【第10回】本当が欲しいけど、本当は怖いよね:「二人、いつか稲穂が輝く場所で」
その日の営業終了後、カウンターにぐたりと寄りかかるわたしを、女達は静かに見守っていた。
田守との顛末はわたしが話さずとも、既に大体知れ渡っていた。うちの店の女達は無用な詮索はしない。だが、その日は既に上がりの時間を過ぎている女まで店に残っていた。
「どうにもならないよ、人の気持ちは」
私服に着替えたあいが、静かに言った。
「生きてるのかな」
わたしは、今まで怖くて口に出せなかった言葉を始めて口に出した。言いたくはなかった。言ったら本当になってしまうような気がした。けれど、わたしの胸にずっと渦巻いている懸念はそれだけだった。
「人間、そんな簡単に死なないよ」
純が、煙草をふかしながらそう答えた。
「怖いよ、わたし。あの人の人生、滅茶苦茶にしちゃった」
小刻みに体が震えた。わたしの肩にぽんと手を置いてまりかが言った。
「わかんないって。そんなに暗い方向で決め付けなくたっていいじゃない。失踪先ですごいいい女と出会って電撃結婚とかしてるかもしれないよ」
「だったらいいけど」
そう思いたいけれど。そう続けようとしたが言葉が続かなかった。店長が、わたしの目の前に酒を置いた。営業終了後は本来なら速やかに誰もが帰らなければならず、酒を飲むのも規則違反だった。だが、今日は店長がそれを黙認していた。
わたしは、出てきた酒を口に運んだ。それでも手の震えが収まらなかった。
「大丈夫だよ。生きてれば何でもありだよ」
まながわたしの近くに灰皿を引き寄せながら言った。
「わたし、別にあの人を不幸にしたかった訳じゃないんだよ。指名は欲しかったけど、借金背負ってまでは来て欲しくなかった。そんなに自分を追い詰めないで欲しかった」
「わかってる」
ゆうかが静かに言った。
「わかってる」
あいが同じ言葉をもう一度呟いた。そして、それから「店長、わたしもお酒」と言い、わたし達は期限切れのボトルを出してきて、しばし、酒を飲んだ。
「嘘でもいいから優しくして欲しい相手に、嘘で優しくしてあげるって悪いことなのかな。向こうが求めてるんだからって、ずっとわたしは思ってた。でも、そうしたら壊れちゃう人がいるんだね。わたしのせいじゃないのはわかってる。でもさ、やっぱり、胸が痛いよ」
もう何杯目かもわからない酒を飲み干した後、わたしはそう言った。我ながら呂律が回っていなかった。そんなわたしを女達は許した。今日は誰も、酔い過ぎだとは言わなかった。
わたしの言葉に女達が口々に言った。
「でも、どうにも出来ないんだよね」
「ずっと嘘はつけないよ」
あいが腕組みをしながら言った。
「わたしもさ、危ない客のことを笑い話みたいにしてるけど、自分が追い込んだんだって思う時あるよ。仮想恋愛だとわかっててそれを楽しんでくれる人はいいんだけどさ。そうじゃなくて本気な人は辛いよね」
純が酒のグラスを傾けながら言った。
「所詮、キャバクラ嬢って思われるのも腹が立つけどさ。作った自分を本当だと信じ込まれて愛されるのも辛い」
ゆうかがぽつりと続けた。
「本当が欲しいけど、本当は怖いよね」
「うん」
本当は怖い。わたし達はその言葉にそれぞれが頷いた。
「皆、優しくされたいだけなのにね」
誰かが言った。それにまた皆が静かに頷いた。
「嘘でもいいから、優しくされたいだけなのにね」
また誰かが続けた。無言のまま、それぞれが酒を飲んだ。
わたし達は、ただソファの背もたれに体を預け、自分が今まで傷付けた誰かのことを思い出していた。
【11に続く】
※注:こちらは、2012年に出版したわたしの自伝的小説『腹黒い11人の女』の出版前に、ノンフィクション風コラムとしてWebマガジンで連載していたものです。執筆当時のわたしは27歳ですが、小説の主人公が23歳で、本に書ききれなかったエピソードを現在進行形で話している、という体で書かれているコラムなので、現在のわたしは23歳ではありません。
小説版『腹黒い11人の女』はこちら。奄美大島では、名瀬と奄美空港の楠田書店さんで売っています。
さて、前回予告した「キャバクラ嬢の罪深さ」にスポットを当てた、Webコラムにしては長い短編の第10回です。
全11回の予定で、すべて原稿はあるので、随時アップしていきます。
胸が痛むけれど、気に入っている短編でもあります。
よろしければご覧くださいませ。
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