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続・真っ青な空の下で

3年前、息子はどこよりもアクティブで冒険だらけの幼稚園に入園した。
その最たるイベントは、年長さんが行く卒業遠足・八ヶ岳登山。
2500m級の編笠山を山頂まで登り、山小屋に泊まって翌朝2700m級の権現岳を登って下山してくるというハードな工程を、5歳と6歳の子供たちが全員でチャレンジし、達成して帰ってくる。

入園を決めるとき、私はここを選ぶか普通の幼稚園にするか、悩みに悩んだ。
いわば命を賭けた挑戦に、親の意志で送り込むことへの葛藤、命との向き合い方。
私は、息子は、何のために生まれてきたのか。
何のために生きているのか。
どんな選択をしようとも、必ず得るものと失うものはワンセットでついてくる。どちらかだけを享受できる選択なんて存在しない。
だからこそ、その両方から目を逸らすことなく、どちらも理解し受け入れた上で決めていこう。もちろん本人の心(表面的なものではなく、奥に潜んでいる声)に耳を澄ませながら。
そうして選んだ幼稚園。

(↓入園を決めた時のnoteはこちら)

年少で入園してから、先輩である年長さんのチャレンジをこれまでに2回見てきた。
縦割りのため他学年とも仲が良く、親も自分の子供のようにお互いの子供の成長を見守ってきただけに、一年前も二年前も、我が子のことのように緊張したし、下山報告を今か今かと待ち、無事帰ってきたと連絡を受けたときは、安心して涙が出た。

そして今年、ついに我が家も当事者として送り出す時が来た。来てしまった。
コロナにより一度延期となり、決まった別日程でもまだまだ多い感染者数の中、一人でも陽性が出たら中止。挙句1週間前の時点では台風直撃の予報。
ただでさえギリギリのところで踏ん張って立っていた私の覚悟が、中止の可能性が高まり、か細くなっていく。
そんな私の揺らぎを察したかのように、息子は行きたくないと言い出した。
それでもいいんじゃないかという気持ちが一瞬胸を過った。親子ともに楽な方に逃げてしまおうか、と。

でも、息子の心の奥の声は「行きたい」と言っているのがわかっていた。もちろん私の心の奥の「行ってきてほしい」も確かにあった。
チャレンジしたいと思っている気持ちが1%でもあるのに、それを潰してしまいたくはない。
息子の心の声に耳を澄ませ観察しているうちに、息子の心は一日の中でも「楽しみ」と「怖い」を何度も行き来しているのがわかった。

出発前最後の登園日。
いつもの通りお迎えに行くと、何も話さないうちから、息子に覚悟のようなものが生まれているのを感じた。何かあったかなと思いながらも夜になり、寝る前に不意に自分からベッドで語り出してくれたのは、その日の活動の中での話。


「小さい子たちがね、虹の絵を描いてくれたの。
おーっきな紙に、おーっきな虹。
「ねんちょうさん、おやまがんばってね」って下に書いてあった。
それ見て、涙出そうだった。すっっっごくうれしかったの。がんばろうって思った。こんな気持ちになったの初めてだった…」
話しながらボロボロ涙をこぼして抱きついてきた。今日の前向きな変化は、お友達からもらったパワーだったんだ。
雨が降っていた心に、みんなの応援で虹がかかったんだね。

ちょうどその頃、登山の二日間の天気予報は台風による大雨から、みるみる晴れの予報に変わっていった。

出発前日、PCR検査を受けに行った。出発予定の年長さんのうち、誰か一人でも陽性が出たら中止。10人以上いれば一人くらい偽陽性が出てもおかしくないと思いつつも、ここまで来て天気も回復してくれて、全員が陰性を出すことができたら、それはもう神様が頑張ってこいと言っているに違いないと思った。まだかすかに私の奥で揺らいでいた不安も、少しずつ確実に小さくなってゆく。息子の口からは「八ヶ岳楽しみになってきた」という言葉が小さく聞こえるようになった。

当日の朝5時、「決行します」とメールが来た。全員の陰性が確認できたようだった。年長のお母さんたちと、先生の顔が浮かんだ。みんなが当日中に結果の出るPCR検査を確実に受け、みんなの報告が間に合って、みんなができると信じて、ここに繋げることができたこと。お母さんたちみんなが不安を胸に秘めながらも、大きな愛と勇気で子供たちの背中を押している、その姿が見えるようで、涙が出た。

起きてきた息子は、楽しみと不安をちょうど同じだけ抱えてバランスを取り、ニュートラルな状態で支度をしていた。

握ったおにぎりを入れる袋に何て手紙を書こうかとすごく悩んだ。がんばれ、ではない気がする。気を付けて、無事に帰ってきて、では逆に帰りたくなってしまわないか。悩んで悩んで悩んで、「◯◯ならぜったいできる!!」という言葉と、くまの絵をたくさん描いてリュックにそっと詰めた。
何度も何度も一緒に確認した重たいリュックの中身を、最後にもう一度確認した。

いざ、息子と手を繋いで集合場所へ。
「楽しみなことはねー、青年小屋とー、、」
気付いたらニコニコ話している息子から、この一週間自分で心の葛藤を乗り越えてきた逞しさが伝わってきた。
天気予報は今日も明日も朝から晩まで快晴。
もう大丈夫だ。

感情を抑えてあえてあっさりと送り出したあと、久々の自由時間を満喫…というよりは、余計なことを考えないためにぎゅうぎゅうに詰め込んだ予定を消化する2日間。
夜は、今夜絶対に大きな地震が起きませんように、と祈りながら寝た。

無事に一夜明け、ご馳走を作って待っていたいけど、疲れた身体には優しいものしか食べられないかもしれない。でも好きなものは用意して、、あれこれ考えながらお迎え時間を待った。

怪我の一つや二つ覚悟の上で、命さえ帰ってきてくれればと思っていたのに、駅からみんなで並んで歩いてきた我が子の足取りは軽快で、遠目に私を見つけてふざける余裕すらあった。
全員の怪我の有無や、二日間の伝達事項を一人一人丁寧に伝えながら子供たちを母の元に引き渡していく先生方を見ていて、この先生方だから託すことが出来た、と改めて思った。

息子は疲れているはずなのにテンションが高く、家に帰ってもしばらくは感想を興奮気味に話していた。

青年小屋を出るとき、葉っぱについた水滴が、陽の光に照らされてキラキラとすごくきれいだったこと。
朝陽が樹の間からすごく強く差し込んできて、神様が出てくるんじゃないと思ったこと。
雲が上からも下からも丸ごと見えて、夢を見てるみたいだったこと。

しばらくは興奮覚めやらず、つい悪ふざけをしたりしていたが、軽く注意したタイミングでふと、緊張の糸が切れたかのようにわーわー泣き出した。
「寂しかった、会いたかったよー!」
「寝る時すごく寂しくてなかなか眠れなかった」と。

少し落ち着いてから、
「山頂でおにぎりの袋にお手紙書いてあったの読んだ?」
と聞くと、
「え?書いてくれてたの?気付かなかった…
読みたかった……あ、でも読まなくて良かったかも、お手紙見たら会いたくなっちゃってたと思うから」
と言ってまたわんわん泣いた。

ベッドに入り、息子は息を大きく吸い込んで、
「八ヶ岳、行って良かった。
ほんっとーーーに行けて良かった。
行かせてくれてありがとう。」
と言った。

「良かったね。頑張ったね。
送り出すのも怖かったよ。
何かあったら、行かせたこと後悔すると思っちゃって。すごく怖かった。」
と私が言うと、

「うん、でも本当にありがとう。
落ちたらどうしようとか思ったけど、もしも落ちるようなことがあったとしても、そういう結果になったとしても、それでも送り出してくれた方が良かったって思う。
行っておいでって言ってくれたことが、本当に嬉しかったの。」
と、また目に涙を浮かべながら、けれど力強く話し、すぐにすやすやと眠った。


「『行っておいで』と言ってくれたことが嬉しかった」
「何かあったとしても、送り出してくれた方がよかった」
というのは、どんな意味だったんだろう。

お母さんが僕を、できると信じてくれたこと?
心の奥の「行きたい」を見つけてくれたこと?
「行っておいで」が愛ゆえだと、わかっているから?

どれくらい深く考えて言ったのか、真相はわからないけど、その話をしている時の息子は、5歳の子供じゃないみたいだった。
もっと古くからの魂が、5歳の身体を通して訴えてきたかのように感じた。

私はきっとこの言葉に一生背中を押してもらうのだと思う。また心配性な私が顔を出し、可愛い息子に旅をさせることへの躊躇が生まれた時、この日の言葉を思い出して送り出そう。


真っ青な空の下で、
大好きなみんなと味わった、地球に生きる喜び。
魂が震えるほどの命の喜び。

これを分かち合いたくて私はこの子と出会う人生を選んだんだ。
これからも、真っ青な空の下で、お互いに一度きりの命を燃やしていこうね。


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