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【Vol.11】既婚者とばかり付き合う女:美帆

 夫婦間の浮気率は、一説によると三割近くに及ぶという。不倫はいまや当たり前で、独身の女に限って言えば、既婚者との関係があったことのある女は半分以上になるだろう。

 ちえりは、今、ここ数年既婚者としか付き合ったことのない女、美帆の話を聞いている。


A story about her:美帆

 美帆は27歳で現在はアパレル系の会社でマネージャー職についているそうだ。若い頃は激務の上、薄給だったが今は昔よりは暮らしに余裕があるという。

「初めて不倫したのは21歳の時かな。学生時代によく行ってたイベントのオーガナイザーで10歳上だった。奥さんがいるのは噂で聞いていたけど、勢いで」

 美帆は、赤いカクテルを傾けながらそう話す。

「まぁ、それは数ヶ月で終わって。同い年の彼と付き合ったりもしたんだけど、何か物足りないのと、疲れちゃって」

 右手の薬指にある、現在の既婚者の恋人とお揃いだという指輪をいじりながら美帆はそう続けた。

 物足りない、という気持ちは私にもわからなくはなかった。基本的に20代の女が付き合う既婚者の男は年上で、経済的にも余裕がある場合が多い。キャバクラの客でも、独身の若い男は「やらせろ」とがっついてくる割には金を落とさないので嫌われ、既婚者の経済的に余裕がある男は、安心かつ金を落としてくれるので好かれる傾向がある。既婚者の精神的、経済的余裕に触れると、若い男では物足りなくなるのは当然だろう。

 しかし、疲れる、というのがよくわからなかった。相手の家庭などを考慮して付き合い続けるほうがよっぽど疲れるだろう。

 わたしは、美帆に「どうして独身の男のほうが疲れるの?」と聞いてみた。

 美帆は、指輪をいじりながらしばし考え込み、答えた。

「既婚者って、別れる時に何も理由はいらないじゃない。だから、楽なんだよね」

 美帆は、そう答えて、酒をまた口に含んだ。

 美帆は、既婚者の男と別れる際、「やっぱり、あなた結婚してるし」と言うそうだ。そうすると、別れたくない男は様々な反応をすると言う。「いつかは別れるから」、「辛い思いをさせてごめん」、「妻と君は別物なんだ」などが代表的な返答だそうだ。

 美帆はその返答に「じゃあ別れてから連絡してきて」、「辛い思いさせてると思うなら別れて」、「それでもいいと思える程、あなたのことが好きじゃなくなった」と答える。

「本当、ひどい女だよね」

 美帆はそう語りながら、指輪をいじる。

「美帆の中に、その人を独り占めしたいって気持ちはないの?」

 わたしが聞き返すと、美帆は、しばし考えてから、こう答えた。

「独り占めするにはすごく労力がいるでしょ。わたしは、そういうの嫌なんだ。わたしはただ、楽をしたくて、夢を見たくて、すぐに逃げたいんだよ」

 楽をしたくて、夢を見たくて、すぐに逃げたい。

 そう思っている人間に不倫はぴったりだ。罪悪感から男はどこまでも優しいし、自分が既婚の分、女を束縛することもそうない。そして、何か揉めたら全て相手が結婚しているせいにすればいい。

 けれど、楽をして、夢を見て、すぐに逃げて、そこから先の答えはあるのだろうか。

 そう問うと、美帆は「答えなんて欲しいと思っていない」と言った。そして、「今が楽しければ充分だよ」と続けた。

 今が楽しければ充分。そう言い切れる女は実はなかなかいない。わたしの周囲の女のほとんどが、何かしらの未来への不安を抱えていて、それらを見ない振りをしながら日々を過ごしている。

 未来など、自分の頭だけで計り知れるはずがない。だから、今が楽しければそれでいいと開き直った方がいい。そのことはわからなくもない気がした。けれど、どこかでもやもやした気持ちが残った。一体、どうしてそう思うのだろう。しばし、考えて、腑に落ちた。わたしは美帆にこう聞いた。

「ねぇ、それで、もし美帆が結婚して旦那が他の女にそういう風に便利に使われていたらどう思う?」

 美帆が、指輪をいじる手を止めた。

「わからない。結婚するってことはすぐに逃げられなくなるってことだよね。わたしには、まだそこがわからないよ」

 美帆は、静かにそう答えた。

 帰り道。街は酔いで顔を赤くした人々に溢れていた。酩酊した時特有の何もかもが出来るような万能感と無敵な気分はすぐに消え、翌日に残るのは頭痛と倦怠感だけだということなど、飲み過ぎた経験がある誰もがすぐにわかっている。けれど、それでも誰もが酒を飲む。それと同じように、わたしも、何かに、そして、何かから惰性で逃げているような気がした。

 すぐに逃げたい。すぐに逃げられなくなることがわからない。

 酔客でごった返す人混みの中、美帆が言った言葉が頭の中で回る。

 わたしも結局、逃げたいのだろうか。逃げられなくなる何かはいつか近づいてくるのだろうか。

 思考を振り切るために空を見上げた。淀んだ空には低く雲が流れ、月がかぎ爪のように禍々しい色をしていた。


かつて、ちえりをやっていた2022年の晶子のつぶやき

※注:こちらは、2012年に出版したわたしの自伝的小説『腹黒い11人の女』の出版前に、ノンフィクション風コラムとしてWebマガジンで連載していたものです。執筆当時のわたしは27歳ですが、小説の主人公が23歳で、本に書ききれなかったエピソードを現在進行形で話している、という体で書かれているコラムなので、現在のわたしは23歳ではありません。

 小説版『腹黒い11人の女』はこちら。奄美大島では、名瀬と奄美空港の楠田書店さんで売っています。Amazonでは在庫切れ。再出版するかnoteで無料公開するか考え中。

  このコラムは話としてかなりまとまっている回だな、と自分でも思う。
 そして、この美帆と付き合っている男性側の立場の話を聞きたいなあ、と今のわたしは思う。

 予想では、この美帆の相手の男たちは「最初はいいと思っていたが段々面倒くさくなってきた」、「もっと尽くしてくれると思ってたけどそうでもなかった」、「ぶっちゃけ面白そうだから一回やりたかっただけだった」、「でも、まあ連絡先にいてもいいかなってレベルではありだからキープ中」などかと推測します。

 いや、案外その中に切ない気持ちもあるのか?
 本当にこの美帆的な立場の子を好きだったりするのか?
 じゃあ、なんで結婚相手と別れないのか聞きたいよね。

「昔の女を捨てられない優しい男である俺が、俺自身で好きだから、そんな俺を好きでいてくれ」ってやつなのかなー。

 疑問です。今度、人生いろいろあったが今は落ち着いております系のイケおじさまに聞いてみようかな。あ、そう考えると楽しくなってきた。「男の考えてることわかんねーよ」とぐだぐだ言う女子飲みって、まあ一般的に男性には不評ですが、「結局、そのわかんない男のことを考えまくってる○○ちゃんてばかわいい♡ 最終的にはのろけってとこがキュート!」とわたしは思うから、結構好き。

 ですが、女同士で固まってこういう話をし過ぎるとまたこれが沼化するのよね。なんか、愚痴を言い続ける人生に生きがいを感じる人が爆誕した上に、それを良しとするコミュニティシステムが出来上がり、さらにそれが妙な共鳴を生んじゃったりしてやばい。

 まあ、でも、それも一つの共生ではあるんですけどね。

 わかんないことは相手に聞いてみなきゃわからないぜ!

 というシンプルな事実を忘れないようにしたいものです。

 そう、わからない、ということは、それだけ、

「あなたに深遠な何かをわたしは見ている。それにわたしは惹かれていて、わたしはそれを知りたいの」

ということだからね。

 それって、とっても素敵じゃない?

 それじゃあ、またね!


作家/『ILAND identity』プロデューサー。2013年より奄美群島・加計呂麻島に在住。著書に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。Web小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。