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真っ青な空の下で

4月から、我が家も新しい生活がスタートする。

息子が幼稚園に行くこと。
今まで家族以外に預けたこともなく
3歳を過ぎても卒乳の気配もない甘えん坊の息子が
見えない場所で活動するというこの事実は、私にとってもやはり何よりも大きく、

特に、毎日外で活動するアクティブな幼稚園を選択したことにより、
怪我や事故に対する不安な気持ちが私の奥の方にずっと小さく震えていて消えなかった。
通園できる範囲の幼稚園を全て回ってもなかなか惹かれる園に出会えず、やっと見つけた親子共にお気に入りの園なのに。

ワクワクの奥に潜む心配・不安を「まあ大丈夫さ」と、ただ楽観視してはいけない気がしていたし、
そうした結果万が一何か起きた時には、私はこの選択を後悔するだろうと思った。
だからといって、不安を理由にその選択をやめることも、違うと思った。

子供の環境だからこそ、不安や恐れが生まれる。過剰に守りたくなる自分が出てくる。
本人はそんなの必要としていないのに。
だって自分自身に対する選択ならリスクなんかで絶対迷っていない。

私がこれまで陸上や仕事に熱中している時も、一度も止めることなく応援されてきた親の度胸を、改めて思い知った。
真夏の気温38度の熊谷での13時のレースとか、
骨折しながらのレースとか、
そうでなくても毎日の吐くような走り込みとか。

社会人になってからは徹夜や強行スケジュールの出張、
記憶のない時期があったり、と
親の立場になった今、自分の子供が、と考えただけで胸が張り裂けそうになる。

でも私にとっては、そんな経験の全てが人生の財産だし、それらがなかったら人生の楽しみは半減どころではなかった。
昔から死生観の強かった私は、「今日死んで悔いがないか?」と考える癖があって
陸上をやっていた頃は「競技場で死ねたら本望だ」と思っていたし
仕事に熱中していた時は「もし過労で死んでも誰も訴えないで、私は幸せだから」と思っていた。笑


なのに。
我が子のこととなると、とても応援できる気がしなかった。
昨年ラグビーで日本が盛り上がっていたときも
「息子が将来ラグビーをやりたいと言ったら、応援できるだろうか?目の前でぶつかって血を流す姿を私は見てられるのだろうか?日本代表のお母さん達は応援してるってことなんだよな…すごいな…」と別の尊敬の念を抱いたりした。

そしてこの心配は子供を産んだが最後、これから一生この葛藤と闘っていくのかと思ったら、気が滅入りそうだった。


「心ゆくまで挑戦しておいで」と心から安心して送り出せる状態に、私がならなければ。
私の心は持たないし、何よりも息子の可能性を奪ってしまう、と危機感を抱き、
幼稚園入園までにやることは、私の心の安心を手に入れること、と決めた。

そこからこの半年は、時間をかけてたくさんの智慧を受け取り、内省して、対話して、
いのちの捉え方、感情の扱い方や分かち合い方、が少しずつ変化してきた。


今は半年前とは全く別の景色が私の中に拡がっている。

私は息子とこれからの人生を通して、
どんな景色を分かち合いたいのか、
どんな感情を共有したいのか、
そんなことを自分に問うていたとき、
「真っ青な空」という言葉がふと口をついて出てきた。
その瞬間、突然何かに触れたようにボロボロと涙が溢れた。


そうだ、「真っ青な空」を、私はこの子と分かち合いたいんだった。
真っ青な空の下で、力一杯生きてることを感じて欲しい。
真っ青な空の下で、吸う空気が、飲む水が、最高に美味しいってこと。
真っ青な空の下で、笑い合った仲間との時間は、一生自分を励ましてくれるということ。
真っ青な空は、いつでも全てを見守り受け止めてくれるということ。

「真っ青な空」
それが、息子と私の、生まれるずっと前からの待ち合わせ場所だったような気さえしてくる。

この感情に包まれて以来、私の心の奥には真っ青な空が広がっていて、そこに触れるたび安心が拡がる。

そしてふと気付けば、名前に同じ意味を持って生まれてきている息子は、その存在だけで私に安心をもたらしてくれているのだと知った。

なんだ、もう持ってたのか。もう知ってたのか。
という拍子抜けた感じと、
そうか、だから私の元に来てくれたんだね、という感謝と愛おしさと。


ようやく私の心の準備ができたところで、来月から幼稚園。
思いっきり挑戦しておいで!と今は心から思える。
何があっても大丈夫。

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