと思い込んでいた。だが、店外でも会える事を知った田守は、わたしに店ではなく外で会いたいと言うようになってきていた。

「そうですね、出来れば、わたしもそうしたいけど。でも、わたしも昼も働いているでしょ? 仕事とお店とで精一杯で、正直に言って寝る時間もほとんどないくらいなんです。でも、田守さんにはお会いしたくて。だから、今までみたいにお店に来てくださるのが、一番いい方法かも」

 お定まり通りの返事を、返した。田守を、キャバクラに来ることに慣れた人間と同じように扱ってはいけなかったのかもしれない。そんな不安が、ふとよぎった。だが、それでも田守は、わたしにべた惚れしているから平気な筈だ。

しかし、田守は、わたしの「店に来て欲しい」という言葉に、気まずそうに俯いた。わたしは、田守の膝に手を乗せて、彼の顔を下から覗き込んだ。そうしたら、田守はあっという間に顔を真っ赤にさせ、目をそらした。わたしは、その体勢のまま、田守の答えを待った。

「販売所の同僚にちえりちゃんの事を話したら、『遊ばれているだけだ』って言われて。僕は『ちえりちゃんはそんな子じゃない』って言ったんだ。でも、そうしたら、それなら昼間に普通に会えばいいだろって言われたんだ……」

 田守は消え入りそうに小さな声でそう言った。酷い事をしている。一瞬、胸の中の自分がそう言った。けれど、わたしはこう続けた。

「そう言われると胸が痛いです」

 田守が顔を上げた。瞳は必死な様子で私を見上げていた。捨てられまいと追いすがる小さな子どものような目だった。一瞬、躊躇った。けれど、わたしはこう続けた。

「わたしもどうにかしたいけれど、今はどうにも出来ないんです。そう言われたらわたし、何も言えないんです……」

 俯き、額を抑え、語尾が消え入るように言った。

 好きだとは言っていない。何も約束はしていない。どうにかしたいのも、どうにも出来ないのも本当だ。その“どうにか”が田守が思う方向ではないだけだ。わたしはキャバクラ嬢の定石通り、嘘ではないが本当でもない言葉を選んで使った。

 だが、田守に、その言葉は劇的に効いた。ごめん、本当にごめん、と田守は繰り返した。疑ってごめん、本当にごめん。もっと来る、出来る限り来るから。田守は、そう続けた。予想以上に上手くいったこの顛末にわたしは少々驚いた。わたしは、それからわかってくれて嬉しい、と微笑み、いつもより更に明るく喋りまくった。

【2に続く】


 ※注:こちらは、2012年に出版したわたしの自伝的小説『腹黒い11人の女』の出版前に、ノンフィクション風コラムとしてWebマガジンで連載していたものです。執筆当時のわたしは27歳ですが、小説の主人公が23歳で、本に書ききれなかったエピソードを現在進行形で話している、という体で書かれているコラムなので、現在のわたしは23歳ではありません。

 小説版『腹黒い11人の女』はこちら。奄美大島では、名瀬と奄美空港の楠田書店さんで売っています。

さて、前回予告した「キャバクラ嬢の罪深さ」にスポットを当てた、Webコラムにしては長い短編の第1回です。

全11回の予定で、すべて原稿はあるので、随時アップしていきます。

胸が痛むけれど、気に入っている短編でもあります。
よろしければご覧くださいませ。

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