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甚爾の自害はなぜ起きたのか

呪術廻戦の話ですが

今回は40話に戻ります。

親子対決になるわけですが

息子の恵は気がついてなかったですね。
でも甚爾は恵が息子だと気がつき
禅院の名前でないことを知ったら
自害しました。

ここで
なんで恵が自分の息子に気がついたのか?
親子の関係って
そういうものだと思うんですよね。

甚爾はああみえて
子供のことを考える親だったってこと

禅院家というものを背負って生まれてきて
それを背負わせたくなかったという

そこで
なぜあそこで気が付けたということですが
キネシオロジーだと
全然普通のこと

というのも

体に記憶が残ってるって考えるから

生き返った甚爾は
別の人の体に乗り移ったものでしたが
彼の
フィジカルギフテッドによって
彼自身となることができてたんだと思います。

だから
体は甚爾そのもの。
細胞までも甚爾になってたんだと思います。
だから
その体に残った記憶から
恵が息子だとわかり

その息子が禅院をついでないことを知り
自分の役目は終わったと思ったんだと思います。

それは
甚爾が奥さんから言われた

恵をお願い

という言葉を全うしたからかもしれないなと。

甚爾自身
奥さんからの
恵をお願いという

ある意味呪いを持って生きてきたわけで

これは
ななみんが死ぬ前に
虎杖に
後は頼みます

悩んだ末にこういいます。

この言葉が呪いになると知って
いうか言わないか迷ったときに

灰原が目の前に出てきて

その言葉をいうことを決意したのが
似た場面だなと感じたのですよ。

みんなそれぞれ生きる上で指針となる言葉がある
虎杖は
おじいさんに
人に囲まれてしね
人を助けろ

そう言われてます
それを全うしようとして
彼は
42話では
宿儺としての自分のやったことを
目の前にした時に
目の前で起こっていることと
自分自身との間で
大きな葛藤が起こります。

人が死ぬ前の一言は
かなり重い呪いになるということですね

だけど

私たちは日々これをしています

人に言われた一言が
ずっと残ることはよくあることで

特に

親からの言葉は残りやすいですね

なので
甚爾は恵を禅院家に入れたくなかった

そこで
禅院家の呪いとなるものを受けないために

自分がそれを背負って生きていくことで苦しんだから
それがない恵を目の前にして
もう自分が必要ないことがわかったのかもですね

自分の役目が終わったので
そこにいる必要もないし

恵と戦うことも選択しなかった

五条を倒した当時を見た時には
なんてやつだと思いましたが
こういう場面で
それぞれのキャラが
キャラなりに意味があって
誰も憎めないというか
だから
引き込まれるんだなと
改めて
作者さんが
それぞれのキャラの設定を深くしてるんだなと思いました
キネシオロジョーを通してみると

40話と42話で

それぞれが繋がって

面白いな〜と思えました。

みんなそれぞれ違う考察があると思いますが

考えさせてくれる漫画は
わたしの好物です。

もちろん
エンターテイメントとしての漫画も好きですけどね。

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